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 気が付いたらもう朝だ・・・夜更かしも程々に・・・
少年XXX兵という兵種が(兵種でよいか?)多く存在した事は、
著者からのメールで改めて思い知った。
彼らは私よりも遥かに若い!しかし私の方が遥かに幼いのではないだろうか?

私は私よりも若い、私の祖父の世代に感謝する。

「外伝」の趣旨とは、少々ズレでしまったようだが、

今宵、これら画像で一献。


     by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2005-11-26 06:08 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(0)

 先日、ふとした思いつきで先輩?友人?と「若獅子神社」へ行った。
そして、戦陣の断章の著者様から「戦車に係わる感慨」を頂きました。
私はミリオタって訳ではないのだが、幼少時に(小1位か?)初めて手にした、
坂井三郎氏著、「大空のサムライ」を読んでからというもの、陸海空と読み漁った。
頭に入っているかは疑わしい・・・日米英中韓仏蘭印等々・・・
最近ごっちゃごちゃなHDを整理していると、懐かしい画像やファイルが出てきた。
コノ画像は古いコンパクトデジカメで撮影したものだが、
今思えば何故にコンデジなの?である。
とはいえ、お見せできるぎりぎりの画像をUPしようと思いました。

ちなみに、当ブログの全画像は個人鑑賞以外の転載、
商用目的での利用は一切禁止しております。
どこかに画像をUPしたい場合については、「当サイト名を表記して下さい」
「じゃあネットでUPなんかするな」と言わずに、守って頂けると本当に助かります。
それでは4枚ほど。名称等に誤記がありましたら、お許しくださいませ。

203mm自走榴弾砲
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74式戦車
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89式装甲戦闘車
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96式装輪装甲車
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 いやあたまたま良席チケットを頂いて、「感謝感激の一日だったなぁ」と、
今でも鮮明に憶えております。しかし、楽しんでいる自分の頭の片隅で、

「楽しんでいる馬鹿があるか!浮かれてないでしゃんとしろ!」と言っている、

もう一人の自分がおりました。

                                by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2005-11-25 18:51 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(0)

どこの国の戦車も同様、装甲の厚さ、砲の口径、貼視孔の巾etc.には苦心するようです。
鉄の固まりのような戦車は戦場によっては大いに威力を発揮するでしょうから。
しかし、「マーカス岬の戦闘」に見られるように、何台向かって来ようと
先ず随伴歩兵を混乱させて戦車を盲目同様になった状態にしてしまえば、
一方で対戦車、一方で対随伴歩兵と手分けをして攻撃出来、
味方の被害も僅少で済みます。これが幸い功を奏したのです。
どこにも通用する戦法とは思いませんが(^^)。

戦車はずう体がでかいから有利とは限りません。要は地勢に応じた用兵如何でしょう。

私が久留米の士官学校在校中、歩兵、戦車、飛行機による
合同演習をやった時のことが思い出されます。

戦車兵は将兵皆小柄でした。さもあらんと思います。
この時、戦車連隊の将校から「戦車の弱点」を教わりました。
これが私の「マーカス岬の戦闘」で活かされたのかも知れませんね。
   
当時、久留米の戦車連隊に西住戦車長が乗っていた戦車が展示してありました。
西住小次郎中尉が日中戦争の徐州会戦で乗っていたものです。車体中無数の弾痕があり、
弾痕には白ペンキで円く囲ってありました。
彼は、この功績で大尉に特別昇進したのです。 
この伝記は、1940年松竹映画で上原謙が西住隊長役で映画化されました。
あの図体の大きくて重い戦車は、戦場への輸送も大変だったろうと思います。

  終戦時、ラバウルの港湾に砲を外したわが戦車が

  ずらりと並んでいた風景には涙がでました。

私の旧制中学時代の旧友で士官候補生出のU君が
中国戦線で戦車隊長をやっていました。
八路軍との戦闘中、生憎敵弾が貼視孔に命中し
敵弾が脳に達し、名誉の戦死を遂げました。

戦場でも「運」が着き纏うものです。私の経験もいくつか紹介したとおりです。

多分貴君の親戚の軍隊経験者にもあったことと思いますが・・・。
戦車の所属が判りました。少年戦車兵だったとは・・
あの時代には15~6歳の「少年OO兵」が随分誕生しました。
今では考えられない憧れがあったのでしょうね。
可哀想というか悲壮感というか。今になって振り返ると複雑な思いがしますね

以上戦車に係わる感概を送りました。

戦車と対峙し擲弾筒を有効利用偶然ではなく、著者が合同演習時に戦車聯隊の
将校に戦車の弱点を教わった事がマーカス岬の戦いに生かされたのだなと感じました。    以上、著者から頂いた戦車に係わる感概を掲載致しました。


                       by Switch-blade
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# by Switch-Blade | 2005-11-04 22:08 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(2)

思いつきましたよ!

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 彼は自分を友人と呼んでくれているが、自分よりも20歳以上も目上の元プロである。
学卒で詳しくは書けないが大変な経歴をお持ちである。
夕方前に訪ねてきて、持参してくれた当時の様子を撮影した資料映像のDVDを見て
雑談を交わしていた。もっぱら、旧軍の話題に花が咲き、68年以上経過した映像を見ながら
現代のよく言われている、旧軍の非難話を検証していた。
お互いに当時の事を、現代の尺度で語る事はもっともおこがましい事、そして愚かな事と日ごろから話していたので、「ああすればよかった こうすればよかった」などと言う話は皆無。資料映像で生徒隊長や教官が発する言葉をじっくり聴いていた。やれ陸軍が悪かったとか、明治、大正はよかったが昭和は云々と言われていた事が、いとも簡単に吹き飛んでしまった事は言うまでもない。日本が悪かったと言わないと、色々と面倒なのだなと深く感じる所存である。
「日本が悪かった」と言うことを信じて止まない人たちも多くいるが、それらはほっとく。

兵器というものはそれぞれ用兵を考えて設計するものではありますが、よく聞く話や市販本などで笑止してしまうことの一つに、戦車という兵器があげられる(戦車に対してで無い)。何故笑止かというと・・・何故18tなのか?だったのか?を、考えずまた何故・・・と、色々出てくる。帝国陸軍の戦車運用は、当初から敵陣を強襲する歩兵部隊の補助兵器であり、対戦車戦を想定して設計したものではありません。ある程度のの知識を持ち合わせている方は解る筈ですね。また、港湾施設のクレーンの限界は18tであったという事を念頭に置いていただきたい。これらを理解せずに帝國陸軍の戦車は装甲が云々と言ってはいけないのではないでしょうか?分解して輸送すればいいのでは?こういう意見も聞きますが、よく考えてみてください。現代の技術、装備とは違うのです。ドイツ、アメリカ、ソ連の戦車と安易に比べてはいけないものと自分は考えます。確かに、装甲を厚くし大口径の砲を・・・とは思います!!!しかし、それら3国の戦車は完全に対戦車として設計されたのですから、一緒にしてはいけません。某旧軍の何某氏は、ドイツの戦車に乗った際に「「まるで建物の2階のようだ」と、仰いました。彼は対戦車戦を想定した戦車を、当時の日本でも作りたかった事とお察し致します。


その日は休日ではないが、自営業の強み(弱みでもある)で、夕方早々店を閉め(ごく稀のことなのだが)「じゃあ若獅子神社に行こう!!」と言われたら断ることは出来ないでしょう(自分はって事ですからね)。思い立ったら吉日!深夜の強行軍、東京~静岡をすっ飛ばしました!そして、若獅子神社へ到着、装備を整え撮影です。あらかじめ「撮影許可を求める祝詞を称しましての撮影でした」どうですか、この英姿。自分は涙し、そして一礼、二礼を致しました。
昨年ノ火演とクロスオーバーしたのは言うまでもありませんね(^^)

自衛軍と名称が変わるわけだが・・・・
おもな国は、「せるふでぃふぇんすふぉーす」は、国防軍でありますからね!念のため!
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# by Switch-Blade | 2005-11-01 04:33 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

七十五話では、戦史叢書などから引用しましたが、
実は戦史叢書にも記されていない事実があります。

【著者曰く】
「無事大任を果たして本隊に復帰した」とありますが、
ウラモアに残置された稲木中尉は任務中大変な目に遭遇しました。
無事どころではりません。情報機関として勤務中の夜中に敵性土人に急襲されました。
不意打ちを食らったのです。彼は素手で立ち向かいましたが、
右手を蕃刀で切りつけられて重症を負いました。
任務を終え本隊に帰還してから手術を受けましたが結局右手を失いました。
今は故人になりましたが、戦友会には左手ぶらぶらでよく出てこられました。
1期上(新谷中尉と同期)ですが、私は彼に可愛がってもらいました。
新谷さんはまだ元気ですが難聴のため今では会話は出来ませんが、
漢詩の詩人で手紙はくれます。


私同様マーカス岬での生き残り組です。

戦後亡き藤山君と三人で福山連隊跡で会ったことがあります。

<上記コメントを頂きました。
まだまだ叢書には記されていない事が沢山あると思います。
復員後、戦友会などで交わされた会話の内容にとても興味があります。
それらを一つでも多く記すことが出来ればと考えております>
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# by Switch-Blade | 2005-10-09 01:19 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(2)

 一ヶ月以上も外伝の更新をSTOPしておりましたが、改めてスタート致します。
実は現在、84歳の戦陣の断章の総纏めとして、新サイトを製作中です。
内容は、ニューブリテン島での記録、戦陣の断章とマーカス岬の戦闘を網羅し、
当時の秘蔵画像などをご紹介できればと考えております。
資料としての正確さをモットーに、戦史叢書、公刊戦史、数々の市販図書、
そして当時を知る方々の証言を照らし合わせて、纏め上げようという物です。
終戦後の作業の様子や、各集団のお話、そして、このブログがきっかけで
情報交換をはじめた方々の、お話も随時追加していく予定です。
完成後にこちらでもご紹介致しますので、気長にお待ち頂ければ幸いです。

 さて、タイトルの情報機関の残置ですが、
カ号作戦の発動に伴い、第八方面軍は第十七師団に対して、
敵中に孤立残存して情報を収集すべき小部隊の残置を命じました。
第十七師団長はこれに従い次の各部隊を配置し方面軍直轄としました。
記録に残っている部隊は
タ機関(ダンピール岬附近の山中)
歩兵第五十四聯隊の中川少尉以下十八名。
カ機関(ガブブ附近の山中、ロロ山)
歩兵第五十四聯隊の森田中尉以下十六名。
勇機関(ウラモア附近の山中)
歩兵第百四十一聯隊の稲木少尉以下十名。
これらの諸機関の任務は、敵艦隊、航空その他部隊の情報収集、報告の他
カ号作戦の援護の目的にあった。
三月の初めに設置し、さし当たって四ヶ月間の行動を目途として行動を開始、
各種の準備をした。タ機関については、当初予備役将校の吉尾少尉に
発令されたが、師団司令部の指示で陸士五十六期の中川少尉に変更となった。
 残置後、間もなく部隊との通信は途絶したが、タ機関からは五月二十日、
「われ突撃する」との通信を最後に状況は不明となり、
カ機関は五月上旬交戦中との通信を最後として報告してきたが、
二名が負傷の為に捕虜となり他は全滅した。
ウラモアの勇機関は下山の命令を受け任務を果たし無事本隊に復帰した。
戦史叢書によると、カ機関の捕虜は一名と記されている。

※引用抜粋
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・戦陣の断章 同著 マーカス岬の戦闘
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# by Switch-Blade | 2005-10-08 02:18 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(2)

祝!

 83歳の戦陣の断章は、おかげさまで一周年を迎えました。
そして本日は戦陣の断章の著者の誕生日で御座います。
この場を借りまして、心からお祝い申し上げます。
本日を機にブログ名の変更をさせて頂きます。

本日から「84歳の戦陣の断章」となります。

今後とも当ブログをどうぞ宜しくお願い申し上げます。

            by Switch-blade
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# by Switch-Blade | 2005-09-10 15:53 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

 ニューブリテン島に散らばる全部隊をすみやかにラバウルへ集結させる。
剛方参一第六九〇号、二月二十四日発電のこの作戦を「カ号作戦」という。
当時ラバウルには第十一航空艦隊と第二航空戦隊を合して、100機近い兵力があり、連日の空襲下に敢闘を続けていた。二月十七日、その移動可能の全兵力をすみやかに内洋方面に進出するよう命令されたので、主力は十八日から二十日の間に、残る若干もその後これに続いて逐次トラック、マリアナ方面に転進し、ここにラバウル周辺の航空戦況は一変することとなる。このことから航空べた居の転進に伴い、ラバウル周辺の制空、制海権は一挙に完全に連合軍側のものとなった。十九日~二十五日にかけて、陸海軍輸送船四隻が相次いで沈没した。これがラバウルに対する最後の輸送船であった。一月末ににグリーン島(ニューアイルランド島とブーゲンビル島の中間)に威力偵察を試みた後、二月十五日には再度同島に来攻してこれを占領し、飛行場の設定に着手。同時期二月上中旬の間、連合軍はラバウルに対して引き続き大規模な空襲を継続。ニューギニア方面ソロモン方面に対しても依然激しい航空攻撃を繰り返し、ブカ、アドミラルチーニューアイルランド、及びニューブリテン島北岸諸要地等ラバウルを囲む諸地域の来週も逐次増加していった。この時期、陸軍の第四航空軍の戦力増強を要請するため、航空軍参謀長秋山少将が上京。参謀本部で諸般の説明を行った結果、第十八軍のマダン付近の作戦に対しては第二方面軍指揮下の、戦闘、軽爆各二個戦隊、重爆一個戦隊が一時南東方面に進出してこれを支援することになったのだが、第四航空軍自体の戦力の造成については襲撃一個戦隊が、新鋭の軽爆一個戦隊と交代する件が決定されただけで特に大きな処置は実現しなかった。このような新情勢を迎えて、方面軍は再び爾後の第十七師団の用法について検討する段階になった。今や、ラバウル周辺の海上輸送は小舟艇を除いて全部途絶し、爾後の補給は駆逐艦、潜水艦は勿論、大発輸送さえも困難である、と考えなければならない事態であった。検討の結果、方面軍は第十七師団のラバウル後退を決定したのである。方面軍命令から抜粋した文だが、マーカス戦闘部隊に対して、再度御嘉賞の御言葉を拝せる小森支隊はあくまで現地に於いて必死敢闘武人の栄光を完うせしむる意図なりしも以上の情勢に即し全般指導上転進せしむることに決せりとある。(前後省略)  続く・・・

                        by Switch-Blade


※引用抜粋
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」 同著「マーカス岬の戦闘」
        

        

             
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# by Switch-Blade | 2005-09-02 17:02 | 第七十一話~第八十話 | Trackback(1) | Comments(0)

 旧制師範学校を卒業し、当時の国民学校(今の小学校)に赴任した時の事です。
校長先生に伴われて村の有力者の家にあいさつ回りをしました。
最初の訪問先の助役は
「宜しくお願いしますと言われたって、
何処の馬の骨か分かんない人の面倒なんかみられるかい!!」
と、
厳しいお言葉でした。卒業前に先生から、
「はじめから地元の学校に勤めるのはよせ。
甘えさせられてろくな教師になれないぞ!かわいい子には旅をさせよと言うだろう」

と諭されました。
これまで大変な時には「馬の骨」を思い出し、何とか頑張れたのではないかと思います。
 家を離れて就職とか入学された皆さん。現在は辛くとも、
やがて楽しくなるように頑張ってください。

<これは、今年5月に毎日新聞に掲載された、戦陣の断章著者の奥様のコメントです。
毎日何千名という投稿の中から選ばれたということは、昔の小学校の先生は、
今とは違い地域の名士からも厳しい目で見られており、
生半可な気持ちでは勤まらなかった」という事を知らせたかったという編集者の
考えからだと思います。「でもしか先生」では勤まらなかったのでしょうね。
今日は国民学校の先生として銃後を守っていらした奥様のお話でした。
                         by Switch-Blade >
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# by Switch-Blade | 2005-09-01 00:49 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(0)

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巷では相変わらず、靖国参拝についての議論が飛び交っておりますが、
そんなことはどこ吹く風!「靖国で逢おう」、「あとは頼む」という言葉を残し戦死された
自分の祖父、親戚を含む全ての英霊に対し祈りを捧げてまいりました。
例年に比べて参拝者の数がとても多くなってきているという印象を受けました。
どうであれ国の為、家族の為に命を懸けて戦った方々に対し礼を尽くすのは
当然の事であると自分は考えます。
それすら放棄し「日本は軍国主義に向かっている」と言われると失笑してしまいます。
by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2005-08-15 19:55 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(0)

昭和21年5月17日 復員完結。
各主要都市の被害地図の中に宇都宮の地図を発見。
宇都宮の両親はおそらく実家のある広島(県北部の田舎)に
疎開しているだろうと早飲み込み。
上陸港名古屋の復員局で手続きを済ませ、大荷物を背負ってやっこらさ広島駅へ。
駅を降りるや・・目の前に現れた原爆の惨状
駅あたりから海が見えたのです
瓦礫の山、ぶら下がった電車、電柱の架線。
「これだな!!」と初めて原爆被害の現実を目の当たりにしてゾッとしました。
 
私の親戚にも原爆被害者が数人おります。
そのうちの一件は、息子さん(海軍兵学校卒の少佐)が戦死、奥さんと娘さんが丁度広島へ
用足しに行っていて原爆で亡くなりました。
もう一件は、現存されていますが、原爆投下時に広島方面に行っており被爆しました。
原爆被爆手帳を持っており、現時80歳くらいかと思います。
女学生の頃だったのですが、軽症だったのでしょう。
現在は、原爆被害証明には3人の証人が必要とのことです。

 原爆が投下された日から9日後の8月15日 
全将兵が、よく聞き取れない無線電波で終戦の玉音放送を聞く。
よく意味が判らず翌16日初めて細部を理解。さあそれからが大変でした。
無念の気持ちを押さえながら部下に対し軽率な行動を慎むよう説得です。
自分でさえ自決したいような気持ちでしたから深刻でした。
ましてこれまで負けたという実感を知らない私には信じ難い屈辱だったのです。

今、戦後60年といいますが、

私には区切りはありません。

戦中戦後の苦しみを知らない為政者が大部分を占める今日。
いかにも知ったかぶりをしている政治家も、こういう機会に何回でも遊就館、
知覧などの記念館を見て欲しいと思うのです。
いまは自分の選挙のことで頭は一杯でしょうね。       

終戦60周年にあたり、おおいに原爆の恐ろしさを伝えたいものです。
アメリカでは、「あの当時原爆を使わなければ日本は降伏しなかったからだ」
と正当化しようとしているようですが、とんでもない屁理屈です。
目下報道されている原爆被害者のむごたらしい姿を見れば、
原爆を持つこと自体ためらうのが通常の人間の神経ではないでしょうか。

私も、過去を振り返り、今あることを噛み締めています。
 

 <著者からのメールをご紹介致しました。
後世に伝えるためには、色々な話を聞かなくてはなりません。
この国を守るために命を懸けて戦った方々、そして銃後を守り原爆や
空襲の犠牲になった方々の思いを伝えなくてはなりません。
皆さんの周りにも当時を知っているご親戚や知人が沢山いると思います。
どうか戦争体験者の方々の言葉に耳を傾けてください。
そして、後世に語り継いで欲しいと思います。
                     by Switch-Blade>


                               
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# by Switch-Blade | 2005-08-06 14:48 | 第七十一話~第八十話 | Trackback(1) | Comments(0)

 「外伝」が戸伏大隊長の話になり、フツと思い出した「笑い話」があります。
まだマーカス岬に出撃する前、ブッシングという所で警備していた時のことです。
大隊副官であった私に昔話だと言って語ってくれました。

 戸伏さんが、九州の都城連隊の連隊旗手をやっていた時の話です。
連隊の軍旗祭(年一回 連隊あげての無礼講のお祭です)があり、
連隊長以下多数の将兵が演芸会の会場で兵隊さんの演芸を笑いながら見物していました。
来賓で特別出演の芸者歌手「市丸」が最後に「東京行進曲(昭和4年)を軍楽隊の演奏で
歌いました。出だしの前奏はまことに軽快。一同軽く調子をとりながら聴いていました。
 いよいよ歌に入りました。
1 昔恋しい銀座の柳----ここまではよかったのですが・・。
  仇な年増(あだなとしま)を誰が知る・・・と

この時突然「楽長やめろツ!!」の声。連隊長です。
 「けしからん!!」と続き、ついに伴奏の軍楽隊も演奏をやめ、
以後シラーツとなって解散になってしまったそうです。
頑固な職業軍人のなせる笑い話でした。
無礼講の軍旗祭ですから、大目に見てやればいいのに、
戸伏旗手も思ったそうです。市丸さんもさぞ気を悪くしたでしょうに。

この歌の続きは♪ジャズで踊って リキュールで更けて
明けりゃ ダンサーの涙雨  というのです。そして2番に続きます。
当時の唄としてはモダンなもだったですね。 戦場でのひと時でした。 

<この文の意味が解りますか?敵性語の入っている歌詞が原因なのです。
当時英語は敵性語として一部でしか使用されませんでしたので、
頑固な職業軍人のなせる笑い話・・・でした。  by Switch-Blade>                  


 


 
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# by Switch-Blade | 2005-08-02 16:34 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

帰国しました。

 帰国後の整理などに追われて、更新が伸びておりましたが、
「83歳の戦陣の断章」再開致します。

 さて、海外に仕事でというのは、主に東欧地域でして、現地で東洋人はすこぶる目立つなあと感じました。今回の渡航で感じた事は、経済が順調に成長していると言われている国でも、多くのホームレスやスキンヘッズを見かけたこと、想像以上でしたね。仕事の合間を縫って、小さな地図を片手に街を撮影しに出かけ、途中コンビニの代わりでもある小さな商店に行ってみると、ウインドウには金網がびっしりと張られ、侵入者に対する防禦手段がとられており、日本のそれとは一味違うものでした。街中には共産時代の遺物がそこら中に残っており、単なるアパートメントですら文化遺産になりそうな雰囲気でした。 1956年12月4日未明、ソビエトの戦車が轟音を上げてブダペストに侵入し、ハンガリー革命を野蛮にも押しつぶした。その際果敢に抵抗した後が残された建物を見つけた。いたるところに傷跡が残されていたのだが、そこだけはちょっと違っていた。なぜならそこは単なるアパートメントで今でも住民が住んでおり、窓からおばさんが外をぼんやりと眺めていた。建物東側にびっしりと開いた弾痕の跡!!思わずシャッターを切ってしまいました。これら建物はいつまで残っているのだろうか?と、つい考えてしまう。

by Switch-Blade


 
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# by Switch-Blade | 2005-07-15 15:15 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

 仕事で海外に行くことになり、著者と現地の気候などをメールで
やり取りしていた際の一文を書いてみようと思います。


「士官学校在校中は、先輩の着た古い服でした。帽子もそれなりに色褪せたもの。
墨で書いた註記(名前のこと)も先輩何人かの名が消してありました。
ところが卒業の2日前には、帽子、洋服全部新品。
すっかり新品見習士官になり晴れて卒業。それぞれ原隊に帰って行きました。

2か月余にわたるよれよれ転進で、上から下までボロボロ。髭も伸びほうだい。
乞食同然の格好でトーマに辿り着いた。
数日休養をとった後、全員に新品の帽子、衣服が2着支給された。
説明によると、

       1着は決戦用だという。

つまりラバウルに敵が上陸した時に、この決戦用衣服で最後を迎えるというのだ。
幸い敵さんは上陸せず、決戦用衣服は復員時に持ち帰ることが出来た。

       この服も今は既に無い。

<決戦用と書かれたメールを読んだ瞬間、ゾワッと鳥肌が立ったのを覚えている。
我々が普段使っている「決戦」という言葉とは、まるで比べようのないリアリティーさを
感じてしまった・・・     by Switch-Blade>
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# by Switch-Blade | 2005-06-23 18:24 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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戦友会の思い出話の中にマーカス岬の戦闘で
「第一線を突破してきた米戦車は数えたら13台だった」
書いている戦友がいました。よくぞ数えていたものだと感心しますが、
私も大隊本部前までやってきた戦車は10台と数えました

       お互いあの状況下でね・・・

おそらく3台は途中までしか来なかったのだと思います。
「教科書」には5~6台とありますが、私は実際にこの目で数えましたからね。

<2枚の画像は、砲爆撃に晒された椰子の木である。
雨あられと降り注ぐ砲弾、物量に任せ大いに砲弾を消費した後
セオリー通り侵攻してきた。
戦後60年以上過ぎた今でも、ここマーカスに残されているという。
一度で良いからニューブリテン島を訪れてみたい
そう言った自分に著者から頂いた言葉は「マラリアは怖いですよ!」だった!>
by Switch-blade
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# by Switch-Blade | 2005-06-15 18:46 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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 カ号転進中に戸伏大隊長と、ラワンの大樹の根っこの間で雨露をしのいでいる時、
大隊長が「フランスの国歌」を原語で歌い、
一緒にいた私に教えてくれたことは「新!戦陣の断章」にも掲載しました。
戸伏さんが亡くなった今、当時を改めて思い出すと、
命令に反して上陸地点を変更したことに悩んだことを思い出し、
自分の心を歌で紛らわしていたのかと考えています。
更に、マーカス岬に到着するや直ちに小森支隊長に対し、
第一線の交代を具申したことを考えても「死」を覚悟していた現れかとも察しられます。

これほどに軍隊の命令遵守(違反)ということは重大なことであったのです。
よく「絶対服従」という言葉がありますが、
戦場でのこういうケースでよく理解出来ると思います。

<カ号作戦中、ジャングルの中での逸話を紹介させて頂きました。>
                          
6/3更新の画像は、なんと「ガジュマル」でした・・・
著者にラワンの画像を送って頂き再度更新致しました。

                    by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2005-06-03 18:16 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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第四十四話からは教科書シリーズとして六十六話で完結致しました。
まとめで書かれている戦後の戸伏大隊長の言葉が、とても印象に残っている。

「やけっぱちになるな、見栄にとらわれるな。忍耐だ」

今や何でも手に入れる事の出来る時代、当たり前のことだが
蛇口をひねれば水、湯も出てくる。腹が減れば買い物に行けばよい。
タバコもお菓子も何でも手に入る。

だが、諦めて自らの命を絶ち、そしていとも簡単に他の命を絶つのが現状である。

個人主義の成れの果て
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# by Switch-Blade | 2005-05-27 19:14 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」第六十五話 ②

第一大隊本部 副官塚本少尉指揮の予備小隊約三十名は射撃を開始。
各部将校や伝令まで全員の火力が集中した。
擲弾筒分隊長が前進してくる戦車の正面に

どっかと座って背中に背負う背嚢を腹部に当て、
      擲弾筒を水平にして敵戦車めがけて発射。


勿論貫通はしないが、命中の衝撃に驚いた乗員は、戦車の天蓋を開けて脱出。
勢いを得た予備小隊は、第二の戦車に対しても同様の攻撃を加え侵入を阻止。

右第一線中隊正面も混戦のうちに米軍戦車が二台、
陣地後方の湿地帯に突っ込んで進退不能に陥った。
この戦車から乗員が脱出するのを見て、第二中隊が攻撃、戦車炎上。

午後三時頃米軍は各所でサイレンを鳴らし撤退を開始。
激しい弾幕でその撤退を援護していた。
小森少佐の十六日の日誌(既出)
「恐るべき砲撃、続いて敵の攻撃、激しい戦闘、戸伏大隊は善戦したが大きな損害を受けた。大隊本部と両第一線中隊との連絡がとれない。恐らく全滅したのだろう。敵は何ダースかの戦車を伴って執拗に攻撃してきた。大隊砲は敵迫撃砲で破壊され、海上からも砲撃してくる。砲火は夕刻まで激しかった。この分では支隊の任務遂行は困難になるかもしれない」

米軍公刊戦史には、後退の理由を次のように説明している。
「攻撃部隊は、日本軍の全陣地を蹂躙し、陣地設備を破壊して無数の自動火器と山砲一門を粉砕し1600頃予定の目標に達成した。」

十六日の激闘を終えた小森支隊長は、飛行場西側地区への後退を決意。
撤退は十六日夜、米軍の追撃を受ける事無く、計画通り完了。
飛行場西側の新陣地は北翼からの包囲に対して地形的に阻止しえない
弱点があったが、飛行場確保という任務上ここで玉砕するまで
戦う決意を固めていた。


※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」(小冊子)
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# by Switch-Blade | 2005-05-25 17:13 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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破壊を目的とする砲撃、爆撃は文字どおり目的物に中れば爆発して破壊します。
小銃の類は突き刺さるか突き抜けます。ところが迫撃砲は、瞬発信管が着いていて、
なにかに触るとそこで破裂するようになっています。
つまりジャングルなどでは上空で破裂し、しかも弾丸が不規則に砕けるため、
その破壊力は甚大です。
ギザギザした破片が、うなりをたてて飛んできて目的物を抉り取ります。
従って、人間にあたれば惨憺たるものです。
大隊砲小隊長の友澤少尉がこれにやられたのです。
大隊本部まで運ばれて来た時は、まさに血だるまで顔もぐしゃぐしゃの状態でした。

戦車は、戦闘中は貼覗孔(テンシコウ)という巾5ミリくらいの穴から
外を見ながら行動します。貼覗孔の内側には巾3センチぐらいの風防が貼ってあり
眼の被害を防ぎます。従って戦車が天蓋を閉めたら誘導してくれる兵がいなければ
思うように行動出来ません。狭い穴から「こん随歩兵」の誘導で動くのです。
開けた所なら楽でしょうが、ジャングルの中での戦車の行動は
容易ではなかったでしょう。
そこを見抜いて先ず、こん随歩兵をやっつけたのです。
彼らは戦車を頼りにしていましたから我が方の突然の発砲に驚きふためきして
戦車を置いて後退し始めました。
めくら同様になった戦車が右往左往し始めたのを見抜いて飛び乗り、
手りゅう弾をぶち込んだのです。(前述)
戦車は鉄の固まりですが、ジャングル戦では案外厄介ものだったでしょう。

私の友人で陸士出の戦車長がいました。
彼は運悪敵の弾丸が真正面から覘視孔に命中して戦死しました。
(中国戦での犠牲者でした)
戦車隊の犠牲者には眼をやられての戦死が多いと聞きます。

マーカス岬は当時は、相当深い椰子林で下草には潅木が生い茂っていました。
たまたま双方から斥候が派遣されたことがあり椰子林の中で鉢合わせを
したこともありました。(これは酒井中隊長からの後日談です)

ヘリコプターを当時はオートジャイロといっていました。当時日本では見たこともありません。
マーカス岬の戦場では米軍は偵察用に使っていたのです。(戦陣の断章にも記載)
ジャングルの上空でブルブル音をたてて止まっており、急転回して帰って行くのは
飛行機では考えられないことです。そのあとにドカドカと砲撃してくるのですから、
偵察用に使っていたのです。ヘリは、ジャングルでもなければ、
あんな使い方は出来ないでしょう。舐められたものです。

  
  


 
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# by Switch-Blade | 2005-05-25 16:28 | 第六十一話~第七十話 | Trackback(1) | Comments(0)

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{マーカス岬の戦闘での一齣}
地上からと空からと徹底的に叩かれ・・暫くして一期後輩の友澤大隊砲小隊長が血だらけに
なって担架で運ばれてきた。(既報)
第一線将兵の生き残りが三々五々大隊本部のあたりにもやってきた。皆気ばんでいる。
大隊長は次の敵の行動を察知して興奮していた。自慢の髭を撫でている暇などない。
鉛筆をなめなめ自ら次の命令を「通信紙」上に走らせていた。(本来は副官の仕事だが)
正副副官も大隊長の顔色を伺いながら次の行動に対処していた。
空には敵のヘリコプター(当時はオートジャイロと言っていた。まだ実物は見たこともない。)が
ブルブルと飛んでいる。ジャングルが深いため姿は見えない。
敵の陣地あたりがざわざわしている。

大隊長からは先ず

「第一線将兵を纏めさせろ!!蔵岡副官!!」

「はい!!」

直ちに蔵岡中尉副官は、伝令を集めて各中隊長にその旨を伝えた。
敵陣地からのざわつきが次第に大きく聞こえてくる。私も胸騒ぎが高くなってきた。
血だらけの負傷兵が次々と野戦病院(形だけではあるが)に運び込まれてくる。
戸伏大隊長の声が次第に荒々しくなり、ぼやぼやしていると大声で怒鳴り散らされる。
しかし・・さすがである。一同てきぱきと自分の分野をこなしているのだ。

ヘリの爆音が消えた。

わが陣地の位置を察知されたか。

と 思うや敵陣の方からカタカタと戦車らしい音。

「畜生!!いよいよ来やがったなー」と大隊長の声。

綺麗に吹っ飛んでしまったジャングルの彼方に戦車の姿が見えた。行動は緩慢ではあるが・・。

「塚本少尉!!」

「ハイ!!」

「予備隊を率いて行け!!」

「ハイ!!」 もう無我夢中である。

戦闘には猶予はない。大忙しで当番兵も使って、本部周辺にいる予備隊の下士官、
兵を集め度胸を決めて出立した。

 
「目下外伝で「マーカス岬の戦闘」が連載中ですが、外伝中に出てくる人物ほかの逸話を・・・
予備小隊(私が小隊長役)の分隊長「野々村春水軍曹」は、バタ-ン攻略戦で活躍し、
個人感状を貰い二階級特進した人とあります。
つまり当時は上等兵だったのです。彼は勇敢な高知県出身者でした。
戦車に飛び乗った兵は中平登志夫上等兵(のち伍長)と言いやはり高知県出身でした。
彼はすばっしこい男で椰子の樹にもするする登る特技があったため
斥候に適しており各所で役にったものです。椰子には獰猛な蟻がいるので
現地人も嫌がります。
高知人はよく「土佐ツポ」と言われ、坂本龍馬に見られるように「どしょっぽね」のある人物が
多いと聞きますが、当時この二人を見ていて「さもあらん」と思ったものです。
二人とも在郷の時は漁師だったそうです。今では両氏とも故人になりました。
そして「明神 一軍曹」。彼は中平登志夫の分隊長でした。
中平氏ともども、ペアで勇敢な行動をとっており戦闘中は私の右腕でした。
私の連隊には広島、四国、九州の出身者が大部分でしたが、
高知3人の武勇は特に光っていましたね。
「功績調査」というものを作成しますが、功績「殊勲甲」の中には高知県出身者が
何人かいました。私もこの三人のお蔭で大いに助かりました。 
明神氏は既に90歳ぐらいになるでしょうが、毎年たどたどしい文字ですが年賀状をくれます。
歳上でも軍隊では部下でしたが、戦友会でもそんな素振りは見せませんでした。
素晴らしい人物です。 
今でも高知弁を聴くと彼らを思い出します。」

<最後の2行に「例によって気狂いじみた砲撃によってこれを援護した」とある。
我々からは想像もつかない砲撃なのだろう by Switch-Blade>
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# by Switch-Blade | 2005-05-20 15:10 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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大隊砲小隊長「友沢少尉」(幹候8期)のこと
 マーカス岬の戦闘で、戦車が突入してくる直前の砲爆撃で、
運悪く砲もろとも吹き飛んでしまった。彼は、からだ中破片でえぐられ、
大隊本部まで搬送されてきた。

 「誰だ!!」大隊長以下本部将兵は固唾を飲んだ。

血だらけの顔はぐしゃぐしゃで誰とも判らない。

軍医が痛がる顔をそっと拭いてやると友沢少尉ではないか。
負傷した顔面をはじめ、からだ中の苦痛で大隊長に報告どころではなかった。
血だらけの衣服をそっと脱がせて軍医が手当てをしたが、
唯一虎の子の大隊砲は戦果なしに潰えた。

あれだけの重傷を受けた友沢君も野戦病院で懸命の治療を受けて治癒し、
約20年前の「慰霊の旅」には私らと元気に行動した。
顔下半分は歯が抜けておりゆがんでいたが・・。 そして大分前にこの世を去っていった。

2中隊の兵だった深沢君。彼はブッシングに駐留している時、
伝令用務で遠方に出かけていた時にマーカス岬に出動の命令を聞いた。
しかし第一大隊本部は彼の帰還を待っておられず、止むを得ず彼を残して夜半に出動した。
(その後彼は他中隊に転属した。)
彼はその後ツルブの激戦で体じゅうに重傷を負った。
 しかし、「カ号作戦」に基づく転進。
負傷して血だらけの体で地面を這いずりながらラバウルまで

600キロの転進をやってのけたのである。

 途中で力尽き息絶えた者、手りゅう弾で自決した者、河で溺死した者etc.数しれず。

遺骨累々。

 その中にあって、あの体でどうやって這いずりながらラバウルまで帰還出来たのか。

その精神力と生命力は「神のみぞ知る」ということだろう。
戦友会でこの話に及んでも至極淡々たるもので、説明にはならない。
経験した本人も

「さあー」

といった様子。

今だから話せるといった単純な経験ではなかったからだと思う。
 
彼も上記の友沢君同様、われわれと「慰霊の旅」に元気に同行した。
私と同年輩だったと思う。 現在も生きている筈。

 人間の生命力は人さまざま。
 こういう輩もいたなーーと今度は自分を振り返ってみるこの頃である。


<先日著者から頂いたメールの内容を掲載させて頂きました。
私の解説よりも生々しく感じてしまうのは当たり前ですね。重さが違います。
お話を聞いていると、「もし自分だったら、勇敢に行動できるのだろうか?」と、
いつも考えてしまいます。            Switch-Blade>

※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」 
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# by Switch-Blade | 2005-05-18 02:52 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

ニューブリテン島慰霊の旅
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この道の奥に戸伏大隊が布陣していた。

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今も残っている、撃破され放棄されたM-3軽戦車の残骸。
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# by Switch-Blade | 2005-05-15 16:59 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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 主抵抗陣地の直前に陣地を占領し、たえず陣地内に侵入して攪乱行動をする日本軍は、
米軍にとってわずらわしい存在であった。そこで一月初頭、米軍は既述のように
三回出撃して攻撃してみたが効果は皆無。戦車と航空支援を増加して
強力な攻勢を実施する事を考えた。
フィンシハーフェンから海兵師団の軽戦車(M3系)一個中隊がマーカスに到着。
この戦車は南太平洋地区で頻繁に使用されていた。
三日間の歩戦協同訓練ののち一月十六日午前六時を期して
攻撃が開始されることになった。
五十九話に両軍の配備要図が期されているので参考にして頂きたい。
当然、大隊は戦車の出現を予想していた。十三日ごろから戦車らしい機関音が、
岬の先端から聞こえていたのである。大隊は捕獲した対人地雷約三十を
戦車の主攻を予想する左第一線中隊正面に埋めた。
地雷の数が少ないので右第一線中隊の正面は、捕獲した有刺鉄線を一条張った。

 一月十六日は、日本の内地を思わせるような好天気であったが、
早朝からB-25を主体にB-24、P-38など約五十機による爆撃が始まった。
地軸を揺るがす炸裂音、壕内に吹き込む爆風、閃光で、狭い陣地は覆われた。
およそ二十分ほどの爆撃であった。すでに外伝では既述ではあるが、
戸伏大隊の将兵には二時間にも三時間にも思われる長い時間に感じられた。
爆撃が終わると戦闘機による掃射が始まった。それと呼応するように
砲兵と迫撃砲による集中射撃が開始された。


※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」
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# by Switch-Blade | 2005-05-15 16:26 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」第五十九話補足

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対峙した両軍の配備
戸伏大隊は次のような配備にあった。
右第一線 第二中隊(一小欠)、機関銃一小隊。
左第一線 機関銃中隊(一小欠)、第三中隊の一小隊。
予備 第二中隊の一小隊、大隊砲小隊。
第三中隊の主力は、後方のベンガル、支隊本部地区に配置されていた。


<著者追記>
岬の中央に細い道路があり、わが方から見て道路左側の海には断崖絶壁となり、
右側は海まで湿地帯です。日米両軍とも湿地を避けて布陣しました。
メツセリア飛行場予定地はこの地図ではずっと右方向です。
右第一線は酒井隊
左第一線は道路を挟んで加地隊
佐々隊は予備隊としてずっと後方の海岸寄り、戸伏大隊本部は道路右側で
酒井隊のずっと後方に布陣しました。
酒井隊から大隊本部までは道路を境に右下がりのゆるやかな傾斜です。
一面椰子と雑草のジャングルに覆われていました。

この要図でも判るように、敵第一線戦車群との距離は1~1,5キロですから
敵陣の動きや戦車の音などもある程度聞こえました。
特に夜は遅くまでカタカタコトコトと遅くまでよくやっていました。
両軍とも長期間にらめっこの持久戦です。

昭和19年1月16日 敵もしびれをきらした(?)のか、いよいよ朝から空からと
地上からと一斉に砲爆撃を開始。既報のとおり彼我の激烈な戦闘が開始されたのです。

小さな岬ではありましたが、ニューブリテン島への敵上陸は、
ここが初めてでしたから上層部も重要視していたわけです。
それだけに、われわれもその意を汲んで緊張しました。  


<著者から当時の詳細を送って頂きましたので掲載致します。
対峙した両軍の配備と照らし合わせてみてください。>
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# by Switch-Blade | 2005-05-01 16:17 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

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戸伏大隊の来援により士気旺盛、敵の砲撃によりマーカス半島は青野化された。

当日の小森支隊の損害は以下の通りである。
戦死 六十四名(うち将校三名)
戦傷 五十七名(うち将校一名)
不明 十四名
合計 百三十五名

この間、連日米軍の猛爆にさらされていた小森支隊は、一月十一日以降さらに海上の
連合軍の動きが活発化したため、海岸方面の配備にも苦心しなければならなかった。

一月十一日
いつものように激しい爆撃の後、敵が出撃してきたが撃退
敵の舟艇が海岸を偵察した。敵の上陸に備えて佐々部隊(歩兵百四十聯隊第三中隊)
を、この正面に配置し、ベンガル湾地区の陣地を強化。
一月二十日
更に敵の上陸に対して準備したが、状況の変化は無かった。
昨夜、師団司令部からの通信で、福島部隊の転用を要求してきた。
今朝部署の一部を変更。
中原少尉が1200に帰来し、海上輸送は昨夜異常なく完了した旨を報告、
救われたような気がした。これで暫くの間は糧秣の心配は無くなった。
帰りの便で患者二十名を後送。メッセイアは敵舟艇の砲撃を受けた。
配備変更を一時見合わせる。
一月十三日
メッセイアが砲撃された点から見て、後方増援の必要を感ずるが、
師団司令部は福島部隊をイボギに送れと要求。どうしてよいか解らぬ。
(小森日誌より)

師団司令部の福島部隊抽出の狙いは、小森支隊の後方警戒と糧秣輸送に充てるためであった。少しでも支隊の負担を軽くしようという師団側の狙いも、日々連合軍の強圧に直面している小森支隊にとっては苦痛だったのである。

※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・「戦陣の断章」及び同著「マーカス岬の戦闘」
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# by Switch-Blade | 2005-05-01 15:25 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

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さて、いよいよ戸伏大隊の攻防戦が始まる!
上記に記載されている通り、小森大隊と合流し、第一線をを戸伏大隊、後方警戒ならびに
補給等を小森大隊が引き受けるという形でまとまりを見せている。
両大隊長が旧知の間柄であった事が幸いしたものと推測する。
敵の火力は甚大、そして攻撃、攻撃と命令する上級司令部の命令に対し、

 作戦の成功は、闇雲な攻撃ではなく、粘り強く頑張って敵を封じ込める事

これこそ真の玉砕と書かれている所に注目して頂きたい。

お互いの信頼関係、善戦する事の基本ではないだろうか。
まさに現代の実生活に当てはまる事例であると、ついつい自分は考えてしまう。

                 by Switch Blade
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# by Switch-Blade | 2005-04-15 02:41 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

ようやくオモイに上陸を完了して人員を再点検した。
一期後輩(8期)の00見習士官の姿が見えないという。
確かに上陸したと数人の兵がつぶやいていた。

すると・・・「ズドン」!!
   
 にぶい音がしたと思うやいなや、兵が跳んで来た。
「00見習士官殿が倒れている」というのだ。一同大騒ぎになった。
「さては敵にやられたか、敵は近いぞ」と一時緊張したが、・・・。
 
   実は拳銃自決だった。

兵に聞いてみると「そういえば船上にいる時から様子がおかしかった」
 
 戦場心理とはよく言うが、恐怖心から来る異常心理に陥っていたのだろう。
可愛そうに・・敵の姿を見ないうちに死ぬとは・・・。
ジャングルの中で指を切りとって形見とし、あとは埋葬してその場を去り、
マーカス岬へと急いだ。ここから敵が上陸した戦場までどのくらいあるのか・・・。
新谷少尉(先輩の6期)を長とする将校斥候3名を派遣して敵情を探ることとした。
その後はマングロープ群生の上を右往左往しながら戦場到達まで無用の長時日を
費やしてしまったのである。

 新谷斥候は、無事任務を果たして帰還。

敵情をつぶさに報告してくれたお陰でその後の行動は、
苦労しながらもスムースに行われて戦場に到達し、新任務に着く事が出来た。

 しかし、上陸地点について上部からの命令に逆らった上、
戦場到達に日時を使いすぎたことで、

    戸伏大隊長は懊悩した。

結果オーライとはいえ、大隊長は後々まで責任の重さに耐えたのである。

<この後、マーカス岬で米軍と交戦し撃退するのだが、命令は命令なのである。
どれだけ軍律が厳しく、規律が高かった事が伺えるエピソードである>
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# by Switch-Blade | 2005-04-13 17:59 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

 戸伏大隊が、7隻の大発動艇に分乗してブッシングを出発したのは、
まだ夜も明けきらない早朝であった。それぞれの大発は、武装をした将兵で満載である。
 先頭舟艇の小堺小隊長は、私と同期で船舶工兵の少尉。戸伏大隊長と蔵岡副官と私は、
兵と一緒にこの舟艇に同乗していた。
小堺船舶隊長はこの辺を数回往復しているので、
大隊長も海域のことは彼にすべて任せていた。

 敵に気づかれないようにエンジンはかけずに長い棹で少しずつ漕いで進んだ。
 
船舶内は咳ひとつしない静寂さで、僅か水の音がするだけだった。

 夜の扉が少しずつ迫ってきたので、小堺隊長の進言でペイホ岬に一旦上陸し、
明早朝改めて再出発することにした。
 
海岸から離れて奥の方に進むと、そこにも例の形をしたマングロープが広く張っていた。
 
この辺一帯で朝を待つことにした。
 
翌朝、又も棹で漕ぎながら7隻の大発はスイスイとマーカス岬に向かった。
数時間が過ぎた頃、

ポンポンというボートの音が聞こえ2隻の敵ボートの姿が現れた。
 
「発見されたな」

と大隊長のつぶやく声。

すると第一機関銃中隊の乗った舟艇が急に追いかけざま機銃を撃ち出した!!
こんなことをしては却って敵にわれわれの存在をしらせてしまうと判断し、大隊長は

「やめろツ!」

と大声を出したが、聞こえるはずはない。 とうとう逃げられてしまった。

 その後苦労を重ねながら接岸して7隻それぞれ上陸した。オモイという所だった。
(このことは後の米公刊戦史で、二隻とも日本軍に撃沈されたとある。)
上陸後からのことは「戦陣の断章」を参照。

 大発動艇に関しての秘話。
オモイに上陸する時私は、兵の無事に完全上陸することを見届けていた。
全員の上陸を見届け終わってからヒョイと舟艇内を見ると、いくつも便がトグロを巻いていた。
「あと船の始末が大変だろうな」と思った。人間の生理現象とはいえ・・・。

 後日談
 小堺元舟艇隊長が数年前に我が家を訪れてくれた。 長い長い思い出話に花が咲いた。
例の舟艇内でのこと。

「船乗り部隊には、こんなことは、しょっちゅうあることですよ」
                       
 


 
 
 
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# by Switch-Blade | 2005-04-03 18:46 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

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戸伏大隊長の話

 歩兵第141連隊第一大隊長「戸伏長之」少佐(陸士44期)私が戦場に赴任した当時は
「戦陣の断章」の第1章にも書いたとおり立派なカイゼル髭をはやしていた。
毛は濃く両端がピンと持ち上がっており、常に毛先をもんで形を気にしていたようである。
戦闘が始まり、私が副官職について行動を共にする頃には、この動作が激しくなり、
作戦命令を自分で書くような時、セカセカしながら右手には鉛筆、左手は髭をしごいていた。
立派な髭を蓄えた大隊長はとても30そこそこには見えない貫禄があったものだ。
 マーカス岬の戦闘、カ号作戦の後、トーマに集結して一段落した頃、
突然大隊長が自慢の髭を切り落としてしまった。 周囲のものは唖然。
その理由を聞き質したようであるが、一切理由を話すことはなかった。
後ほど推測するに・・
マーカス岬に敵前逆上陸せよとの兵団長の命令に反して北方のオモイに上陸したことが、
「上官の命令に従わなかったということに自責の念があったのではないか」ということである。

    しかし命令どおり敵前上陸をしていたら全滅は必至

再度にわたる命令にもくじけずに自分の信念で実行したとはいえ命令違反は違反である。
  
    この判断は結果的には正解だった。

しかしながら、そこが旧軍隊の軍隊たるゆえんである。 
そのへんは皆さんは暗黙のうちに理解していたようである。
あの立派な自慢の髭を切り落としたということには、よほどの決心があったのだと思い、
その心中を自分流に理解したものである。 旧軍隊の「命令」と「責任」を物語る一例である。                 (戦陣の断章 著者からのコメントを掲載させて頂きました。) 

この後戸伏少佐は、小森支隊が態勢を整理して防禦に転ずる際、
爾後戸伏大隊に第一線を担当させて貰いたい旨の希望を述べた。
逆上陸が、予定地点よりずれてしまった自責の念もあり、
せめて、今後の戦闘で第一線を引き受けて働きたかったのである。
小森少佐はこの希望を快く受け入れその後、第一線の戦闘を戸伏少佐に一任。
この際、小森支隊隷下の中隊を戦闘に投入する際も、
これを戸伏大隊と並列に直轄する事無く、戸伏少佐に配属された。

戸伏少佐はこの信頼に応えるべく善戦に努めた。
「戸伏大隊の防禦編成は大変巧妙であった」と、 米海兵隊公刊戦史には記されている。

※ 参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・「戦陣の断章」及び同著「マーカス岬の戦闘」
 

 
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# by Switch-Blade | 2005-03-30 20:26 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

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 師団命令を受領した松田支隊長は、この命令に基づき直ちに主力方面から一個大隊をマーカス岬へ逆上陸させる決心をした。検討の結果起用部隊はブッシング所在の歩兵第百四十一聯隊第一大隊を逆上陸部隊に充てる事にした。十六日午後には聯隊長にその旨を命令、師団司令部に逆上陸決行の件を報告した。

南東方面艦隊は方面軍に松田支隊が十六日夜同作戦を実行する旨報告が届いたので、友軍攻撃を避けるため、航空攻撃の制限を処置した。

十六日午後、逆上陸の命令を受けた歩兵第百四十一聯隊第一大隊は早速呼集を実施して人員を集め出発を準備した。しかし、急なことで大隊の全力は集結できずに集まった人員だけで出発することにし、午後十時頃舟艇への搭載を開始した。

 戸伏大隊の対する逆上陸の命令はまったくの突然で、事前の準備は何も無かった!ともかく出来上がった編成での出陣である

 月明の海上をマーカスへ
 地図の無いリーフの錯綜する海上を、以前航海した経験があるという船舶工兵の小隊長を頼りにして航行したのであるが、途中すれ違うリーフの影を敵艦と見分けがつかずマーカスの進入は、無防備に等しい大発の艇隊にとっては極めて危険であると思われた。大隊長は敵艦艇の群がる狭い海域への突入は自殺行為と判断、更に西方の海岸に上陸し爾後陸路を経てマーカス岬に進出する決心を採った。
 十八日払暁オモイ付近に上陸(マーカスから直線距離で約6キロ)詳細な地図も無く砲声と方角を頼りにマーカスへ。この際オモイ付近で敵武装舟艇2隻を撃沈する。

米海兵隊公刊史によると、2隻に乗船した19人の斥候がイトニ河方面に偵察に行き、同日同時刻部隊を搭載した日本軍舟艇7隻にペイポ岬付近で奇襲され2隻とも破壊されたとある。

 松田支隊長は、この上陸について、マーカスから離れているために再度上陸のやり直しを命じたとあるが、片山聯隊長の戦後の回想によれば再度舟艇を出したかどうかは定かではないとのことだ。戦陣の断章著者も再上陸はなかったと書いている。
 オモイ付近に上陸した戸伏大隊はマングローブ湿地の中を前進しては水の深みにはまり引き返し、また別の方向に前進しては引き返しを繰り返しながら前進していった。
マーカス岬に対する反撃はニューブリテン島での初戦であり、ダンピール海峡防衛戦の一段階を画するもので各方面から注目されていたので、焦りは隠せなかったとのことだ。



※ 参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・「戦陣の断章」(出版物)および同著者作成小冊子「マーカス岬の戦闘」
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# by Switch-Blade | 2005-03-17 15:52 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)