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われわれ陸軍部隊を上陸させるべく、ツルブ沖で停泊して縄梯子を下ろし、
早く早くと急かしていた1等駆逐艦「三日月」と「有明」の乗務員。
縄梯子から数人が同時に降りることは、揺れるため思ったほど簡単ではない。
何とか敵機に発見されないうちに海中に飛び降りて、
ツルブのジャンブルに上陸し、「有難う!!」と大声で礼を言った。

聞こえるべくもなく駆逐艦は沖に向かって帰って行った。
 
その両艦は、「昭和18年7月28日に帰還途中、グロセスター岬沖で座礁し、
ノースアメリカンB25に攻撃されて撃沈されたという。」と戦陣の断章に記した。
執筆当時、その筋から得た情報に基づいて記載したものである。

今、インターネットという便利な情報手段があり、この両艦について検索してみた。
なんと!両艦とも「昭和18年7月28日にグロセスター沖で撃沈された」とある。

われわれを下ろして帰還する途中で・・。
 
執筆した時の情報の裏付けを戦史叢書やインターネットでも得る事が出来る。
つまり真実だったのである。
 
今、改めて、あの時のことを振り返ると、ゾッと冷汗の出る思いである。
我々の乗った駆逐艦が、沖合いを航行中または上陸の際に敵機に発見されていたら・・・。
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著者は私に対し常にこのように言っている。

「我々を輸送してくれた艦が・・・と思うと胸が締め付けられる」
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これは私達にも十分に想像出来る

    by Switch-Blade
# by Switch-Blade | 2007-01-20 13:03 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

関係者各位

 おめでとう御座いますと云えない方々が多くいらっしゃいます。
しかしながら戦乱のこの数世紀、音楽と芸術を通して地球と呼ばれまするこの星に
どうか平和の時代が訪れますようたかが「一個人の私の願い」として祈り奉りまして候。
現実にありえないとされる世界の恒久平和は、それぞれの意識で変化するものと信じ、
私自身、微力ながらその支援が出来ますれば、これ幸いであるかと愚直な私の願いで御座います。

 国、宗教、思想の区別なく、
どうか音楽、芸術、美術、そして平和への願いを切に願い、
西暦2007年 皇紀2667年 平成19年。

皆様にとって良き年でありますよう心からお祈り申し上げます。
# by Switch-Blade | 2007-01-01 18:05 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

 今年も一年間有難う御座いました。

一年を振り返ってみると当ブログや新・戦陣の断章からのお問合せが多数あった事、
そして情報交換等が出来た事が思い出されます。
中には聞くだけ聞いてハイさよならっていうものもありましたが・・・まあ一年を通せばごく少数。

しかしながら当時の記憶や記録が薄れているということを痛感した一年でもありました。

コンタクトを執って頂いた方々、閲覧して頂いた方々には心から御礼申し上げます。

来年も「戦陣の断章」シリーズをどうぞ宜しくお願い申し上げます。
# by Switch-Blade | 2006-12-31 14:08 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

戦跡巡り

 別に戦跡巡りのグループを作っている訳ではないのだが、
ええっ!と思う所が実は名高い施設跡だったりする。
全国各地に驚くほどその跡が残されているのだ。
それは何も大戦中のものだけではなく、それ以前のものも含まれる。

それらの地で思うことは・・・

「ここから飛立ったのか・・・」とか

「ここで訓練したのかぁ」とか

「ここで耐え忍んでいたのか・・・」

「この地で覚悟を決めたのか・・・」

「ここがXX合戦の地か・・・」

「ここが上陸地点か・・・」

「これがその時の掩蔽壕か・・・」

「ここで製造していたのか・・・」

などと、当時の光景とクロスオーバーさせて見つめてみる。
ふっと溜息に近い浅い呼吸が、何故か当時の「音」を想像させるかのごとく
現実に聞こえているはずの音が完全に消える・・・
# by Switch-Blade | 2006-12-26 14:34 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

戦場に赴任

 我々の乗った輸送船団が、二週間余に及ぶ公航海を経てラバウル港の丸木桟橋に停泊した。途中、敵の魚雷攻撃にも遭遇し、また敵機に発見されながらもよくぞ無事に着いたものである。
新米見習士官七名は、初めての戦場に胸の高まりを抑えながら桟橋に足を下ろした。

----ここが戦場なんだ-----

 ここが戦場なんだと思うと足がガクガクと武者震いがしてきた。

昭和十八年一月早々のこと。
湾には友軍の駆逐艦や潜水艦が沢山たむろしていた。
我々の本隊はラクネ付近に駐留しているとは聞いていたが、ここは外国の地である。
身振り手振りで現地人に聞きながら駐留地を目指す。一同軍刀を腰から外し右手で下げながら歩いていった。
北へ進み、海岸道にでて西へ。右に海、左に椰子林を眺めながら歩く事40分。

「あったぞ!!」

板切れに「夏九八五三部隊」と墨書してあった!一同に緊張が走る!
いよいよ隊舎に到着し戸伏大隊長に着任の申告をして戦場の人となったのである。

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章 着任申告参照
# by Switch-Blade | 2006-12-14 14:15 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

外伝年末特別警報!

 勿論皆さんは既にご承知の事とは思いますが、
ここ最近年末スパム迷惑メール&TBが多発しております。
このブログをご覧になっている方は、軍事関連記事、ニュース及びキーワード以外で
TBしているURLを踏まないようにご注意頂きたい。
インターネットの普及が著しい昨今、こうした「迷惑」物が姿を消すまで相当な時間が掛かる事でしょう。もしくは手を変え品を変えて現れてくる事と思います。
皆さんが苦心して作り上げたwebサイトや、高価なPCに被害が及ぶ事を防げればと思い一筆記しました。

 さて、新・戦陣の断章 SAMURAI SPIRITSは、お陰さまで順調に?完成しつつあります。
目下各資料の一覧表の製作に戸惑っておりますが、全国各地からの閲覧を頂、誠に嬉しく思っております。

-----------うおっ!ここで地震2発目!-------------------------------

と言ってる間に早速無関係TBかぁ~
このブログや新・戦陣の断章の閲覧者様は内容的に若い方ばかりではございませんので、
注意書きとしてご参考頂ければ幸いで御座います。
とにかく無作為にリンクされるTB(トラックバック)は踏まないで下さいね。
# by Switch-Blade | 2006-12-09 12:32 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

運命の日

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章 Diary of war No,01「運命の日」
をどうぞご覧下さい!!

著者と同じようにこの日を迎えられた方もいらっしゃる事と思います。
# by Switch-Blade | 2006-12-08 18:18 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

粕谷正勝氏著(東大法学部卒・第17師団歩兵第81聯隊)

前略
 
 敵は、わが第一線を蹂躙したあと、戸伏大隊本部の位置に迫った。敵の戦車4両が進撃してきたのであった。戸伏大隊本部には、酒井中隊の一個小隊30名が予備隊として控えていた。
その擲弾筒分隊長に野々村軍曹がいた。彼は高知県出身の兵士で、17年のフィリピンバターン攻激戦に参加して豪胆な彼は抜群の戦果をあげて個人感状に浴して2階級特進して軍曹になった。
 敵はもう抵抗する者のないジャングルを慎重に前進してきた。50m位に接近して本部も潰滅の危機に陥った時、彼は自分の擲弾筒分隊を率い、大隊副官の塚本博利少尉とともに迂回して敵戦車の右側に廻った。敵が30mに接近してきた頃合を見て、背嚢を腹に合ててその上から擲弾筒の底板をあてがい敵戦車に対して水平射撃を試みた。
 その榴弾は2発目から敵戦車の砲塔に続いて命中、轟然たる炸裂音と衝撃に敵の操縦士は震え上がった。敵兵は天蓋をあけて脱出、これに勢いを得たわが隊は、第2の戦車に対しても同様の攻撃を加えた。戦車の支援を失って同様する敵の随伴歩兵に対して本部の総力を挙げて反撃したので敵は前進を停止した。攻撃を停止した敵は15:00頃に2両の戦車を放棄して漸く引き上げにかかった。
 酒井隊陣地内でかく坐した2両と大隊本部付近で放棄した2両を除く6両の戦車は、お互いにサイレンで合図をとり戦死傷舎を収容しながら随伴歩兵を伴って撤退を開始した。
 これを岬の方から砲撃で援助していたが、16:00を過ぎると砲撃もまばらになり、黄昏近くなって漸くもとの静寂に戻った・・・
この戦闘において戸伏大隊では約30名の戦死者を出し、民輪隊も若干の戦死者を出した。わが鯵坂隊では戦車の突入は免れたものの、砲撃により4名の兵士を失った。

 まる一日に及ぶ長い戦闘は終わった。
米軍はわが軍の一掃を計ったが、わが方も多大な犠牲者を出しながら陣地を死守したのであった。
第一線の塚本隊の頑強な対戦車攻撃がなければ戸伏大隊は全滅していたに違いない。


-後略-
# by Switch-Blade | 2006-12-05 14:41 | 「外伝」ニュース | Trackback(1) | Comments(0)

 新・戦陣の断章 Diary of war No,43を更新致しましたのでご覧下さい。

先日届けて頂いた数話の資料から先ずはこの話から・・・と思い、更新致しました。
しかしながらとても残念なお話をしなければなりません。
この43話で登場する、船舶工兵第一聯隊の艇隊長、小堺氏がお亡くなりになられたそうです。
しかもこの原稿を更新した後すぐに連絡があり、私はまるで逢った事がある人のように悲しくなってしまいました。
「何故、この記事から更新しようと思ったのか?」これで解ったような気がします。

小堺氏は既に新・戦陣の断章に登場しておりますが、「マーカス岬の戦闘」が成功したのも、
これ小堺氏の慎重な判断と周辺海域を熟知していた賜物であると、私は思っております。
進攻中敵の魚雷艇を二隻撃沈した功績は、艇隊長率いる船舶工兵七隻の戦果であり、
米海兵隊公刊戦史にも記録されております。

小堺氏には心からご冥福をお祈り致します。

                 本当にご苦労様でした。


------------------黙祷--------------------------------------


                             by Switch-Blade
# by Switch-Blade | 2006-12-04 22:52 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

花吹山の噴火!

DIARY OF A RADIO MAN IN PNG 噴火第27報。

先月、ニューブリテン島ラバウル近郊の花吹山が噴火したそうです。
Radio Manさんのブログを見たT氏から連絡を受けました。
早速拝見すると・・・こりゃあ凄い!!!いやはや驚きました!

当時ラバウルにある飛行場は、この花吹山からの火山灰で相当苦労したそうです。
現在の機体とは違うので当時の整備員達のご苦労が想像できます。

当ブログを通して知り合った方に、
パプア・ニューギニア方面で生活しておられる方がいますので心配しております。
また、丁度噴火前に慰霊の旅でラバウル、ツルブ、マヌス島を訪れた方がおりましたので、
正直ちょっとびっくりしています。
# by Switch-Blade | 2006-10-18 17:08 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

祝!!9月10日!!

 九月十日は「戦陣の断章」著者、塚本氏の誕生日です。
しかも年は違えども九月十日という日は、塚本氏が所属していた
歩兵第百四十一聯隊の軍旗を親授された日でもあるのです!
このような偶然があるとは、何か因縁のようなものを感じてしまいます。

お誕生日おめでとう御座います!心からお祝い申し上げます!!

昭和十七年十二月八日徴兵検査を甲種で合格され、晴れて帝國陸軍軍人の道へ。
福山の歩兵第百四十一聯隊に入隊しニューブリテン島西部に位置するマーカス岬へ転戦。
マーカス岬では壮絶な激戦を経験し、ラバウルへの約600㎞に及ぶ地獄道、
地獄街道とも呼ばれた「カ号作戦」に基づく転進を経験されました。
当サイトでも詳しく記してあります。

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章に詳しく掲載しておりますのでご覧下さいませ。

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福山歩兵第百四十一聯隊とは?

昭和16年7月、日本は対米英開戦の瀬戸際に立たされており、
万一の開戦に備えて新しい軍の編成やそれに伴う部隊の動員の準備中でありました。
昭和16年8月初旬に、広島県福山市西郊の西部六十三部隊に、
広島、香川、高知の各県より予備役を召集し、
新設の第六十五旅団司令部歩兵第百四十一聯隊を編成しつつあり、
昭和16年八月十日、福山の「歩兵第四十一聯隊」補充隊の昭和13年、14年、
15年徴兵の現役兵は、 この新設中の歩兵第百四十一聯隊に転出を命ぜら、
これらの現役兵を基幹に聯隊の編成は着々と進められていきました。
昭和16年9月10日、初代聯隊長の今井武夫大佐と浮田幸雄少尉は、
宮中に参拝して新たに「軍旗」を親授され 、ここに「歩兵第百四十一聯隊」は誕生致しました。
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本日を持ちまして「84歳の戦陣の断章」は「85歳の戦陣の断章」と改めさせて頂きます。
皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章はこちらから
# by Switch-Blade | 2006-09-10 00:00 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

8月15日

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「靖国で会おう」
8月15日が特別な日という事ではなく、この言葉には深い意味がある。
何故か毎月2回は参拝している自分にとっては、いや・・・
恐らく生前の祖母が欠かさず参拝を続けていた事が、
今の自分の靖国参拝の礎になっているのだなと思う今日この頃。
軍人、軍属として戦地に赴いた曽祖父、祖父、親戚達・・・遺骨などありはしない。
自分は、右翼、左翼、中道右左派関係なく靖国神社、護国神社が存在する限り、
いつものように普通に参拝し続ける事でしょう。
# by Switch-Blade | 2006-08-15 00:11 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

原爆の日

------------------------黙祷---------------------------------------
 
 広島に投下されてからわずか3日。
2発目も軍関連目標ではなく市街地へ投下された。
当初作戦計画では八幡製作所や佐世保であったらしいが、
燃料残量の問題から偶然に長崎へ投下される事となった・・・
勿論、私には真実はわからない。
しかし2度目も市街地だったという事は、最初から目標は市街地だったと考察する。

 現在そして将来に渡って後遺症を残す事になったこの2種の新型爆弾。
使用すればどんな事になるか?世界中の核保有国は理解しているはず。
しかしこの2発が齎した多くの悲劇と苦痛は日本人の中でも薄れている事も事実だろう。
武器を用いなければ、国を守る事が出来ない事は至極当然の事だが、
我国は通常兵器の配備だけで、原子爆弾は保有していない。
声高に平和を唱える国の多くが、原子爆弾を製造し所有している。
この兵器が及ぼす惨状と悲劇を、カードとして利用するだけならまだよいのだが、
(決してよい事ではないが)
いずれ何処かで、大小各種原子爆弾が使用される可能性は大きい。
使用されれば、広島、長崎のそれよりも被害が大きく事は当たり前の事で、
それが化学の進歩という悲しい現実であろう。

 全ての戦争、そして戦闘での悲劇の前に、戦争経験のない私達は、
過去に起きた壮絶なこの時代の事を、後世に伝えなければならない。
何よりも聞くことと調べる事だ。どんな話も耳に入れる。
戦場での勇敢な行為、悲劇、これらを語らせないように、
話したらいけないようにしていた戦後の時勢はもう終わった。


後世に伝える事。決して難しい事ではない。

      戦陣の断章管理人 Switch-Blade
# by Switch-Blade | 2006-08-09 13:48 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

原爆の日

-----------------------黙祷---------------------------------------

たった60キログラム程度のウラン235がもたらした想像を絶する被害は、
61年経った今現在でも何十万人という多くの人々を苦しめております。
日本は世界で唯一この新兵器の実験場として二度も投下されました。
それ以後、世界で開発されたこうした核分裂反応、熱核反応を利用する大型兵器は、
どの国も行使されてはおりません。私達の国、日本だけです。
爆心地から2キロはほぼ壊滅状態。3キロ以上離れていても火傷を負い、
現在に至る後遺症の原因となっています。
人の影が、壁に、フィルムのように焼き付けられるほどの強力さを持つ・・・

海軍省調査課中山中佐が開戦前のアメリカで入手した、革新的新兵器の情報。
「生きとし生けるものを焼き尽くす」新型兵器。帰国後報告しても、
誰にも相手にはされなかったそうだ。※1
開戦前からこの信じられない情報を入手していたのである。

さて、ここから下は昨年の「八月六日」からの同文を記します。
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昭和21年5月17日 復員完結。
各主要都市の被害地図の中に宇都宮の地図を発見。
宇都宮の両親はおそらく実家のある広島(県北部の田舎)に
疎開しているだろうと早飲み込み。
上陸港名古屋の復員局で手続きを済ませ、大荷物を背負ってやっこらさ広島駅へ。
駅を降りるや・・目の前に現れた原爆の惨状。
駅あたりから海が見えたのです。
瓦礫の山、ぶら下がった電車、電柱の架線。
「これだな!!」と初めて原爆被害の現実を目の当たりにしてゾッとしました。
 
私の親戚にも原爆被害者が数人おります。
そのうちの一件は、息子さん(海軍兵学校卒の少佐)が戦死、奥さんと娘さんが丁度広島へ
用足しに行っていて原爆で亡くなりました。
もう一件は、現存されていますが、原爆投下時に広島方面に行っており被爆しました。
原爆被爆手帳を持っており、現時80歳くらいかと思います。
女学生の頃だったのですが、軽症だったのでしょう。
現在は、原爆被害証明には3人の証人が必要とのことです。

 原爆が投下された日から9日後の8月15日 
全将兵が、よく聞き取れない無線電波で終戦の玉音放送を聞く。
よく意味が判らず翌16日初めて細部を理解。さあそれからが大変でした。
無念の気持ちを押さえながら部下に対し軽率な行動を慎むよう説得です。
自分でさえ自決したいような気持ちでしたから深刻でした。
ましてこれまで負けたという実感を知らない私には信じ難い屈辱だったのです。

今、戦後60年といいますが、

私には区切りはありません。

戦中戦後の苦しみを知らない為政者が大部分を占める今日。
いかにも知ったかぶりをしている政治家も、こういう機会に何回でも遊就館、
知覧などの記念館を見て欲しいと思うのです。
いまは自分の選挙のことで頭は一杯でしょうね。       

終戦60周年にあたり、おおいに原爆の恐ろしさを伝えたいものです。
アメリカでは、「あの当時原爆を使わなければ日本は降伏しなかったからだ」
と正当化しようとしているようですが、とんでもない屁理屈です。
目下報道されている原爆被害者のむごたらしい姿を見れば、
原爆を持つこと自体ためらうのが通常の人間の神経ではないでしょうか。

私も、過去を振り返り、今あることを噛み締めています。
 

 <著者からのメールをご紹介致しました。
後世に伝えるためには、色々な話を聞かなくてはなりません。
この国を守るために命を懸けて戦った方々、そして銃後を守り原爆や
空襲の犠牲になった方々の思いを伝えなくてはなりません。
皆さんの周りにも当時を知っているご親戚や知人が沢山いると思います。
どうか戦争体験者の方々の言葉に耳を傾けてください。
そして、後世に語り継いで欲しいと思います。
                     by Switch-Blade>
-----------------------------------------------------------------------------
サイパン島、南洋諸島方面、フィリピン周辺~レイテ沖、予科練出特攻隊員。
陸海軍軍人軍属・・・調べ上げてみたらきりがないほど出てくる私の親戚の歴史。
たった60~数年しか経っていない頃の事を正確に伝えるという事は

決して難しくないはずだ。

                        by Switch-Blade
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新・戦陣の断章~SAMURAI SPIRITS



※1 阿川弘之氏著 井上成美 から一部引用抜粋
# by Switch-Blade | 2006-08-06 08:15 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

18日沖縄方面根拠地隊司令官 大田 實 少将 は夕訣別電を第10軍司令官宛に打電。
この日153高地が陥落した。

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既二通信力ナク 第32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ルニ暇ナカリキ 然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ 家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚 砲爆撃下 ‥‥風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹飯婦ハモトヨリ 砲弾運ビ、挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮 、敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ 身寄無キ重傷者ヲ助ケテ‥‥真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳(は)セラレタルモノトハ思ワレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫 勤労奉仕、物資節約ヲ強要セラレテ 御奉公ノ‥‥ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ‥‥コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島実情形‥‥一木一草焦土ト化セン 糧食6月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄縣民斯ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも県には通信力なく
第32軍司令部 又 通信の余力なしと認められるに付 緊急御通知申上ぐ
沖縄島に敵攻略を開始以来陸海軍方面防衛戦闘に専念し
県民に関してはほとんど顧みる暇なかりき。
然れども本職の知る範囲においては県民は青壮年の全部を防衛招集に捧げ、
残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、
わずかに身を以て軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難し、
砲爆撃下風雨に曝せれつつ乏しき生活に甘んじありたり。
しかも、若き婦人は率先軍に身を捧げ看護婦、
炊事婦はもとより砲弾運び挺身斬込み隊すら申し出るものあり。
所詮敵来たりなば、老人子供は殺さるべく婦女子は後方に運び去られて
毒牙に供せらるべしと親子生別れ娘を軍衛門に捨てる親あり。
看護婦に至りては軍移動に際し衛生兵すでに出発し、
身寄りなき重傷者を助けて真面目にして一時の感情に駆せられたるものと思われず。
更に軍に於いて作戦の大転換あるや自給自足、
夜中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ輸送力皆無のもの
黙々として雨中を移動するあり。
之を要するに陸海軍沖縄に進駐以来始終一貫勤労奉仕物質節約を強要せられて御奉公のXXXを胸に抱きつつ遂にXXXことなくして本戦闘の末期と沖縄島は実情形XXX一木一草焦土と化せん。
糧食6月一杯を支ふるのみなりと謂う。

沖縄県民かく戦へり、県民に対し後世特別の御高配を賜わらんことを。
# by Switch-Blade | 2006-06-23 19:05 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

古本市

 いやあ随分と更新もせずにほったらかしてしまいましたが、
先日ちょっと嬉しい事があったので久々の更新です(^^)
新宿西口地下にて古本市をやっていたので覗いてみる事にしました。
時間的に余裕がなかったのですが、全店くまなく探してみると・・・
戦史叢書「本土防空作戦」を見つけました!!!
その他にも色々とあったのですが、
いずれも市販されているものでしたので戦史叢書だけを購入しました。
戦史叢書は絶版で古本屋さんにも中々置いてない為、
時間を割いてでも「覗いてみるものだなぁ」と思いました。

前回は帝國海軍の潜水艦に関する資料本を見つけはしたのですが
これは購入しなかった事を未だに後悔してます。(こちらも絶版)

もしもあなたが絶版物の古い書籍や資料を見つけた場合、
これを逃したら二度とお目にかかれることはないと思います。
多少懐が寒くても購入する事をお勧めします(^^)
# by Switch-Blade | 2006-06-22 15:12 | なんてことはないお話 | Trackback | Comments(0)

1423時
左舷側に35度傾斜。総員退艦命令。
ほぼ横転した状態で前部砲塔等の誘爆により沈没。
火柱爆煙は上空六千mまで立ち上がり、鹿児島から目視。
九州坊ノ岬沖90海里、北緯30度22分 東経128度4分 
乗組員二千四百九十八名戦死 。


                          黙祷
# by Switch-Blade | 2006-04-07 19:24 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

いよいよ開花!

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 いやあ~今年も桜の季節がやってまいりました。
いち早く咲き始めた場所の情報を聞きつけ早速行ってきましたよ。
惚れ惚れするほど美しい桜に暫し見とれてしまいました。


Samurai Spirits 新・戦陣の断章はこちらから!戦陣写真館公開中!
# by Switch-Blade | 2006-03-26 17:20 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

黙祷

   
都民、国民にとって忘れてはならない日です。

         黙祷



              
# by Switch-Blade | 2006-03-10 21:46 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(2)

古本屋にて

 先日資料を探して古本屋さんのサイトを検索していると、
部隊壊滅!!西部ニューブリテン島という本を発見し、
早速注文をしてみることにした。
数日後、本が到着し読み始めてみると、
著者は捜索第51連隊本部通信班無線分隊長をしておられた方で
ウインボイ島防備強化のためツルブに転進し、その転進初動期ロロバウ島において
壮絶な戦闘を経験してこられた方でした。
読み進むうちになにやら見慣れた名前が・・・
なんと戦陣の断章著者T氏の名前が出ているではないか!
早速、戦陣の断章著者T氏に連絡してみると、

「Fさんとは・・・・。驚きました。
その昔、家内ともども彼の実家の長野に招待されて
安曇の山葵田などを案内してもらいました。
彼は、大正8年生まれ。宇都宮騎兵第第18連隊(野戦では捜索第51連隊)に
入営した方です。長い軍隊生活を経験しています。
「戦陣の断章」を読んでくれてからの戦友です。
捜索第51連隊とはとても縁の深い連隊でした。」とのこと。

これは何かの縁なのだろうかと、ついつい感じ入ってしまった。
この本の中にニューブリテン島の地図があるのだが、
ラバウルからツルブへ向かった事と、「カ号作戦」転進ルートが詳しく記入してあった・・・
記入してある内容と略語は明らかに素人の記入ではなく
当時の転進の模様を秘匿部隊名で書かれており、
数人の上官と部下の名前も書かれていた。
恐らく記入者は、第十七師団所属の野戦病院関係の方じゃないか?と推測してみた。

たまたまネットで購入した本が、
ここまで興奮する材料になるとは思いもよらない事だ。
これも何かの縁なのだろう。


新・戦陣の断章 Samurai Spirits
戦陣写真館公開中!
# by Switch-Blade | 2006-02-25 15:45 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

謹賀新年

明けましておめでとう御座います。
今年も「84歳の戦陣の断章」「新・戦陣の断章 Samurai Spirits」をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
# by Switch-Blade | 2006-01-01 17:52 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

「84歳の戦陣の断章」スタートから一年が経過した時点で、正規HPの作成を開始した事はお知らせしている通りで御座います。この度まだまだ未完では御座いますが、新サイトを公開致したくこのブログを借りましてご報告致します。

タイトルは「新・戦陣の断章~SAMURAI SPIRITS」

ラバウルでの陸軍作戦詳細やカ号作戦、ラバウル篭城戦そして終戦後トーマにおいての収容生活などの資料を公開し、画像や動画ともに充実してまいる所存で御座いますので、皆様どうぞ宜しくお願い申し上げます。

ご協力頂きました、多くの方々に深く感謝致します。
 
マーカス岬管理人 Switch-blade
# by Switch-Blade | 2005-12-24 15:04 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

12月8日 開戦記念日

1941年12月8日午前3時19分現地時間7日午前7時49分、
ハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃、
3年6ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した日です。
「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意の暗号電報、
「ニイタカヤマノボレ1208」が発せられ、ハワイ攻撃が開始。
同時にマレー、シンガポール作戦も展開されました。
ハワイ攻撃をZ作戦、マレー攻撃をE作戦といい、これを同時進行。
どちらかが先行すれば失敗に終わる恐れのある作戦でした。
マレー作戦敵前上陸地点コタバル周辺とハワイ附近では
およそ6時間の時差があり、マレーの夜はハワイの払暁にあたります。

参加全将兵、銃後を守備したすべての国民に深く感謝致します。
# by Switch-Blade | 2005-12-08 12:56 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

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 気が付いたらもう朝だ・・・夜更かしも程々に・・・
少年XXX兵という兵種が(兵種でよいか?)多く存在した事は、
著者からのメールで改めて思い知った。
彼らは私よりも遥かに若い!しかし私の方が遥かに幼いのではないだろうか?

私は私よりも若い、私の祖父の世代に感謝する。

「外伝」の趣旨とは、少々ズレでしまったようだが、

今宵、これら画像で一献。


     by Switch-Blade
# by Switch-Blade | 2005-11-26 06:08 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(0)

 先日、ふとした思いつきで先輩?友人?と「若獅子神社」へ行った。
そして、戦陣の断章の著者様から「戦車に係わる感慨」を頂きました。
私はミリオタって訳ではないのだが、幼少時に(小1位か?)初めて手にした、
坂井三郎氏著、「大空のサムライ」を読んでからというもの、陸海空と読み漁った。
頭に入っているかは疑わしい・・・日米英中韓仏蘭印等々・・・
最近ごっちゃごちゃなHDを整理していると、懐かしい画像やファイルが出てきた。
コノ画像は古いコンパクトデジカメで撮影したものだが、
今思えば何故にコンデジなの?である。
とはいえ、お見せできるぎりぎりの画像をUPしようと思いました。

ちなみに、当ブログの全画像は個人鑑賞以外の転載、
商用目的での利用は一切禁止しております。
どこかに画像をUPしたい場合については、「当サイト名を表記して下さい」
「じゃあネットでUPなんかするな」と言わずに、守って頂けると本当に助かります。
それでは4枚ほど。名称等に誤記がありましたら、お許しくださいませ。

203mm自走榴弾砲
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74式戦車
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89式装甲戦闘車
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96式装輪装甲車
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 いやあたまたま良席チケットを頂いて、「感謝感激の一日だったなぁ」と、
今でも鮮明に憶えております。しかし、楽しんでいる自分の頭の片隅で、

「楽しんでいる馬鹿があるか!浮かれてないでしゃんとしろ!」と言っている、

もう一人の自分がおりました。

                                by Switch-Blade
# by Switch-Blade | 2005-11-25 18:51 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(0)

どこの国の戦車も同様、装甲の厚さ、砲の口径、貼視孔の巾etc.には苦心するようです。
鉄の固まりのような戦車は戦場によっては大いに威力を発揮するでしょうから。
しかし、「マーカス岬の戦闘」に見られるように、何台向かって来ようと
先ず随伴歩兵を混乱させて戦車を盲目同様になった状態にしてしまえば、
一方で対戦車、一方で対随伴歩兵と手分けをして攻撃出来、
味方の被害も僅少で済みます。これが幸い功を奏したのです。
どこにも通用する戦法とは思いませんが(^^)。

戦車はずう体がでかいから有利とは限りません。要は地勢に応じた用兵如何でしょう。

私が久留米の士官学校在校中、歩兵、戦車、飛行機による
合同演習をやった時のことが思い出されます。

戦車兵は将兵皆小柄でした。さもあらんと思います。
この時、戦車連隊の将校から「戦車の弱点」を教わりました。
これが私の「マーカス岬の戦闘」で活かされたのかも知れませんね。
   
当時、久留米の戦車連隊に西住戦車長が乗っていた戦車が展示してありました。
西住小次郎中尉が日中戦争の徐州会戦で乗っていたものです。車体中無数の弾痕があり、
弾痕には白ペンキで円く囲ってありました。
彼は、この功績で大尉に特別昇進したのです。 
この伝記は、1940年松竹映画で上原謙が西住隊長役で映画化されました。
あの図体の大きくて重い戦車は、戦場への輸送も大変だったろうと思います。

  終戦時、ラバウルの港湾に砲を外したわが戦車が

  ずらりと並んでいた風景には涙がでました。

私の旧制中学時代の旧友で士官候補生出のU君が
中国戦線で戦車隊長をやっていました。
八路軍との戦闘中、生憎敵弾が貼視孔に命中し
敵弾が脳に達し、名誉の戦死を遂げました。

戦場でも「運」が着き纏うものです。私の経験もいくつか紹介したとおりです。

多分貴君の親戚の軍隊経験者にもあったことと思いますが・・・。
戦車の所属が判りました。少年戦車兵だったとは・・
あの時代には15~6歳の「少年OO兵」が随分誕生しました。
今では考えられない憧れがあったのでしょうね。
可哀想というか悲壮感というか。今になって振り返ると複雑な思いがしますね

以上戦車に係わる感概を送りました。

戦車と対峙し擲弾筒を有効利用偶然ではなく、著者が合同演習時に戦車聯隊の
将校に戦車の弱点を教わった事がマーカス岬の戦いに生かされたのだなと感じました。    以上、著者から頂いた戦車に係わる感概を掲載致しました。


                       by Switch-blade
# by Switch-Blade | 2005-11-04 22:08 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(2)

思いつきましたよ!

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 彼は自分を友人と呼んでくれているが、自分よりも20歳以上も目上の元プロである。
学卒で詳しくは書けないが大変な経歴をお持ちである。
夕方前に訪ねてきて、持参してくれた当時の様子を撮影した資料映像のDVDを見て
雑談を交わしていた。もっぱら、旧軍の話題に花が咲き、68年以上経過した映像を見ながら
現代のよく言われている、旧軍の非難話を検証していた。
お互いに当時の事を、現代の尺度で語る事はもっともおこがましい事、そして愚かな事と日ごろから話していたので、「ああすればよかった こうすればよかった」などと言う話は皆無。資料映像で生徒隊長や教官が発する言葉をじっくり聴いていた。やれ陸軍が悪かったとか、明治、大正はよかったが昭和は云々と言われていた事が、いとも簡単に吹き飛んでしまった事は言うまでもない。日本が悪かったと言わないと、色々と面倒なのだなと深く感じる所存である。
「日本が悪かった」と言うことを信じて止まない人たちも多くいるが、それらはほっとく。

兵器というものはそれぞれ用兵を考えて設計するものではありますが、よく聞く話や市販本などで笑止してしまうことの一つに、戦車という兵器があげられる(戦車に対してで無い)。何故笑止かというと・・・何故18tなのか?だったのか?を、考えずまた何故・・・と、色々出てくる。帝国陸軍の戦車運用は、当初から敵陣を強襲する歩兵部隊の補助兵器であり、対戦車戦を想定して設計したものではありません。ある程度のの知識を持ち合わせている方は解る筈ですね。また、港湾施設のクレーンの限界は18tであったという事を念頭に置いていただきたい。これらを理解せずに帝國陸軍の戦車は装甲が云々と言ってはいけないのではないでしょうか?分解して輸送すればいいのでは?こういう意見も聞きますが、よく考えてみてください。現代の技術、装備とは違うのです。ドイツ、アメリカ、ソ連の戦車と安易に比べてはいけないものと自分は考えます。確かに、装甲を厚くし大口径の砲を・・・とは思います!!!しかし、それら3国の戦車は完全に対戦車として設計されたのですから、一緒にしてはいけません。某旧軍の何某氏は、ドイツの戦車に乗った際に「「まるで建物の2階のようだ」と、仰いました。彼は対戦車戦を想定した戦車を、当時の日本でも作りたかった事とお察し致します。


その日は休日ではないが、自営業の強み(弱みでもある)で、夕方早々店を閉め(ごく稀のことなのだが)「じゃあ若獅子神社に行こう!!」と言われたら断ることは出来ないでしょう(自分はって事ですからね)。思い立ったら吉日!深夜の強行軍、東京~静岡をすっ飛ばしました!そして、若獅子神社へ到着、装備を整え撮影です。あらかじめ「撮影許可を求める祝詞を称しましての撮影でした」どうですか、この英姿。自分は涙し、そして一礼、二礼を致しました。
昨年ノ火演とクロスオーバーしたのは言うまでもありませんね(^^)

自衛軍と名称が変わるわけだが・・・・
おもな国は、「せるふでぃふぇんすふぉーす」は、国防軍でありますからね!念のため!
# by Switch-Blade | 2005-11-01 04:33 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

七十五話では、戦史叢書などから引用しましたが、
実は戦史叢書にも記されていない事実があります。

【著者曰く】
「無事大任を果たして本隊に復帰した」とありますが、
ウラモアに残置された稲木中尉は任務中大変な目に遭遇しました。
無事どころではりません。情報機関として勤務中の夜中に敵性土人に急襲されました。
不意打ちを食らったのです。彼は素手で立ち向かいましたが、
右手を蕃刀で切りつけられて重症を負いました。
任務を終え本隊に帰還してから手術を受けましたが結局右手を失いました。
今は故人になりましたが、戦友会には左手ぶらぶらでよく出てこられました。
1期上(新谷中尉と同期)ですが、私は彼に可愛がってもらいました。
新谷さんはまだ元気ですが難聴のため今では会話は出来ませんが、
漢詩の詩人で手紙はくれます。


私同様マーカス岬での生き残り組です。

戦後亡き藤山君と三人で福山連隊跡で会ったことがあります。

<上記コメントを頂きました。
まだまだ叢書には記されていない事が沢山あると思います。
復員後、戦友会などで交わされた会話の内容にとても興味があります。
それらを一つでも多く記すことが出来ればと考えております>
# by Switch-Blade | 2005-10-09 01:19 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(2)

 一ヶ月以上も外伝の更新をSTOPしておりましたが、改めてスタート致します。
実は現在、84歳の戦陣の断章の総纏めとして、新サイトを製作中です。
内容は、ニューブリテン島での記録、戦陣の断章とマーカス岬の戦闘を網羅し、
当時の秘蔵画像などをご紹介できればと考えております。
資料としての正確さをモットーに、戦史叢書、公刊戦史、数々の市販図書、
そして当時を知る方々の証言を照らし合わせて、纏め上げようという物です。
終戦後の作業の様子や、各集団のお話、そして、このブログがきっかけで
情報交換をはじめた方々の、お話も随時追加していく予定です。
完成後にこちらでもご紹介致しますので、気長にお待ち頂ければ幸いです。

 さて、タイトルの情報機関の残置ですが、
カ号作戦の発動に伴い、第八方面軍は第十七師団に対して、
敵中に孤立残存して情報を収集すべき小部隊の残置を命じました。
第十七師団長はこれに従い次の各部隊を配置し方面軍直轄としました。
記録に残っている部隊は
タ機関(ダンピール岬附近の山中)
歩兵第五十四聯隊の中川少尉以下十八名。
カ機関(ガブブ附近の山中、ロロ山)
歩兵第五十四聯隊の森田中尉以下十六名。
勇機関(ウラモア附近の山中)
歩兵第百四十一聯隊の稲木少尉以下十名。
これらの諸機関の任務は、敵艦隊、航空その他部隊の情報収集、報告の他
カ号作戦の援護の目的にあった。
三月の初めに設置し、さし当たって四ヶ月間の行動を目途として行動を開始、
各種の準備をした。タ機関については、当初予備役将校の吉尾少尉に
発令されたが、師団司令部の指示で陸士五十六期の中川少尉に変更となった。
 残置後、間もなく部隊との通信は途絶したが、タ機関からは五月二十日、
「われ突撃する」との通信を最後に状況は不明となり、
カ機関は五月上旬交戦中との通信を最後として報告してきたが、
二名が負傷の為に捕虜となり他は全滅した。
ウラモアの勇機関は下山の命令を受け任務を果たし無事本隊に復帰した。
戦史叢書によると、カ機関の捕虜は一名と記されている。

※引用抜粋
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・戦陣の断章 同著 マーカス岬の戦闘
# by Switch-Blade | 2005-10-08 02:18 | 第七十一話~第八十話 | Trackback | Comments(2)

祝!

 83歳の戦陣の断章は、おかげさまで一周年を迎えました。
そして本日は戦陣の断章の著者の誕生日で御座います。
この場を借りまして、心からお祝い申し上げます。
本日を機にブログ名の変更をさせて頂きます。

本日から「84歳の戦陣の断章」となります。

今後とも当ブログをどうぞ宜しくお願い申し上げます。

            by Switch-blade
# by Switch-Blade | 2005-09-10 15:53 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)