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「外伝」 第三話

 
ここ数年で、自分を含む日本人は少々弱くなっていると思う事が多々ある。
逆境に弱く、自らの手で命を絶つニュースが後を絶たない。
生きているから辛いのだ

私自身こういう言葉をよく聞かされる。
そして自分もこのように思う事がやっぱりあった。
最近自分は辛い事件が発生すると
おっ!?来やがったな、次は何だ?
と、
思うように心掛けている。
そして自分に出来うる解決策を機械的に思考し始める。
これによって「何で自分はこうも運が悪いのだろう」と考えてしまう
ネガティブな発想が激減し、問題に立ち向かうように身体が動いてくる。
事故、事件、詐欺、リストラ、病気、借金、鬱、裏切り、虐め、
上げたらきりが無い!
世の中が辛いのは当然、だから楽しい事、うれしい事が記憶に刻まれるのである。
人間はこの世に生まれて来た時から、すでに死に向かって歩んでいる。
私は、自分が死ぬときに「ああしとけばよかった、こうしとけばよかった」と
後悔しながら死んで行く事を大変恐れている。
何が起ころうと精一杯生きていく事にした。
私の兄妹と友人は難病患者であるが、彼らは精一杯今を生きている。
       
                                  by Switch-Blade

戦陣の断章「外伝」第三話


私が久留米の士官学校で将校生徒として訓練を受けている時の話。
週に一回、講堂で中隊長の精神訓話がある。
われわれ候補生の年齢は20~24歳、中隊長は29歳ぐらいか?
勿論、陸軍士官学校を優秀な成績で出ていると思う。
厳かな口調でやる訓話の威厳のあること。
当時は年上だし、年齢のことなど考えなかったが、
今にして思うとどうしても現在の若者の歳を重ねてしまう。
精神訓話の最後には、毎回自分で作成した次の言葉を全員で唱えさせられる。

 勅諭に生き勅諭に死す。われは皇軍の禎幹(ていかん・鏡の意)たり。 
自ら信じ、自ら任じ、自ら重んず。

  勅諭とは軍人勅諭を言い、
明治15年1月4日に陸海軍軍人のあり方を懇切に教えたもので、長文なものであった。
これはわれわれが学校に在学中から覚えさせられたので、
覚えるのにそれほど苦労には感じなかった。
 下士官以下は、その中の次の5ヵ条だけ覚えればよかった。
 1 軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
 1 軍人は礼儀を正しくすべし
 1 軍人は武勇を尊ぶべし
 1 軍人は信義を重んずべし
 1 軍人は質素を旨とすべし

 この勅諭は、前段に軍隊が出来るまでの経緯。
神武天皇ののころから軍隊は天皇自ら統率してきたという趣旨から
700年余武家政治になり、大政奉還で遂にもとの
天皇の軍隊に戻ったということが縷縷述べられ、
次に5カ条の説明になり、最後の結びとなります。
 全文実に名文で、5カ条のうち
礼儀、信義、質素の項は今の社会にも通じる内容でした。
 
 今、校則がうるさいとか、なにかと縛られるのをいやがりますが、
それが果たしてこれが民主主義なのか?と思ってしまいます。
やはり昔人なのでしょうかね。

  第三話 完
 

          
# by Switch-Blade | 2004-09-07 15:55 | 「外伝」第一話~第十話

「外伝」第二話

 私は幸い高等司令部(師団司令部など)に短い期間でしたが
勤務(専属副官ーいわば中将閣下の高級当番)した経験がありましたので、
兵隊さんは勿論、中隊長クラスでもあまり知らないことを経験しました。
つまり・・大きな組織しかもジャングル地帯に広く配備された
数多くの連隊を意のままに動かすには、当然「命令」をくださなければなりません。
一般には「すすめー」とか「右へ行けー」ぐらいにしか考えていないのではないでしょうか。
戦中の女性、兵隊さんでも知らないと思います。
 「命令」は謄写版刷りの文章でやります。
作戦命令でしたら作戦参謀が起案します。閣下が赤鉛筆で自分の意図で朱を入れ、
私が清書して隷下部隊数だけ印刷して高級副官が部隊の命令受領者を集めて交付します。これで初めて各部隊が動き出すのです。この間せいぜい30分、
いかに軍隊の行動が迅速であるか分かるでしょう。
軍隊が常に迅速正確をモットーに訓練されているかが分かるでしょう。
戦場には謄写版や歯科の治療台その他内地での生活が出来ると同じものが
外地の戦場にもなんでも運んでいるのです。
もっとも毎日の敵の爆撃で相当吹っ飛んでいますが・・・。  
参謀にも分担があり後方参謀,兵器参謀・・と上になるほど分化します。
方面軍司令部などは第1課、第2課に分かれていてそれぞれ課長がいるのです。
大体閣下なる方は陸軍大学校をでていて、
在校中に命令などをいかに簡潔明瞭にするかの教育を受けています。
参謀も同様ですが、その起案文にまた朱をいれて要点を漏らさず簡潔に直す
頭脳には感心した次第です。
上には上がいるものだと脱帽しました。閣下は皆参謀を経験します。
名参謀が名閣下になるのでしょう。今村大将は陸大をトップで卒業、
恩賜の軍刀組です。そのような方を最高司令官し頂いたわれわれは幸福でした。



 上記に登場した今村将軍少し書いておこう。
陸軍大将 今村均  ジャワ攻略に第16軍司令官として登場した。
(詳細な経歴は省略させて頂く)
現地住民を苦しめる戦術、そして政策を一切行わずに、巧みな謀略戦と現地住民の協力を得てジャワ島攻略に成功。
日本軍によるアジア解放を真剣に本気で考えていた将軍である。
占領地の軍政についてそれらは史実として残されている。
日本はアジア解放の為に開戦したが、多くの占領地では圧政を求める軍人が多くいた。
しかし今村将軍にとっては自軍の将兵も敵軍の将兵も、
不幸にも戦地となった現地の人も同じ人間であった。
ジャワ島の軍政で証明されている通り、占領地の現地人に強制労働もさせずに、
自由に解放し武器の携帯をも許し、第一にオランダの植民地支配から、
ジャワ島を独立させる事を考え、そして実行した。

そしてジャワで圧政を敷いていた敵軍であるオランダ人にも職を与えていた。

このことは軍中央からかなりの反感を買ったことは言うまでもない。
「厳しく圧政せよ」と命令されても方針を曲げる事無く頑として自身のやり方を貫いた

インドネシア初代大統領のスカルノは、当時独立運動の指導者として
オランダ政府によって投獄されていたが
今村将軍は彼をすぐに釈放してこう言った・・・(ほんとうの話なんだよ)
「これからは貴方は自由の身です。日本軍に協力するか中立立場を
取るか、どちらでも貴方の意思です。仮に日本軍に協力しなくても貴方の財産と生命は完全に保証します。

この言葉によってスカルノは日本軍政に協力を約束したのである。
終戦後、今村将軍は軍事裁判のためにジャカルタの刑務所に投獄された。
もっぱら死刑との噂が広まっていたところに、
スカルノの密使が面会にきた(勿論身分を隠してだろう。)
もし死刑が確定なら刑場へ向かう途中インドネシア独立軍があなたを奪還します
これに対して、今村将軍はなんて言ったと思う?
それはね
自分の為にインドネシア独立軍とオランダ軍が交戦するのは
忍びない、また日本人としてそのような形で生き延びる事は不名誉と考えます。

こうしてこの申し出を断った。
事実、今村閣下に対して酷評する人物はインドネシアには今も皆無である。
終戦後も今村将軍は破滅(自決)に走らず、卑屈にもならず堂々としていたという。
裁判では自らの行いに自信を持ち無実を主張し戦争犯罪の主張には
一歩も引かず反論した。裁判長が妥協を??促しても拒絶し心証を悪くしても
平気であった。。

       「外伝」と共に続く

  第二話完

  日本人の生き様を見させて頂きました。有難う御座いました。by Switch-Blade
ps 「ムルデカ」という映画を観てみましょう。。
# by Switch-Blade | 2004-09-07 03:56 | 「外伝」第一話~第十話

昭和16年12月8日

 朝から勇ましい軍歌の音楽と共に開戦のニュース。
よくTVなどでやっているでしょう。
私はまだ在学中でしたが、丁度その日は徴兵検査の日でした。
偕行社(陸軍軍人の集会所)で、行かはれ晴れて甲種合格
 帰りにローズハウスという行きつけの音楽喫茶店に寄り、
彼女に頼んでベートーベンの「運命」を掛けてもらいました。
第五運命はその後何回聞いたか分かりません。
よく音楽友達と、「トスカニーニ」だ、やれ「フルトベングラー」だ、「ワインガルトナー」だ
「ローゼンシュトック」だ、などと指揮者によって曲の表現の仕方が違う!
などと議論し合ったものです。
 話は戻りますが、徴兵検査の後、音楽喫茶店で懐かしい音楽を聴いていたなどという
話はまだまだ古き良き時代の名残りでしょうね。
その喫茶店は今はもうありません

そこにいた彼女も亡くなりました。

しかし「運命」の曲は、今でも第一楽章から、第四楽章まで憶えています。
私の青春時代の思い出です。おなぐさみでした。

  貴君からの資料で零戦の事が偲ばれました。
ラバウル西北の「ラクネ」というところで、出動待機をしている時、
ラバウル東飛行場(これが世にいう「ラバウル海軍航空隊」の基地)から
飛び立った零戦と一式陸攻が、丁度「ラクネ」上空でぐるぐる旋回しながら
編隊を組み雁刑になると東南方面に向けて出動して行きました。
ブーゲンビルかガダルカナル方面に行くのでしょう。
海岸に出て、思いっきり「頑張ってこいよ!!」と叫んだものです。
果たして何機が戻ってくるのかと思い、
つい涙が出たのを憶えています。

 「ラクネ」上空ではよく空中戦をやっていました。
高度が高いのでどちらが敵か味方か判りませんが、
片方が撃墜され落ちてきます!日の丸がついていると、
「畜生!!」と思ったものです。
空の戦場とはこういうものなのです、一機一人が失われたのです。

 第一話完  続く


<日本の航空機開発ならび空戦については、
 柳田邦夫著「零戦燃ゆ」に詳しく書かれている。
 色々な史実や叢書と、「戦陣の断章」の著者の記録と
 照らし合わせてみると、大きな誤差などは殆ど無く
 読んでいて緊張感すら覚えてしまう。>
 
                               by Switch-Blade

新!戦陣の断章
# by Switch-Blade | 2004-09-06 21:25 | 「外伝」第一話~第十話

戦陣の断章 「外伝」

 縁とは不思議なものである。

偶然なのか必然なのか、2年ほど前から親しくして頂いている大先輩がいる。
その方は本を自費出版されており、
タイトルは「戦陣の断章」である。
よくある血なまぐさいだけの戦記物でも、嫌な思いばっかりの回想物でもない
青春真っ盛りの20代前半、当時の健康男性なら誰もが経験した軍隊生活の
ほとんどを戦場ですごして来た著者は、日本人としての誇りを忘れず
ニューブリテン島での戦闘を戦い抜き、
現在は83歳になられ御夫婦共に健在である。

ここではその著者とメールや手紙、またお逢いした時にお聞きした
貴重な資料や体験談をシリーズとして紹介しようと思う。
勿論戦時中のことゆえ悲惨な話や壮絶な戦闘シーンも出てくる。
しかしながらまるで戦場を感じさせない、美しく悲痛な場面もある。
戦力の差がはっきりと出てき始めた昭和17年
ジャングルを上官と部下と共に戦い抜き、まさしく九死に一生を得て
帰還した経験談を纏めた著書に私は何度も涙を流してしまった。
「戦争はもうこりごりだ」著者は言うが、
そこには日本人として最後まで戦い抜いた誇りを壮絶なほどに感じてしまう。
やさしい目の奥に私は日本男児の心意気を垣間見た気がする。

なんと著者はPCを自在に扱い、自分とのやり取りの80%はメールによるものである。
時より興味深いサイトなどを紹介して頂いている。
メールのやり取りは現在300通をゆうに超えている。

自分も日頃から誇り高く粋に生きたいと願っているが・・・(中々うまくは行かないがね・・・)

続く
    
戦陣の断章 「外伝」_b0020455_0395160.jpg



「戦陣の断章」HPはこちらから
戦陣の断章
# by Switch-Blade | 2004-09-06 00:42 | 「外伝」について

対戦車手段不十分な場合の防御戦闘

by Switch-Blade
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