東京大空襲



      黙祷
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-03-10 00:08 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

東京大空襲

 先程日付が変わり3月9日になりました。

60年前の昭和20年3月9日22:30警戒警報発令し、二機のB29が東京上空に飛来して房総沖に退去したと見せかけた。都民が安心した10日00:08に第一弾が投下された。この時、東部軍管区司令部は気づかず、空襲警報は鳴らなかった。そして00:15空襲警報発令、それから約二時間半にわたって波状絨毯爆撃が行われた。深夜の寝込みを襲われたのである。344機のB29の大群が、房総半島沖合から単機または数機に分散して低高度で東京の下町に浸入したとされている。江東区・墨田区・台東区の約40k㎡の周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った!
約100万発2000トンといわれる油脂焼夷弾(ベトナム戦争時多く使用されたナパーム弾の前身)、黄燐焼夷弾(およそ3000度の高温で金属すら溶かし水中でも燃えるので消火は困難といわれている。)やエレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が投下され、逃げ惑う市民には超低空のB-29から機銃掃射が浴びせられた。1平方メートルあたり3発の焼夷弾をおとしすべての建造物、すべての人たちを焼き尽くしたのである。(消火活動に当たった消防隊や一般市民の方々のこの上ないご苦労と苦悩がいとも簡単に想像できる。消火など出来たものではない!)帝都の一般市民は次第に狭まってくる火の壁の中を逃げまどいながら、性別も判らないような一塊の炭と化すまで焼き尽くされ、一夜にして焼死者約10万人、負傷者約11万人戦災家屋26万戸以上が燃え上がった。
当初米軍による日本本土空襲では、飛行場や軍需工場などを標的とした「精密爆撃」であったとされている、しかしカーチス・ルメイ少将がこの作戦の司令官に任命されてから「無差別爆撃」に変わっていった。考えただけでも恐ろしいことである!民間人の家ですら隠匿された軍需工場とされ、すべて戦闘員とゆう理屈で行われた作戦である。=女、子供、老人のすべてが戦闘員とは!!


すべての戦災者の方々のご冥福をお祈りいたします。 by Switch-Blade
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-03-09 00:19 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

b0020455_17252519.jpg

 早朝からの激しい爆撃にさらされた昭和十八年十二月十五日、マーカス岬一帯はもうもうたる爆煙に包まれていた。そしてこの空襲は「敵上陸」の前兆としてマーカス守備隊約400は、警戒を厳にしていた。十五日未明、岬の基部があるベンガル正面にゴムボートの一群が接近してきた。
米海兵隊公刊戦史によれば15隻とされる。ボートの騒音で、福島中隊の本部、一個小隊および海軍監視隊は即時緊急配備につき、射程内まで引き付け一斉に攻撃を開始した。この攻撃により数隻のボートが沈没したとされ、米側の記録では12隻とされている。このとき対空砲の海軍十三粍機銃の射撃が極めて有効であったとされ、午前三時三十分の頃であったとの事だ。ちなみに当時当日の日の出は午前四時四十分日の出の50分まえである。この後米軍は再び海岸一帯に激しい空襲と猛烈な艦砲射撃を加えてきた。このため海岸陣地は跡形も無く吹き飛び、陣地に留まる事は、困難な状況であった。そして午前五時三十分頃、水陸両用戦車LVT2隻を先頭に上陸してきたのである。これはカニンガム准将指揮下米軍第112偵察連隊戦闘団であった。所在部隊は邀撃に努めたのだが、阻止することは出来ず各部隊間の連絡が途絶えてしまった。圧倒的に優勢な米軍戦力に対し効果的な処置を見出し得ないので、攻撃を再興すべくデイデイモップに後退、近く進出を予想される小森大隊と合流した。(この頃までの負傷者は約90名と記録されている)
海軍航空隊の奮闘も忘れてはならない。
索敵に向かった陸偵から「敵ハ駆逐艦七、潜艇ニ、海上トラック八、大発(舟艇)十、マーカス岬ニ入港中、上空ニハ戦闘機四、高度四千。」との報告あり。邀撃作戦の発動を下令した。
艦爆、戦闘機約五十五機という圧倒的に不利な戦力ではあるが、上空援護中のp-38を排除しつつ攻撃を敢行。輸送船、巡洋艦、駆逐艦、上陸用舟艇、撃沈、炎上合計約五隻の戦果を上げている。



※ 参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・戦陣の断章および小冊子マーカス岬の戦闘
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-03-08 22:37 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(8)

 連合軍の細部計画(マーカス方面)
マーカス岬方面
上陸兵力
第112偵察連隊戦闘団(歩兵二個大隊、砲兵一個大隊、工兵一個大隊、工兵一個中隊、高射機関砲二個中隊、その他)予備兵力 歩兵第158連隊第二大隊。
任務
グッドイナフ島から発進、12月15日アラウエ(マーカス岬)に上陸し、
1、軽易な海軍施設のための地域を占領。
2、イトニ河谷がグロスター岬戦の補給路として使用できるか否か偵察。
海上輸送、輸送
海上輸送は高速船によることとし、LSD一隻、豪軍輸送船一隻、APD二隻充当。爾後の補給はフィンシからLSTによる。上陸地点はリーフのため、水陸両用トラクター大隊の一個中隊が配属された。LVT-1(名称 アリゲーター)29隻とLVT-2(バッファロー)10隻を有す。またアラモ軍からも工兵舟艇海岸連隊の一部が配属された。海上援護と上陸支援のため、駆逐艦10隻その他哨戒艇、駆潜艇等が充当された。
航空支援
アラウエ(マーカス岬)に対しては日本軍に警戒させないために、進攻直前まで攻撃を避ける方針がとられた。


こうして、昭和十八年十二月十四日早朝から同地区に激しい空襲が行われ、マーカス岬一帯は爆煙に包まれた。マーカス岬に対する攻撃がいよいよ開始されたのである。


追記 
LSD ドッグ型揚陸艦
LST 戦車揚陸艦
APD 側方偵察レーダー
LVT 水陸両用装軌車(揚陸強襲艇)

※参考文献 引用 
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・戦陣の断章ならびに同著者作成小冊子「マーカス岬の戦闘」
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-03-03 19:01 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

 マーカス攻撃の決定に至った経緯を、簡単に説明することにしよう。
ガスマタ作戦決行には十分な航空支援が期待できないことから作戦を変更し、これに変わる作戦としてマーカスを占領することとなる。(外伝 第五十話参照)米軍の情報によると同地は日本軍の抵抗も少なく、航空支援も容易であり、空軍のためのレーダー基地としての価値が有ると共に、海軍の為の魚雷艇基地に適すると考えられていた。
また、日本軍のグロスター岬に対する増援の為の足場を奪い、その防禦兵力を吸引することも考慮されたといわれている。
十二月三十日発令のアラモ軍令によると、第126連隊戦闘団は軍予備に戻り、ウッドラーク、キリウイナ警備任務から開放された第112騎兵連隊がマーカス岬に指向されることとなった。そして、同地攻略は十二月十五日と決定されたと記されている。

次号は連合軍の計画細部にも触れてみることにしよう。

※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・「戦陣の断章」(出版物)ならびに同著者作成小冊子「マーカス岬の戦闘」
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-03-02 23:40 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

b0020455_17314016.jpg

 十八年八月、南太平洋の戦局は悪化の一途をたどっていたが、八月末大本営において遂にラエ、サラモア放棄の方針が決定。この旨陸海軍中央協定が第八方面軍に示された。間もなく九月四日に連合軍はラエ東方ポポイ付近に新たな上陸を敢行!ナザブに空挺隊を投入、第五十一師団は転進やむなき状況に立ち至った。

この情勢を迎え連合軍の次期目標である事が明瞭な、ダンピール海峡東岸に位置するニューブリテン島西部要域の防衛はいよいよ方面軍にとって重要となったのである。

 第六十五旅団を主力とする現配備では兵力の不足が痛感されるところから、急遽増強の要ありと考えられた。しかし中部ソロモン方面の戦況上必要とされるブーゲンビル島への増強兵力にも苦慮しており全体として派遣すべき兵力の余裕は無かった。連合軍の空襲が激化する中フィンシ方面への輸送も依然として継続しなければならない西部ニューブリテンへの増強は困難であった。
そこで方面軍は第六十五旅団長が欠員となっていた事情を考慮、当時ラバウルにあった第四船舶団司令部をツルブに推進、団長松田巌少将に(28期)同方面所在の船舶部隊、第十八軍所属の滞留部隊を含む全軍部隊の統一指揮を命じ、これら兵力の組織化によって輸送業務推進と併せて防衛体制の強化を図った。

 連合軍作戦計画の決定
 当時の計画は、ラバウル占領を最終目標とし、ラバウル攻略を可能にするための作戦のひとつの段階として西部ニューブリテン島攻略を計画。作戦は米第六軍司令官クリューガー将軍が指揮するニューブリテン軍(秘匿名称 アラモ軍、又はエスカレーター軍)が実施する事となり、五月六日同司令官に、渡洋作戦と空挺作戦とを併用し、ガスマタ―タラセアの線以西のニューブリテン島を占領し、爾後のラバウルに対する作戦のための陸上航空基地を建設という趣旨の準備命令が与えられた。
第一海兵師団司令部と連携し計画の具体化を図っていたが、七月中旬に「アルファ計画」(叢書記載はマーファ計画)と称する大綱計画が発表される。続いて八月下旬「第二次アルファ計画」が発表され計画は「アラモ軍はグロスター地区を占領し、ガスマタを無力化、タラセア、ガスマタ以西ビッツ諸島及びロング島を含む西部ニューブリテン島を占領」とある。攻撃期日は当初計画と同様十一月十五日とされたが、二週間後には「十二月一日」と変更された。
 この方面の戦略的要衝であるラバウルを連合軍は攻略しないという重大決定が八月にケベック会議で正式に承認されていたが、西部ニューブリテン島に対する作戦目的もラバウルの無力化と爾後のアドミラルチー諸島あるいはニューギニア方面への振興準備のための基地獲得というふうに変化はしていたのだが計画自体にはさしあたり大きな変更は加えられなかった。九月二十二日南西太平洋方面総司令部が発した本作戦に関する指令は、従来の構想を躊躇するものであったが、無いように付いては「第二次アルファ計画」と大差の無いものであった。
その後本計画は大きな変化が加えられた。これは第五空軍のケニー中将がガスマタ付近の飛行場は不要であるとの事と、同空軍に対する長距離戦闘機の補充の遅れ、ガスマタ作戦には十分な航空支援が出来ないという意見を発表。(ガスマタの日本軍が米軍の攻撃を予期して、防備を増強中であることが判明していた。)十一月十日、ガスマタ作戦を取りやめる指令が出され、ガスマタに変わる目標として、マーカスを占領することが決まったのである。


※参考文献 引用 
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・「戦陣の断章」(出版物)ならびに同著者作成小冊子「マーカス岬の戦闘」

 
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-03-01 21:51 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

b0020455_1505992.jpg

第六十五旅団主力の輸送は、月暗期を選んで行う駆逐艦輸送の関係で延引し、主力である歩兵第百四十一聯隊の進出は、その第一大隊が六月下旬、残存兵力が七月下旬から八月上旬となった。また駆逐艦の搭載に洩れた一部の人員機材は更にその後逐次主力に追及することとなり、最後の追及者が聯隊長の掌握に入ったのは十九年初め、聯隊のタラセアに向かう転進を開始した後であったとされる。当時の第六十五旅団の主要職員は以下のとおり。
    旅団長
  • 真野五郎中将(24期)18・6・15、41D長に転出
  • 岩佐俊少将(22期)18・6・15~18・7・26、6iB長に転出
  • 松田巌少将(28期)18・10・29着任
    参謀
  • 大島廣治中佐(32期)
  • 副官 玉置正雄少佐(35期)
    歩兵第百四十一聯隊(二個大隊、野砲中隊、聯隊砲小隊、通信中隊)
    聯隊長
  • 中島正司大佐(28期)18・6・18転出
  • 片山憲四郎大佐(28期)
    第一大隊長
  • 戸伏長之少佐(44期)
    第二大隊長
  • 立川鴻一中佐(32期)18・8・1転出
  • 向井豊二少佐(49期)
    第六十五旅団工兵隊(二個小隊及び器材小隊)
  • 隊長 堀地芳馬少佐
    第六十五旅団通信隊(半部欠)
    第六十五旅団野戦病院(半部欠)

岩佐旅団長の転出に伴い当時まだラバウルにいた着任早々の片山大佐が、急遽軍旗を奉じて海軍機でツルブに飛び七月三十日、折から出発途上の岩佐少将と飛行場で慌しい対面を行い、旅団長代理としてその指揮を継承した。そのころの旅団配置は、歩兵第百四十一聯隊第一大隊をブッシング、一個小隊程度をウインボイ島に派遣したほか、主力はツルブ付近に位置していた。

※参考文献 戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4  引用
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-02-25 03:53 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

 昭和十八年四月上旬、方面軍は西部ニューブリテンの態勢を強化するため、当時ラバウル地区の警備に任じていた第六十五旅団を同地に派遣することとし、その準備を命じた。
第六十五旅団長真野五郎中将(24期)は歩兵百四十一聯隊第一大隊長戸伏長之少佐(44期)を長とする偵察隊を編成しこれをツルブ方面に派遣して、四月末までに同地を偵察するよう処置して進出を準備していたが、五月四日『主力を以て「ツルブ-タラセアに至り、マーカス岬-タラセアを連なる線を含む以西のニューブリテン島及びウインボイ島の警備』を要旨とする方面軍命令(剛方作命甲第二五六号)を受領。
方面軍はこの命令に付随する参謀長支持によって、第十八軍部隊のフィンシハーフェンへの推進計画、飛行場整備計画等所要の事項を示し、同時に旅団司令部以下二一〇名をラバウル発の駆逐艦によってツルブに輸送するように指示し、この先遣隊は五月十三日夜ツルブに上陸した。
(この中には著者が含まれている。)
方面軍のこの処置によって、これまでは見るべき部隊の配備されていなかった西部ニューブリテン島にも一個兵団が進出することになったわけである。
十八年六月末、連合軍はナツソウ湾、レンドバ島に上陸。戦況はにわかに急を告げ航空作戦の不振、補給輸送の困難等が原因し第一線の戦況は日に日に悪化の一途をたどった。
このような第一線特にラエ、サラモア方面の危急は、その後方要地である西部ニューブリテン島の防備強化の要を認めさせることとなったのである。

方面軍は七月二十三日、第六十五旅団に次の要旨の命令を与え、要地確保の任務を明示した。(剛方作命甲第三八九号)
1、方面軍ハ西部「ニューブリテン」「ダンピール」海峡沿岸要地ノ防衛ヲ強化セントス。
2、第六十五旅団長ハ剛方作命甲第二五六号ニ拘ラス主力ヲ以テ「マーカス」含ム以西ノ「ダンピール」海峡沿岸ノ要地及「ウインボイ」島ヲ確保スルト共ニ「ツルブ」飛行場群ノ設定整備竝ニ「ガロベ」「ツルブ」「タラセア」及「ブッシング」附近ノ兵站業務に任スベシ。「カライアイ」「フィンシュハーヘン」間ノ舟艇輸送ニ関聯スル事項ニ関シ、第十八軍司令官ノ区処ヲ受クヘシ。
3、[以下、船舶部隊の区処に関する件-省略]


この命令によって、先に命ぜられたタラセアに対する部隊の配置は中止され、同地飛行場設定計画は放棄された。なお当時ツルブ飛行場は六月下旬で従来の西飛行場の整備作業をおおむね終了し、新たに設定にかかった東飛行場に全力を注いでいた。また、この命令で確保を命ぜられたウインボイ島は、飛行場適地こそなかったが、
ダンピール海峡を制する要地と考えられ、このような処置がとられたのである。



※参考文献 戦史叢書 南太平洋陸軍作戦叢書4 引用
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-02-23 19:06 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

 昭和十七年一月、当時太平洋方面で海軍最大の根拠地であったトラック島の前進根拠地として帝國陸海軍は協同してニューブリテン島のラバウルを占領。大本営は豪州の孤立化を企図、太平洋における米豪連絡線を遮断することとし、陸軍は第十七軍(軍司令官 百武晴吉中将)を新編し作戦を準備した。大本営はまず第五十一師団の派遣を令し、次いで第八方面軍(軍司令官 今村均大将)の編成派遣を下令。昭和十七年十一月九日第八方面軍今村司令官に対して、天皇陛下は「南太平洋より敵の反抗は、国家の興廃に甚大の関係を有する。速やかに苦戦中の軍を救援し、戦勢を挽回せよ。」陛下自身が準備されたものを読み上げられたあと、今村大将に対し「今村、しっかり頼むぞ」と強くおっしゃったといいます。しかし、五月七日珊瑚海海戦、六月五日ミッドウェー海戦の大敗で大本営はFS作戦、MO作戦延期下令(MO作戦は米豪遮断作戦FS作戦の第一歩として実施された)七月一日陸路によるポートモレスビー攻略研究を開始。九月三十日南海支隊のモレスビー作戦準備を下令。十二月第八方面軍 ラエ・サラモア以西確保を下令。翌年十八年12月連合軍マーカス岬に上陸。ここにマーカス岬の戦闘が始まるのである。ご存知のとおり、マーカス岬に対する反撃はニューブリテン島での初戦であり、ダンピール海峡防衛の第一段階を画するものである。下記の地図をご参照頂きたい。(右ニューブリテン島、左ニューギニアの真ん中の海峡付近、フィンシュハーフェンの北にあるワンボイ島付近である)
b0020455_17533510.jpg


新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-02-11 18:17 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

b0020455_15111358.jpg

陸軍で使用されていた記号、略号の解説。(例)
HA=方面軍 B=旅団 I=歩兵(聯隊) TK=戦車 ▲=兵站地区司令部
Bn=大隊 D=師団 Co=中隊 MG=機関銃中隊 Pt=小隊 
これら記号、略号は現在でも自衛隊で使用されているものもある。
軍には3種類あり、上級軍(総軍)、中級軍(方面軍)、下級軍(軍、航空軍)となっていて、一般的には大本営-総軍-方面軍-軍-各師団という編成になっている。各司令官も中級軍(方面軍)以上の多くは大将、下級軍には中将が親補されていた。
方面軍とは、作戦(軍)を更に総軍のもとの一機関に統一、統師させる機関。
師団とは大まかに、各種兵科をすべて保有する総合的な編成部隊で、軍隊が固定的に編成している最大部隊となっている。勿論管理自営部隊である。
旅団とは作戦の地域が比較的狭く師団運用には兵力が大きすぎる場合、連隊に各種兵科の部隊を配属して臨時に必要な兵科が集まった部隊を編成することがある。いわゆるミニ師団である。当時平時編成では師団の下部に3~4つの旅団があり(この下に色々な連隊がある。戦時中は独立混成旅団というものも出来ました。
著者談「我々の旅団には砲兵、騎兵、輜重連隊が無いため師団ではなく独立した臨時の旅団として編成されたのです。(歩兵三個連隊、工兵連隊、速射砲中隊、野戦病院)つまり戦時中は必要に応じて、平時には無い組織が色々出来たのです。」
連隊とは、一般に管理自営部隊として編成されていて、通常一種類の兵科の最大編成部隊である。
大隊とは一般には戦闘部隊のみであり自給自足でいる管理自営部隊ではない。身軽な部隊なのだが上級部隊からの補給・整備等の支援を受けない限り独立的な作戦は不可能である。
中隊とは、一般的に100名前後の戦闘部隊とされ、燃料、弾薬、糧食を補給し整備する機能を保有している部隊である。
小隊とは、軍隊の将校が指揮する最小の単位。オリバーストーン監督映画「プラトーン」はこれにあたる。
分隊とは、主に下士官(軍曹クラス)が指揮し、軍隊中最小単位でおよそ9名前後である。

大まかに解説してみたが、何分専門ではないがゆえに編成人数などはおおよその数値を付けさせて頂きました。ご意見等御座いましたらコメントを頂けるとうれしいです。今後の更新に役立てたいと考えております。

旅団について追記 「師団」と「旅団」の関連と長について。
師団-旅団-連隊という平時編成当時の旅団長は「少将」です。(師団長は中将)独立旅団の場合の旅団長は、師団並みの「中将」でした。従って第65旅団長は、初代が奈良中将、二代目が真野中将、第三代が松田中将でした。 (参考)第14師団管轄の場合所在地。師団司令部は宇都宮市。旅団司令部は宇都宮市、水戸市、前橋市、長野市。  ※著者より
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-02-07 16:47 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

教科書第二弾、陸自の戦闘教令に「マーカス岬における対戦車手段
不十分な場合の防御戦闘」として範例として記述されているものです。
この資料は、著者が大隊副官時の大隊長 戸伏長之少佐(のち第65旅団参謀
陸上自衛隊幹部学校長 のち陸将)が陸自時代に依頼され作成したもので、
生前、戸伏氏から著者に送られたものです。
※現在も使用されているか否かは不明で御座います。
この戦闘は、武器弾薬等兵站が著しく不足した状況下、擲弾筒を有効に使用した作戦として高く評価されております。

  専門用語、記号等の解説
b0020455_1514690.jpg

 ニューブリテン島周辺地図
b0020455_1512690.jpg

 要衝ダンピール海峡
b0020455_1534466.jpg




この戦闘の全貌は、この「83歳の戦陣の断章」外伝第一話~第七話にて
詳しく紹介している。是非ご覧頂きたい。






新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-01-29 17:08 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

本日ご紹介させて頂きます資料は、陸上自衛隊幹部学校の
「戦史」の教科書に採用されていたものです。
現在も使用されているか否かは不明では御座いますが、
武器、弾薬共に乏しい状況下で米戦車(M3)10台を撃退。
およそ2~3台が大破、放棄され米軍のは前進を停止し撤退。
擲弾筒を有効に使用し、戦車天蓋をこじ開け手榴弾を投げ込むなど
それは想像を絶する戦闘だったと思います。
この資料は、著者が大隊副官時の大隊長 戸伏長之少佐(のち第65旅団参謀
陸上自衛隊幹部学校長 のち陸将)が陸自時代に依頼され作成したものです。
中に出てくる人物で名前が出てくるのは、中隊長以上と特殊な功績のあった者
だけです。100ページから次ページまでは著者に直接関係のある記事です。

戦友会の席で著者と戸伏氏の会話を紹介したいと思います
著者が「どうして私の名前を載せてくれなかったの?(笑)」と詰問(笑)すると、
戸伏氏は「自分の女房か手足のような副官を褒める奴がいるかい!(笑)」
と言った後に「悪かったな」などと言って大笑いしたそうです。
今は亡き戸伏氏との思い出話とのことでした。
b0020455_19531334.jpg


解説 1Bn(第一大隊)/141i(歩兵第141連隊)/65B(第65旅団)



新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-01-24 22:15 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

b0020455_19315496.jpg


自分は映画が好きで色々なジャンルの作品を見てきた。
ミステリー、ロマンス、アクション、歴史、伝記、
それぞれの時代背景の戦争物、マフィア物などさまざま。
最近では友人から頂いた昭和17年公開の
「ハワイ・マレー沖海戦」が印象に残っている。

さてこの画像だが、戦陣の断章著者が参加していた
演習の記録写真である。このように散兵線を敷き、
敵を迎え撃つ、ないし攻撃をするものである。


近年大東亜戦争(太平洋戦争)の旧日本軍を
題材にした洋画が多く見られるが。
とりあえずいつも出てくる言葉がある
それは「こんなのありえねぇ」である。
まるでジェット戦闘機のような速度で降下するプロペラ機(米軍)や、
壕の中で両隣肩を寄せ合うように布陣する旧陸軍、
恐ろしいほど装備の行き届いた旧日本軍を打ち破る連合軍・・・
野外で重要会議をするシーンなど探し出したらきりが無い。
所詮映画なんだからとあきらめ半分で見ることにしているのだが、
あれだけお金を掛けるのだったらもう少し史実
忠実に製作してもらいたいものだ。

戦陣の断章「散兵線」高良台演習場

戦陣の断章はこちらから
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-01-15 16:55 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

b0020455_20441737.jpg


小休止はありがたいものですね、一人一人の表情を是非ご覧ください。



新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-01-15 09:22 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

 先日、第四十二話教科書シリーズをUPしたのですが、
画像が印刷できないなどの不具合が発生しましたので
改めてUPしたいと思いますので暫くお待ちください。
そこで今夜は、著者が87年に第二次ニューブリテン島慰霊の旅として
ラバウルを訪れた際に撮影したものです。
友軍の遺骨や遺品などを発見しても遺骨収集隊として
登録していない為、内地に持ち帰ることが出来なかったと
著者は語ってくれました。
この画像は著者が撮影した中の一枚で、
さびしいかな、とても綺麗に写っておりました。

b0020455_204579.jpg


96陸攻と言い張る人もいれば、いや97だ!!と言い張る人もいて
困ってしまった事もありました。
お詳しい方がいらっしゃいましたら是非是非コメント頂けたらと思います。
板倉昌之氏の写真集によると、三菱97式重爆撃機Ⅱ型との事で、
87年当時はまだここまで露出していたのですが、
現在では火山灰によりさらに埋もれている画像を拝見したことがあります。



「戦陣の断章」第六章 駆逐艦輸送も是非ご覧ください。

新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-01-12 02:05 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

昨年は大変多くの方々に、アクセス頂きました事に深く御礼申し上げます。
今年も83歳の「戦陣の断章」をどうぞ宜しくお願い致します。
2005年が我が国と皆様にとって良い一年でありますよう
心からお祈り申し上げます。


「戦陣の断章」管理人Switch-Blade       
[PR]
# by Switch-Blade | 2005-01-04 01:18 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(2)

 今年もあとわずかとなりました。
先日28日に、この「外伝」の主人公、戦陣の断章の著者宅に
表敬訪問に行ってまいりました。
とても楽しく和やかな雰囲気の中、始めて見る色々な写真、
貴重なお話や、インターネットで検索されたwebサイトなどを
見ながらまるで自宅以上に寛いでしまいました(^^)

さて2004年最後の更新となる今回の外伝は教科書シリーズ第二弾です。
軍隊には色々な職種の方が在籍していたということは前回も書きましたが、
教育関係携わっていた方も多くいらしたようです。
中高生レベルの教育を指導する事によって復員後祖国復興に
役立つ社会人となってもらいたいと考えた、今村将軍の責任感の強さは
私自身見習わなくてはならないものだと強く感じました。
自らの保身など考えず、部下の将来を第一としたその考えには
本当に頭の下がる想いです。
今回はその表紙をご紹介致します。
b0020455_20333643.jpg


 大変多くの方にこの 83歳の「戦陣の断章」を
ご覧頂きまして誠に有難う御座いました。心から御礼を申し上げます。
来年も83歳の「戦陣の断章」をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-12-30 21:24 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

b0020455_20324513.jpg


今回は、先日ご紹介した英語教程の中身をUP致しました。
一読するとお分かりになると思いますが、
まるで海外旅行用の一言英語だなぁと感じました。
勿論現在では「君は現役ですか?いいえ予備役で招集されました。」
なんて会話あまり聞かないと思いますが、当時の情況が良く伝わってきます。
よくぞ現在まで保存してくれたものだと脱帽する毎日である。
著者から送られてきた資料の中から一つ、

「終戦後のラバウルで、私は『かがみ』という雑誌の編集をしました」と
元文化出版局局長をなされていらした今井田勲氏は
このように語っていた。
「皆が意気消沈しているので何かの励みになるものをと
今村大将にお願いし、それを創刊号に載せました」
そして、
「かがみ」はザラ紙に綺麗な騰写版刷り60ページ、週刊誌大の雑誌である。
将兵の創作による時代小説、恋愛小説、短歌、俳句、世界情勢、英語講座、
復員後の職業案内、各団の消息などに、カット、イラストを多数加え
将兵の待望する娯楽、教養、情報を網羅している。
口絵には桜の木の下に立つ和服姿の美人画が使われているが、
これほど将兵の望郷の念を誘ったのか、
今日でも胸の熱くなるほどの内容である。」と、このように書かれていた。

そして最後に、著者の戦友古守氏著南雲詩から作者不明の
「英霊の声」をご紹介しよう。(南雲詩p369引用)

「英霊の声」
億兆の先霊ひとしく照覧し給う 静かに聞く在天英霊の声
大業を成就するは又何れの日ぞ 誓って英霊に謝し聖恩に応えん
道は遠く復興任また重し 千辛万苦絶え難きをしのび
精進日に新たに文化を敷き
徳を持って怨みに報い慈光を施さん


新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by switch-blade | 2004-12-23 21:46 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

現地自活そして

戦争末期、ラバウルの戦場は作物栽培で現地自活の為の
農耕作業をやっていた。これは第八方面軍司令官 
今村均大将の発案によるもので内地からの物資が途絶えた為、
生き延びる為の一策である。各部隊に割り当てられたジャングルを
開墾して陸穂、とうもろこし、サツマイモ(沖縄100号)、カナカほうれん草、
タピオカその他多くの作物を栽培した。
幸い熱帯地方の為3ヶ月くらいで概ね収穫が出来、
ほっておけばどんどん大きくなったという。著者が指揮していたエリアで作業中に、
極楽鳥がトウモロコシ畑に飛来してきた。
その場に居合わせた一同が「アッ!!」と目を見張った。
まるで絵に描いたような鳥だったという。
開墾時に空襲を受ける事も有り、コックピットのパイロットが「ニヤニヤ」しながら
機銃掃射を加えてきた事も!
敵の上陸作戦に備え兵站の備蓄や訓練を重ねてきたのだが

          8月15日-終戦

さあ、これからが大変である
以前紹介したように、豪軍が進駐し各種兵器の投棄作業や警備、
そして将兵に対してのメンタル面での配慮もあったという。
敗戦という事実を目の当たりにして、自決するものが続出したとの事ですから、
これには十分な注意がなされたといいます。
将兵の中には中国戦線からさらに南方へと八年に及ぶ
戦陣生活をすごした方もおります。
一般生活とは隔絶した軍隊だけで暮らしてきた将兵達が、
敗戦後の混乱が想像される日本に戻って果たして抵抗なく
周囲に溶け込めるのだろうか?
そして、是非祖国復興に役立つ社会人となって
もらいたいが、そのためにもまた職を探すにも長く軍隊にいた為
知識面、教養面の弱さが障害となりはしないだろうか?

今村均大将はこのように考え、三年半という長い歳月を
彼らの教育にあてようと決心したそうです。
軍の中には各分野の学識を持つ方が多く存在したそうで、
その中には教職者もいて、教師陣には問題がなかったそうです。
各科それぞれ手分けして教科書作成に取り掛かりました。
その教科書は農業や医学、数学や科学に至り、
しかも分かりやすくまた詳しく書かれておりました。

その一つが、前回掲載した「英語教程」です。
この教程をめくっていると、なるほど
これならブロークン英語は喋れる様になるなぁと感じました。
この教科書を作成した方は恐らく、英語の教師だったのでしょう。
現在でも、言葉を置き換えれば中学校で教わる英会話そのもので、
戦地ですから手持ちの資料など皆無であるはずなのに
よくぞここまでの教科書を作成したものだと感心致しました。
そして理科の植物を担当していたのが
「戦陣の断章」の著者、この「外伝」の主人公である。
著者は教科書の中に多くの挿絵をいれた美しい教科書の
試案を纏めて今村大将を喜ばせたとの事でした。


復員船で日本に向けて出発する著者の背嚢の中に
それら資料が大切に収められていました。
  続く
         

新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-12-13 21:09 | 第四十一話~第五十話 | Trackback | Comments(0)

12月8日は何の日?

 昭和16年12月8日はなんの日? 知らない人が多くなったでしょうね。
私は未だ学生の身分でしたが、この日が徴兵検査というまさに
記念すべき日でした。めでたく合格し帰りには「ローズハウス」という
音楽喫茶に立ち寄りベートーベンの

「運命」を聴いていました。

街中軍歌と万歳の嵐です。
12月末に3か月の繰り上げ卒業(われわれが第一回目です)。
鶴見にある会社に1月半ばまで勤め入営のため退社。
2月1日歩兵第141連隊(留守部隊ー本隊はフィリッピンのバターン半島攻略中)に入営。
以後約5年間の軍隊生活に入ったのでした。
この頃の青年男子は20歳で徴兵検査(義務です)、
甲種合格すれば「男子の誉れ}でした。
入営日の数日前には町旗とともに親子で記念撮影、
出征当日は町内一同に挨拶後「万歳」三唱で見送られました。
まさに男子の本懐であったのです。
今では想像すら出来ない当時の出征風景でした。

<戦陣の断章の著者からお送り頂いたメールを
ご紹介致しました。
ハワイ作戦はご存知の方も多いかと思いますが、
同時にマレー、シンガポール作戦も展開されました。
ハワイ攻撃をZ作戦、マレー攻撃をE作戦といい、
これを同時進行しどちらか一方が先行すれば奇襲は
失敗に終わる恐れのある作戦でした。(実際は誤差有り)
マレー作戦の敵前上陸地点のコタバル周辺と
ハワイ附近ではおよそ6時間の時差があり
マレーの夜はハワイの払暁にあたります。>

新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-12-09 20:04 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(1)

 終戦後、復員船を待つ間の約9ヵ月の間、碁や将棋をやったりして
退屈を凌いだが、

        なんといっても、映画と芝居であった。

貫名(ヌキナ)部隊=野戦重砲連隊が映写機を持っており野外にスクリーンを張って
             映画を上映してくれた。 
南の風、山祭り梵天唄、ジャングルの恋、結婚の宿題、唄祭浩吉節、木石、生きている孫六、ハンガリアン舞曲、大江戸百揆など23の映画が上映されて拍手を浴びた。

また、海軍の若手で「鵬劇団」を編成し、本物そっくりの舞台を造り、
バラエティ「唄う雲助」、「歌模様」、「五条の夢」、時代劇「恋慕吹雪」、トーマ民謡「豊年踊」などなどを見せてくれた。
衣装やかつら等ほんものそっくりで、女に餓えていたわれわれは

    笑ったり涙を流したりして夜の更けるのも忘れたものです。

わが連隊でも「トーマ劇団」を編成し、南十字星楽団による
「唄と踊りと軽音楽」と称し、オペレッタ歌う八百屋お七、一人芝居月形半平太、
瞼の母その他20ぐらいの出し物でわれわれを慰めてくれた。

いずれも玄人はだしで、よくも舞台や衣装をほんものと同じように
造ったものだと感心したものです。

 軍隊には色々の職業の人がいますが、こんなところに現われたのです。

映画,演劇などの題は全部拙著「戦陣の断章」に載せてあります。
戦友達が、よく覚えていたものだと感心していましたが、
わたしが戦地にいる時に全部メモしておいたのです。

       今は皆懐かしい思い出です。

殺伐とした戦場、しかも豪州軍の監視下にあった時ですから
               これらが復員を待つ間の慰めになったのです。


前著は、多くの戦友に配布しましたが、忘れていたことが思い出せたと喜んでくれました。


<終戦後の将兵の気持ちは恐らく我々現代人には、想像を絶するものだと自分は考えます。
この事を思うと自分は、悔しさと刹那さの念に襲われます。
死んでいった戦友の無念を晴らすまでは戦うぞ!このように思う方々、
自決する方々、その無念が多くの書物や資料を読んでいると深く感じられます。
自分の家系からも多くの戦死者を出しました。
特攻で死に斬れずに病死した叔父、満州で砲兵だった叔父、
サイパンで玉砕した多くの親戚、フィリピンで撃沈された祖父の思いを風化させることなく
平和な世界を築く礎を我々現代人が構築しなければなりません。

さて、下記の画像は一体なんだと思いますか?これは、著者がラバウルから持ち帰った物で、今現在日本で数冊しかないものです。もしかしたら一冊も無いかもしれません。
次回詳しくご紹介したいと思います。
b0020455_20314452.jpg



         
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-12-03 16:32 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

昭和17年12月27日に駆逐艦や巡洋艦に守られたわれわれ輸送船団6隻が、
宇品港を発ち、豊後水道を通り、一路南へと進んだ。暫くの間は周囲に小島が続く。
服装からして南方の戦場に行くことは間違いない。 

何日かして回りに島が全く見えなくなる。

敵潜水艦や飛行機の目を避ける為、じぐざく航路をとる。 左に方向転換をする。
するとどうでしょう。今まで右にいた艦が、ずっと後ろになる。今度は右に転換をすると、
こんどは右の艦がずっと前になる。
つまり、回りに比較するものが無いことによる錯覚である。
分かるかな?分からなければ楊枝などでやってみるとこの理屈がわかると思う。

     1月14日にラバウル港に着いた。

           19日かかった。

          何回か魚雷の航跡にあったが、無事だった。
 

そして、戦後昭和21年5月2日、復員である
今度は、アメリカさんから借りたリバティーV0006号。まさか早い。 名古屋港に着いたのが5月16日で、
15日間かかった。行く時とそれ程の違いが無いのに驚いた。
 
 行きも帰りも「硫黄島」が見えるところを通った。

帰りに見た「硫黄島」は禿げた姿であった。戦後の記録で、

        激しい攻防戦だったことを知り、

          納得した

     お互い血肉を分けた血みどろの戦だったのだ。
 
輸送船の長く暑い生活も忘れがたい。ましてや行く時は、船首で対潜、対空見張りの任務もあり

生きた心地が無かったのは言うまでも無い。船に弱かった者には、一層辛かったことと思う。
 
   
[PR]
# by switch-blade | 2004-12-02 21:56 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

 軍隊では「寝るも起きるもみなラッパ」という唄があり
またその唄の通り、すべてラッパで行動する事はご存知と思います。
なんといっても起床ラッパが一番イヤでした。屯営でも士官学校でも同じ。
ラッパは始めに必ず連隊号、学校号を吹いてから起床ラッパに入ります。
ラッパ手は、営庭の中央で四方に向かって吹くのです。
 連隊号は最初だけですが、パンパカパーンと吹き出すと、
眠い目をこすりながらガバッ!!と起き
素早く点呼の準備に入ります。
 この間僅か数分。誠に我ながらたいしたものだと思っています。
総てがこの調子で、もたもたしていては軍隊では落伍です。
戦場での行動が総ての基礎になっているからです。
軍隊のラッパのカセットがありますが、「戦陣の断章」にも書いた
将官に対してのラッパが一番好きです。
少将は一回、中将は二回、そして大将は三回吹奏することになっています。
今村大将が、ここは戦場だから吹かなくてよいといって
馬を進めた話は今でも語り草になっていますよ。




<戦陣の断章の著者から送って頂いた多くの
貴重な資料の中から、この一つのエピソードを紹介させて頂いた。
恐らく身支度に五分位だろうか?
もしかしたらそれより短いかもしれない。
自分の実生活とは雲泥の差である。
しかしながら最近頻に生活が整ってきているような今日この頃ではあるが・・・
この今村将軍のエピソード、三十六話でご紹介した
古守氏著「南雲詩」の中でも書かれているので引用させて頂きます。
※1今村大将に対しラッパ手が吹奏を始めようとすると、大将は即座に
ラッパはいらない、ラッパはいらないと兵士をいたわる様に手を振って
中止させられた。この光景は大将の人柄もさることながら
それ以上に決戦を控え極度に緊張したラバウルではもはや
形式的なこと、儀礼的なことをいっているときではなく
将兵も兵も無く、ただ人と人との、魂と魂とのふれあいだけがある事を思わしめた

このように書かれている。

これは聞いた話なのだが、ラッパ手とは元々ラッパが吹ける人物が
ラッパ手になるとは限らないという事だ。
ただでさえ難しいラッパを、ラッパ経験の無い兵士に任命する事が多くあったという。
これはかなりのプレッシャーだ!   by Switch-blade >

※1 古守豊甫氏著「南雲詩」から引用

新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by switch-blade | 2004-11-29 02:37 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

 力尽きて倒れる者は、概ね100メートルに一人であったといわれ
転進完全終了まで実に六ヶ月を要した。
これを、「カ号作戦」と称する。
第十七師団曰く、
「ラバウル上空に友軍機なく、港湾にまた艦船なし。
我が軍の転進は敗退に非ず。ニューブリテン島最後の救援にあり」

歩兵第141連隊(連隊長片山大佐)に所属し、この戦闘に参加、
ツルブ、ラバウル間3百里を転進した、梅岡学州氏によれば、
ツルブに敵が上陸以来、激戦一ヶ月の後、
連隊長以下部隊全員、武人の本懐を遂げるべく
1月23日、連日の豪雨はやもうともせぬ中を、
玉砕を期していよいよ最後の総攻撃に移らんとし、
まさに焼かれんとする軍旗に対して決別の敬礼を行った。

連隊長以下なみいる将兵の目から熱い涙が溢れ、一通一通の無電に接した。
これぞ意外にも
       
     ラバウル決戦に備えよ

     第八方面軍司令部よりの命令であった

 戦陣の断章著者の戦友 元陸軍軍医古守氏の著書
南雲詩から引用

新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから
[PR]
# by switch-blade | 2004-11-26 03:19 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」ニュース

「 戦陣の断章」が「戦争を語り継ごうリンク集」にリンクさせて頂く事になりました。
「83歳の戦陣の断章」ともどもどうぞ宜しくお願い致します。

新!戦陣の断章   
戦争を語り継ごうリンク集はこちらから


                          by Switch-Blade        
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-11-21 02:12 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

 士官学校在校中、南久留米の駅から演習に出かける。
台風襲来で朝から強風雨である。我々は貨車に乗らされた。
貨物扱いか?貨車がグラグラ揺れる、倒れやしないかと心配だ。
様子をみて発車した。なんとも不安な演習行であった。
士官学校での行事予定は、雨風など問題にしない。
高良台という赤土の演習場がある。
(今は自衛隊幹部候補生学校が利用)

生憎私が雨の日に小隊長の役に当たっていた。
雨の中赤土で泥んこになって指揮に当った。
大声で号令を張り上げる。部下候補生も私の指揮によって匍匐前進をやる。
演習を終了すると全員泥んこである。学校に帰れば当然洗濯。
夜の点呼までには洗濯を終えなければならない。
へとへとに疲れているがこれも訓練のうち。
戦場では否応もないのであるから・・・実戦に備えての訓練というものである。
卒業間際、区隊長との個人面談で前期の演習話に及び

「よくやった。戦場でもな・・・」とねぎらわれた。
不覚にも思わずボロボロと落涙した。

      青春時代の感激の一幕でした。                


新!戦陣の断章   
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-11-17 22:42 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

アクセス総数

 本日までのアクセス総数が800を超えてしまいました。
何かの間違いではないかとかんぐってしまいますが・・・
(よく解析ミス表示がでるとか・・・)
普通の日記や今時はやりそうな記事でないので、
更新後に20~位か、リンク先からのアクセスで
大体30位かなと思っておりました。
しかしながら、「戦陣の断章」の外伝として公開をスタートして
約2ヶ月が経過しこのような数字が出た事について、
アクセスして頂いた皆様に対し
戦陣の断章の著者に代わり心よりお礼申し上げます。

決して忘れてはいけないこの国の歴史に対し、
 少しでも興味を持って頂く事が出来ますように。


 これからも「戦陣の断章」をどうぞ宜しくお願い致します。

新!戦陣の断章   
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-11-11 17:32 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

紅葉の季節

 紅葉の季節を迎えスキンを変更してみました。
四季のある日本の紅葉はとても美しく、そして時折寂しさを感じさせる季節であると感じます。

新!戦陣の断章   
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-11-04 01:38 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

b0020455_2041480.jpg


 「戦陣の断章」著者が参加していた演習の写真である。
自分の気に入っている写真の一つです。重たい装備を背負い山道を行軍するのである。
当時の青年達は、所違えど皆このような経験をしていたのですね。
体力などは現代の一部を除いた同年代より、明らかに勝っていると思います。
我慢強さなども現代は負けているでしょう。
壮絶な時代を経験し、壮絶なる復興を成し遂げたこの国の行く末を
心配する方々は多く存在します。

ここ数年で若い人たちの中にも熱心に自分の国の事を考える方々増えてきました。
各地の護国神社に参拝し資料などを熱心に見ている姿をよく見かけるようになりました。
何も知らずにただ否定し風化させてしまうということは、
この国に生まれてこの国に育ったとしても、
自分はこの国の人間であるとは言いがたいのではないでしょうか?

過去に過ちを犯したとただ非難することは誰にでも出来ること!
マスコミや諸外国から言われていることは本当の事なのか?
何故戦争は始まったのか?
情報を与えられているだけではなく、自ら探るのもいいのではないでしょうか。

因みに自分は平和主義者であります。 
 by Switch-Blade

「戦陣の断章」著者からのメールを頂きましたのでご紹介いたします。
この写真に写っている方は著者のご友人との事です。

「右のボケている人物の左の候補生が担いでいるのは擲弾筒です。
その後ろも同様です。
筒先が下でそれを握っています。私の斑の戦友です。
紅白に分かれて山岳戦をやった時の写真です。
予士校での多くの写真は何時誰が撮ったのか分かりません。
卒業の時分配されて初めて知った次第です。 」

   
新!戦陣の断章   
[PR]
# by Switch-Blade | 2004-10-27 00:14 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(2)

b0020455_20422762.jpg


<著者の弟さんの写真である。 三重空にて撮影。
 海軍飛行予備学生第13期の海軍中尉です。
 短剣が当時の憧れだったとの事、一式陸攻に搭乗し、沖縄沖に出撃寸前に
 機が故障し待機中に終戦を迎える。

 「出撃するときは白いマフラーを少し長くして飛ぶ」
 やはり最後まで格好良くありたいという大和魂なのでしょう

 
悲しくなるほど「粋」な話である。
現代ならおそらく
 「ど~せ死ぬんだからもうどうでもいいや!」と言う人が多いのではないだろうか?>

                                  by Switch-Blade

新!戦陣の断章   
[PR]
# by switch-blade | 2004-10-19 20:46 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)