自習時間

 最近更新を控えておりました。もっとここで紹介したいのですが執筆にあたり出し惜しみしております(笑)一般にブログ日記に記すには勿体無い感ありと感じ、新・戦陣の断章の整備と執筆に専念したいところです。
先日同方面ツルブで戦死されたご遺族のかたの依頼で執筆活動をされている方から電話がありました。「全て順調に進んでいる」と朗報。
部隊編成図や聯隊史など微力ながらご助力できた事が何よりも嬉しかったです。

 さて本日は戦陣の断章の著者から丁度この時期の出来事を送って頂きましたので記しておきましょう。当時のこの時期の事を反省録に詳細に記されているそうです。

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久留米第一陸軍予備士官学校に在校中、毎晩の自習時間にその日にあったことについて
「反省録」に実施事項と自己反省を記載した。(抜粋です。)

6月14日(日)雨


<週番士官殿の注意事項>
「敬礼の厳正」 一般に声小さし。敬礼後、指示あるまで次の動作に移るべからず。 

<反省>
本日の夜、自習室において雑誌(酒保で買ったもの)を読める候補生あり。
いやしくも自習室は、われわれ候補生の修養の場なり。
かくのごときは断じて許すべからざる行為なり。
すべからく将校生徒の衿持を忘るなかれ。
いよいよ梅雨の候となれり。健康に最も注意を要す。

6月15日(月)晴

<行事>、
午前 高良台第二地区において・・・「時間に余裕なき場合の擲弾筒分隊の陣地占領及び防御」午後 中隊長殿の学科 「作戦要務令」講義  於第2中講堂
夜間 「対戦車肉薄攻撃に関する映画」上映  於講堂

<中隊長殿の注意事項>
1 中隊全員 精神の緊張を欠く。
1 淡白率直なれ。

<週番士官殿の注意事項>
紛失物多きにつき、各人一層自己の所有物を責任をもって保管せよ。

<反省>
自習室において雑誌を読めるO候補生は、遂に重謹慎の罰を受けたり。入校以来1か月余、
第二中隊しかも第二区隊よりかかる者を出したることは中隊の恥なり。全員よろしく前者の轍を踏まぬよう諸規定の履行をなすべきなり。
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著者曰く、「今改めて振り返れば随分堅苦しいことを書いたものだと、今読んでみると微笑んでしまう。当時はカタカナ書きでした。」との事だ。

by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2007-06-15 08:48 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

5月10日

 学校の卒業はご存知のとおり大学以下昔から3月末と決まっている。
ところが・・・ 昭和16年・・・旧制の大学も高等学校も高等専門学校も12月末に卒業という異常な学制が施行された。つまり三ヶ月繰上げ卒業(第1回)である。各戦局の悪化に伴い、初級尉官補充のため学校教練を受けた学生を早急に充当しようとする方策であった。既に私も在学中に徴兵検査を受けて甲種合格になっていたのでいつでもご奉公出来る体制になっていた。
 
 12月26日に変則卒業式が行われ、楽しかった学園生活に別れを告げ、同級生42名(入学時は50名)もそれぞれの本籍所在の連隊に入営のため帰郷して行った。旧友の行き先は知る由もない。私も当時僅かの期間であるが在鶴見の会社に入社していた。
その後、本籍が広島県であったためか、私にもいよいよ在福山市の歩兵第141連隊補充隊に2月1日入営すべしとの通知が届いた。会社から僅かな給料と餞別を貰って退社した。

 昭和17年2月1日からいよいよ帝国軍人の生活が始まった。
その頃本隊は既にフィリピンの戦場に行っていたため、福山の連隊は留守部隊になっていた。
この本隊が・・第65旅団歩兵第141聯隊であり、いずれ部隊はラバウルに移動駐留することになる。 訓練を受けて見習士官になっていた私は、17年末に部隊本隊に追及し、既述のとおり各地で苦闘することになった。 

昭和17年の今頃と同じ空気が私の心をワクワクさせている。
福山市郊外、芦田川の河川敷での擲弾筒訓練を最後に連隊での訓練を終了し、上等兵の階級章と座金をつけて、5月10日には久留米の予備士官学校に派遣されるのである。
甲種幹部候補生一同は、一人ひとり隊内の下士官室を訪れて

「A候補生参りました!!長い間ご教導有難うございました!!」

と下士官一同にお礼を申しあげる。

 「A頑張れよ!ところで偉くなって帰ってきて俺達をいじめるなよ・・」

と、皮肉たっぷりに笑っていた。
 
久留米を卒業し帰隊すると、教えを受けた下士官たちは皆戦地に行ってしまっていた。
そこには入隊間もない初年兵達の訓練が待っていた。 新米見習士官は、早速教官として3キロほど北にある深津の高地に毎日引率して行き、各個教練から分隊教練、果ては小・中隊教練まで指導に明け暮れた。 どれだけ戦場で役に立つか、自分のことさえ判らない矛盾を感じながら・・・。然し精一杯努め上げたつもりの満足感はあった。

 大晦日も迫っていた頃、とうとう私にも野戦行きの命令が来た。私が教導してきた初年兵も一緒である。一同を集め、

「いよいよ来たな!お互い戦場は初めてだ!どこの戦地に行くのか私にも判らんが、みんな!頑張ろうな!!」

「ハイ!!」

と大声を張り上げてくれた。

この年は、将校生徒への憧れと下士官、古兵への気兼ねで複雑でしたね。
実際の上等兵ではないだけに面映い気持ちもあったのです。 (見習士官までの仮の階級ですから) 班付き下士官、古兵の目がなんとも嫌でした。特別いい軍服も軍帽も与えられるわけでもなく

「早く5月10日が来ないかな」

の毎日でした。

 「お前達の上衣(うわぎのこと)の裏の名前を見てみぃ。そこにある先輩も一緒に連れて行ってやれぃ涙を流して喜ぶぞ!」

上衣の裏には、過去にこれを着た兵の名前も毛筆で5人くらい書いてあった。しかしこれに対し笑うわけにもいかない。

 「ハイッ!」と言って逃げるようにして自室に戻る。
 
 下士官や古兵達のやっかみは嫌というほど判る。そこがやはり煩悩を持った人間であり、また制度上割り切らざるをえない軍隊の掟でもあった。

 
 私が初年兵当時に教えを受けたM上等兵は、ラバウル北にある小さい島で戦死されたことを知った。後日、戦死者名簿を見ると二階級昇進して軍曹になっていた。 立派な手柄を立てたのであろう。嬉しかった。 一緒に行った初年兵達は、戦場が違うため詳しい消息は判らず仕舞いだが、それぞれ活躍してくれたと信じている。
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# by Switch-Blade | 2007-05-10 11:50 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

詐欺!!

 振り込め詐欺などそれら関連詐欺の中において、「戦友詐欺」という種類のものがある。要するに「お父さんとは戦友でした。」「ご主人とは戦友でした」と言って高額な書籍や骨董などの品物を売りつけるという手口。これは受け身側のノスタルジックな部分を突いてくる極めて卑劣な手口である。「戦友でした。」などと言われれば見知らぬ人物にも「懐かしさ」を覚えてしまうし又、覚えようとしてしまうのが現実だ。こうした詐欺は今に始まった事ではない事はもちろんの事、今後更に増えるのではないか?と私は予想している。

 一体こうした手口から身を守るにはどうしたらよいのか?
例えば仮にあなたの祖父A氏の戦友と称する人物が来たと仮定しよう。
まず私たちにできる事は、祖父A氏が一体いつ?どこの戦場に出征したか?
大体この辺は合わせてくるはずなので更に詳しく知っておきたい。
それには方面軍、師団、旅団、連隊、大隊、中隊、小隊名、各部隊長名は把握しておくと心強い。写真などがあればと思うが、実際に前線で撮られるケースは極稀。
そしていくら戦時中だからと言って直ぐに前線に投入される事はまずあり得ない。
一定の期間は内地にて訓練を行う。期間の長短はどうであれ訓練を行う。
その場所も知っておきたい。

ある程度の事が頭に入っていれば、偽物はすぐに解るはず。
勿論巧妙に辻褄を合わせてくる場合もあるが、高額な物品を売りつけようとしてくるならばこれは偽物であってほしい。事実生活に困りなんとか「旧友を頼りに」といった事も勿論考えられるので、すべてを疑う事も避けたいのが心情だ。

また疑心暗鬼になり情報交換の妨げになる事だけは絶対に避けたい。

先日の高知県内で発生した詐欺事件の記事を読んで憤激していた Switch-Blade でした。
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# by Switch-Blade | 2007-05-04 12:17 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

 現在の日本ではバナナ、パパイヤ、マンゴー、エンゼルフィッシ、カンガルー、グッピー、鰐などいずれも動植物園に行けば簡単に見る事が出来る。然しこれらが自然に生え、住んでいる姿を見た者はそうはいないだろう。前者の植物は、まさに自然に生えている。ただし、土民達が自宅の周辺で植栽しているものは個人の所有物で、違った印象を与えている。
そう!盗んだら大変だ!

戦闘中に突然カンガルーが跳び出してきて驚かされたこともあった!!

カ号作戦に基づく転進中に喉を潤した各河川にはエンゼルフィッシとかグッピーがたむろして泳いでいた。

自生の果物たちには飢えを凌いでくれるのに少しは役に立った。
そしてトーマに落ち着いてからの現地自活では突然極楽鳥が下りてきたのには眼を見張った。突然一羽の極楽鳥が下りてきた姿には天使の使いかと錯覚させるほどである。
色彩は文字どおり見事というほかない!
現地人達がシンシン踊りをする時の飾りには、頭の装飾にこの羽を好んで使っていた。

ニューブリテン島の戦場で驚いたのはなんといっても「蟻の巣」であろう。
この蟻は椰子などの樹の根元に、丁度カルメ焼きのような大きな巣をつくる。
この中で蟻は一生の生活をするのである。これを崩すと大量の白い蟻の子がゾロゾロとこぼれ落ち、現地自活用に飼っていた鶏はこの蟻を喜んで啄ばんだ。
蟻にはお気の毒だったが・・・

椰子の樹にはよく蟻が上り下りしていた。おそらく実あたりの樹液を吸っていたのであろう。
現地人に青い椰子の実を取ってもらうべく頼んでもOKしてはくれなかった。そう!このありが原因なのだ。蟻といっても大きな赤蟻で、喰いつかれたら首がもぎれても離さないくらい獰猛だからである。

 今振り返って・・戦闘以外でもいろいろ貴重な見聞をしてきたが、今でも不可解なことはどの戦場にも無数の軍馬が調達されて、それぞれ活躍して貰ったのに戦後一頭も復員していないことである。現地に置いてきたのか、殺してしまったのか可愛想でならない。
 「愛馬進軍歌」などという軍歌もあったのだが・・・。非道だ。


著者からのメールを転載させて頂きました(__)

軍馬について以前私Switch-Bladeが調べた事がありますので少々追記させて頂きます。
戦後軍馬の帰還はごくわずかではありますが、秘密裏(?)に内地へ輸送されたそうです。
勿論全てではありませんが・・・何とか内地へ輸送しようという試みが密かに行なわれたそうです。各地から出港する復員船に如何にして紛れ込ませるか?当時の関係者は色々と思案したようです。「人間のほうが大切だ!」と非難される事も多々あったそうですが、それら非難に対しては色々とユーモアを効かせた返答で「うむ・・それならば宜しい・・・」というようなやり取りがあったそうです。

しかし戦闘中にカンガルーとは!猛烈な砲火の洗礼を受けたカンガルー!さぞかし驚いたことと思います。


by Swich-Blade
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# by Switch-Blade | 2007-04-29 11:38 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(3)

心機一転

 何かとドタバタ忙しい季節。私、Switch-Bladeも例外に漏れず慌ただしい日々を過ごしております。GWの天気もまぁまぁとの事で心機一転には相応しい時期が訪れました。この数ヶ月「辛抱!辛抱!」と自分に言い聞かせた結果、ようやく公私共に新体制にてスタートする運びと相成りました(^^)今期も「戦陣の断章」をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 遥か彼方「遠方の友」達に日頃の苦労を癒す休暇が訪れますように!!

by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2007-04-27 20:16 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

「只今から陸軍甲種幹部候補生の卒業式を挙行する!!」

昭和17年10月30日、学校本部前に上から下まで新品の見習士官が勢揃いした!
さすがに華やかである。 これだけの服装を学校で保管してあったのだ。

暫くして校長閣下がお出ましになる。

 「只今から陸軍甲種幹部候補生の卒業式を挙行する。」と学校副官の言葉。
そして校長閣下が壇上に上る。 「兵科見習士官OOOO] 「ハイッ!」 といって両手を差し出し卒業証書を受け取り挙手の礼をして下がりキチンと自席に戻る。
 
なんとも晴れがましい。1日で幹部候補生から見習士官に肩替わりをした瞬間である。
全員終わるや校長閣下からのお言葉である。

 「・・・・・貴官達は今日から帝国陸軍の盾となってもらうことになろう。
ここで習得した技能を思う存分発揮して活躍してもらいたい。・・・」

 
・・・身に沁みた・・・
 
 そして兵科見習士官一同は、それぞれの原隊に復帰し、その後数ヶ月して各方面の戦場に出征していった。 文字通り消耗品的存在だったわれわれ同期生は、各方面の戦場で活躍し、大方が戦死していったのではなかろうか。
 
 戦後の情報によれば、案の定、7期組を含む大正10年生まれのわれわれは
日本の人口で最も少ない年代である。(11年生まれ、9年生まれがこれに次ぐ。)

 われわれに檄をとばしてくれた中村次喜蔵校長閣下もその後中将に親補され、第112師団長として中国戦線で活躍されたが、終戦時に現地で自決されたとのこと。
当時の中隊長、区隊長もそれぞれ進級し、各方面の戦場で奮闘されたことであろう。
上司、同期生達の生死についての情報は皆無に近い状態である。

                       

 代筆by Switch-Blade
                  
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# by Switch-Blade | 2007-04-02 11:55 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

スケープゴート

 2.26 それは股肱の老臣が殺戮された日。そして多くの青年将校がスケープゴートとされた日である。国家機密とは我々民間人には到底想像の付かない強烈インパクトが隠されている。
数々の資料、著書、映画(映画は資料の内には入らんか・・・)などで71年前のこの日の事は紹介され且つ研究されているので、わざわざ自分がここで詳細を記す必要もないと思う。事実、この日の出来事に直接係わった人物には出会った事が無い訳で、この件に関して偉そうに講釈を云々と垂れる気には到底なれない。

ただ私見を述べさせて頂けるならば、やはりタイトル通り「スケープゴート」・・・か・・・と言わざるおえない。恐ろしく込み入っている事件だが、兵を動かしその責任を動いた兵に罪をかぶせたとでも言うべきか・・・居留民保護の為破竹の勢いで吉林に出兵しその戦火は上海にまで飛び火していた延びきっていた中国戦線。そして国内では政治の腐敗と社会不況で多くの農民が困窮で喘いでいた。義憤に燃えた一部の青年将校と急進派は「尊皇討奸」を合言葉に国政一新を目標とした直接的な行動をとる。背後に巨大なバックアップがなければ実行出来ないであろう事は一目瞭然。勿論、実行部隊とバックの間でどのような会話がなされたかは想像するしか方法がないわけだが、実行部隊に対して原隊から補給が途絶え包囲された瞬間、一体どのような気持ちでいたのかなど想像するととても胸が苦しくなる。

この事件では多くの犠牲者を出し、且つ多くの若く熱い血をも流した。
私は双方の為に蝋燭に火を灯し線香にあげることにした。
ここら辺は結構頻繁に通るので、歴史街道の一つとして当時の出来事を想像する。

   by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2007-02-25 15:45 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

われわれ陸軍部隊を上陸させるべく、ツルブ沖で停泊して縄梯子を下ろし、
早く早くと急かしていた1等駆逐艦「三日月」と「有明」の乗務員。
縄梯子から数人が同時に降りることは、揺れるため思ったほど簡単ではない。
何とか敵機に発見されないうちに海中に飛び降りて、
ツルブのジャンブルに上陸し、「有難う!!」と大声で礼を言った。

聞こえるべくもなく駆逐艦は沖に向かって帰って行った。
 
その両艦は、「昭和18年7月28日に帰還途中、グロセスター岬沖で座礁し、
ノースアメリカンB25に攻撃されて撃沈されたという。」と戦陣の断章に記した。
執筆当時、その筋から得た情報に基づいて記載したものである。

今、インターネットという便利な情報手段があり、この両艦について検索してみた。
なんと!両艦とも「昭和18年7月28日にグロセスター沖で撃沈された」とある。

われわれを下ろして帰還する途中で・・。
 
執筆した時の情報の裏付けを戦史叢書やインターネットでも得る事が出来る。
つまり真実だったのである。
 
今、改めて、あの時のことを振り返ると、ゾッと冷汗の出る思いである。
我々の乗った駆逐艦が、沖合いを航行中または上陸の際に敵機に発見されていたら・・・。
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著者は私に対し常にこのように言っている。

「我々を輸送してくれた艦が・・・と思うと胸が締め付けられる」
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これは私達にも十分に想像出来る

    by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2007-01-20 13:03 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

関係者各位

 おめでとう御座いますと云えない方々が多くいらっしゃいます。
しかしながら戦乱のこの数世紀、音楽と芸術を通して地球と呼ばれまするこの星に
どうか平和の時代が訪れますようたかが「一個人の私の願い」として祈り奉りまして候。
現実にありえないとされる世界の恒久平和は、それぞれの意識で変化するものと信じ、
私自身、微力ながらその支援が出来ますれば、これ幸いであるかと愚直な私の願いで御座います。

 国、宗教、思想の区別なく、
どうか音楽、芸術、美術、そして平和への願いを切に願い、
西暦2007年 皇紀2667年 平成19年。

皆様にとって良き年でありますよう心からお祈り申し上げます。
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# by Switch-Blade | 2007-01-01 18:05 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

 今年も一年間有難う御座いました。

一年を振り返ってみると当ブログや新・戦陣の断章からのお問合せが多数あった事、
そして情報交換等が出来た事が思い出されます。
中には聞くだけ聞いてハイさよならっていうものもありましたが・・・まあ一年を通せばごく少数。

しかしながら当時の記憶や記録が薄れているということを痛感した一年でもありました。

コンタクトを執って頂いた方々、閲覧して頂いた方々には心から御礼申し上げます。

来年も「戦陣の断章」シリーズをどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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# by Switch-Blade | 2006-12-31 14:08 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

戦跡巡り

 別に戦跡巡りのグループを作っている訳ではないのだが、
ええっ!と思う所が実は名高い施設跡だったりする。
全国各地に驚くほどその跡が残されているのだ。
それは何も大戦中のものだけではなく、それ以前のものも含まれる。

それらの地で思うことは・・・

「ここから飛立ったのか・・・」とか

「ここで訓練したのかぁ」とか

「ここで耐え忍んでいたのか・・・」

「この地で覚悟を決めたのか・・・」

「ここがXX合戦の地か・・・」

「ここが上陸地点か・・・」

「これがその時の掩蔽壕か・・・」

「ここで製造していたのか・・・」

などと、当時の光景とクロスオーバーさせて見つめてみる。
ふっと溜息に近い浅い呼吸が、何故か当時の「音」を想像させるかのごとく
現実に聞こえているはずの音が完全に消える・・・
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# by Switch-Blade | 2006-12-26 14:34 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

戦場に赴任

 我々の乗った輸送船団が、二週間余に及ぶ公航海を経てラバウル港の丸木桟橋に停泊した。途中、敵の魚雷攻撃にも遭遇し、また敵機に発見されながらもよくぞ無事に着いたものである。
新米見習士官七名は、初めての戦場に胸の高まりを抑えながら桟橋に足を下ろした。

----ここが戦場なんだ-----

 ここが戦場なんだと思うと足がガクガクと武者震いがしてきた。

昭和十八年一月早々のこと。
湾には友軍の駆逐艦や潜水艦が沢山たむろしていた。
我々の本隊はラクネ付近に駐留しているとは聞いていたが、ここは外国の地である。
身振り手振りで現地人に聞きながら駐留地を目指す。一同軍刀を腰から外し右手で下げながら歩いていった。
北へ進み、海岸道にでて西へ。右に海、左に椰子林を眺めながら歩く事40分。

「あったぞ!!」

板切れに「夏九八五三部隊」と墨書してあった!一同に緊張が走る!
いよいよ隊舎に到着し戸伏大隊長に着任の申告をして戦場の人となったのである。

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章 着任申告参照
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# by Switch-Blade | 2006-12-14 14:15 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

外伝年末特別警報!

 勿論皆さんは既にご承知の事とは思いますが、
ここ最近年末スパム迷惑メール&TBが多発しております。
このブログをご覧になっている方は、軍事関連記事、ニュース及びキーワード以外で
TBしているURLを踏まないようにご注意頂きたい。
インターネットの普及が著しい昨今、こうした「迷惑」物が姿を消すまで相当な時間が掛かる事でしょう。もしくは手を変え品を変えて現れてくる事と思います。
皆さんが苦心して作り上げたwebサイトや、高価なPCに被害が及ぶ事を防げればと思い一筆記しました。

 さて、新・戦陣の断章 SAMURAI SPIRITSは、お陰さまで順調に?完成しつつあります。
目下各資料の一覧表の製作に戸惑っておりますが、全国各地からの閲覧を頂、誠に嬉しく思っております。

-----------うおっ!ここで地震2発目!-------------------------------

と言ってる間に早速無関係TBかぁ~
このブログや新・戦陣の断章の閲覧者様は内容的に若い方ばかりではございませんので、
注意書きとしてご参考頂ければ幸いで御座います。
とにかく無作為にリンクされるTB(トラックバック)は踏まないで下さいね。
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# by Switch-Blade | 2006-12-09 12:32 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

運命の日

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章 Diary of war No,01「運命の日」
をどうぞご覧下さい!!

著者と同じようにこの日を迎えられた方もいらっしゃる事と思います。
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# by Switch-Blade | 2006-12-08 18:18 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

粕谷正勝氏著(東大法学部卒・第17師団歩兵第81聯隊)

前略
 
 敵は、わが第一線を蹂躙したあと、戸伏大隊本部の位置に迫った。敵の戦車4両が進撃してきたのであった。戸伏大隊本部には、酒井中隊の一個小隊30名が予備隊として控えていた。
その擲弾筒分隊長に野々村軍曹がいた。彼は高知県出身の兵士で、17年のフィリピンバターン攻激戦に参加して豪胆な彼は抜群の戦果をあげて個人感状に浴して2階級特進して軍曹になった。
 敵はもう抵抗する者のないジャングルを慎重に前進してきた。50m位に接近して本部も潰滅の危機に陥った時、彼は自分の擲弾筒分隊を率い、大隊副官の塚本博利少尉とともに迂回して敵戦車の右側に廻った。敵が30mに接近してきた頃合を見て、背嚢を腹に合ててその上から擲弾筒の底板をあてがい敵戦車に対して水平射撃を試みた。
 その榴弾は2発目から敵戦車の砲塔に続いて命中、轟然たる炸裂音と衝撃に敵の操縦士は震え上がった。敵兵は天蓋をあけて脱出、これに勢いを得たわが隊は、第2の戦車に対しても同様の攻撃を加えた。戦車の支援を失って同様する敵の随伴歩兵に対して本部の総力を挙げて反撃したので敵は前進を停止した。攻撃を停止した敵は15:00頃に2両の戦車を放棄して漸く引き上げにかかった。
 酒井隊陣地内でかく坐した2両と大隊本部付近で放棄した2両を除く6両の戦車は、お互いにサイレンで合図をとり戦死傷舎を収容しながら随伴歩兵を伴って撤退を開始した。
 これを岬の方から砲撃で援助していたが、16:00を過ぎると砲撃もまばらになり、黄昏近くなって漸くもとの静寂に戻った・・・
この戦闘において戸伏大隊では約30名の戦死者を出し、民輪隊も若干の戦死者を出した。わが鯵坂隊では戦車の突入は免れたものの、砲撃により4名の兵士を失った。

 まる一日に及ぶ長い戦闘は終わった。
米軍はわが軍の一掃を計ったが、わが方も多大な犠牲者を出しながら陣地を死守したのであった。
第一線の塚本隊の頑強な対戦車攻撃がなければ戸伏大隊は全滅していたに違いない。


-後略-
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# by Switch-Blade | 2006-12-05 14:41 | 「外伝」ニュース | Trackback(1) | Comments(0)

 新・戦陣の断章 Diary of war No,43を更新致しましたのでご覧下さい。

先日届けて頂いた数話の資料から先ずはこの話から・・・と思い、更新致しました。
しかしながらとても残念なお話をしなければなりません。
この43話で登場する、船舶工兵第一聯隊の艇隊長、小堺氏がお亡くなりになられたそうです。
しかもこの原稿を更新した後すぐに連絡があり、私はまるで逢った事がある人のように悲しくなってしまいました。
「何故、この記事から更新しようと思ったのか?」これで解ったような気がします。

小堺氏は既に新・戦陣の断章に登場しておりますが、「マーカス岬の戦闘」が成功したのも、
これ小堺氏の慎重な判断と周辺海域を熟知していた賜物であると、私は思っております。
進攻中敵の魚雷艇を二隻撃沈した功績は、艇隊長率いる船舶工兵七隻の戦果であり、
米海兵隊公刊戦史にも記録されております。

小堺氏には心からご冥福をお祈り致します。

                 本当にご苦労様でした。


------------------黙祷--------------------------------------


                             by Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2006-12-04 22:52 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

花吹山の噴火!

DIARY OF A RADIO MAN IN PNG 噴火第27報。

先月、ニューブリテン島ラバウル近郊の花吹山が噴火したそうです。
Radio Manさんのブログを見たT氏から連絡を受けました。
早速拝見すると・・・こりゃあ凄い!!!いやはや驚きました!

当時ラバウルにある飛行場は、この花吹山からの火山灰で相当苦労したそうです。
現在の機体とは違うので当時の整備員達のご苦労が想像できます。

当ブログを通して知り合った方に、
パプア・ニューギニア方面で生活しておられる方がいますので心配しております。
また、丁度噴火前に慰霊の旅でラバウル、ツルブ、マヌス島を訪れた方がおりましたので、
正直ちょっとびっくりしています。
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# by Switch-Blade | 2006-10-18 17:08 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

祝!!9月10日!!

 九月十日は「戦陣の断章」著者、塚本氏の誕生日です。
しかも年は違えども九月十日という日は、塚本氏が所属していた
歩兵第百四十一聯隊の軍旗を親授された日でもあるのです!
このような偶然があるとは、何か因縁のようなものを感じてしまいます。

お誕生日おめでとう御座います!心からお祝い申し上げます!!

昭和十七年十二月八日徴兵検査を甲種で合格され、晴れて帝國陸軍軍人の道へ。
福山の歩兵第百四十一聯隊に入隊しニューブリテン島西部に位置するマーカス岬へ転戦。
マーカス岬では壮絶な激戦を経験し、ラバウルへの約600㎞に及ぶ地獄道、
地獄街道とも呼ばれた「カ号作戦」に基づく転進を経験されました。
当サイトでも詳しく記してあります。

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章に詳しく掲載しておりますのでご覧下さいませ。

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福山歩兵第百四十一聯隊とは?

昭和16年7月、日本は対米英開戦の瀬戸際に立たされており、
万一の開戦に備えて新しい軍の編成やそれに伴う部隊の動員の準備中でありました。
昭和16年8月初旬に、広島県福山市西郊の西部六十三部隊に、
広島、香川、高知の各県より予備役を召集し、
新設の第六十五旅団司令部歩兵第百四十一聯隊を編成しつつあり、
昭和16年八月十日、福山の「歩兵第四十一聯隊」補充隊の昭和13年、14年、
15年徴兵の現役兵は、 この新設中の歩兵第百四十一聯隊に転出を命ぜら、
これらの現役兵を基幹に聯隊の編成は着々と進められていきました。
昭和16年9月10日、初代聯隊長の今井武夫大佐と浮田幸雄少尉は、
宮中に参拝して新たに「軍旗」を親授され 、ここに「歩兵第百四十一聯隊」は誕生致しました。
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本日を持ちまして「84歳の戦陣の断章」は「85歳の戦陣の断章」と改めさせて頂きます。
皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

SAMURAI SPIRITS 新・戦陣の断章はこちらから
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# by Switch-Blade | 2006-09-10 00:00 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

8月15日

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「靖国で会おう」
8月15日が特別な日という事ではなく、この言葉には深い意味がある。
何故か毎月2回は参拝している自分にとっては、いや・・・
恐らく生前の祖母が欠かさず参拝を続けていた事が、
今の自分の靖国参拝の礎になっているのだなと思う今日この頃。
軍人、軍属として戦地に赴いた曽祖父、祖父、親戚達・・・遺骨などありはしない。
自分は、右翼、左翼、中道右左派関係なく靖国神社、護国神社が存在する限り、
いつものように普通に参拝し続ける事でしょう。
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# by Switch-Blade | 2006-08-15 00:11 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

原爆の日

------------------------黙祷---------------------------------------
 
 広島に投下されてからわずか3日。
2発目も軍関連目標ではなく市街地へ投下された。
当初作戦計画では八幡製作所や佐世保であったらしいが、
燃料残量の問題から偶然に長崎へ投下される事となった・・・
勿論、私には真実はわからない。
しかし2度目も市街地だったという事は、最初から目標は市街地だったと考察する。

 現在そして将来に渡って後遺症を残す事になったこの2種の新型爆弾。
使用すればどんな事になるか?世界中の核保有国は理解しているはず。
しかしこの2発が齎した多くの悲劇と苦痛は日本人の中でも薄れている事も事実だろう。
武器を用いなければ、国を守る事が出来ない事は至極当然の事だが、
我国は通常兵器の配備だけで、原子爆弾は保有していない。
声高に平和を唱える国の多くが、原子爆弾を製造し所有している。
この兵器が及ぼす惨状と悲劇を、カードとして利用するだけならまだよいのだが、
(決してよい事ではないが)
いずれ何処かで、大小各種原子爆弾が使用される可能性は大きい。
使用されれば、広島、長崎のそれよりも被害が大きく事は当たり前の事で、
それが化学の進歩という悲しい現実であろう。

 全ての戦争、そして戦闘での悲劇の前に、戦争経験のない私達は、
過去に起きた壮絶なこの時代の事を、後世に伝えなければならない。
何よりも聞くことと調べる事だ。どんな話も耳に入れる。
戦場での勇敢な行為、悲劇、これらを語らせないように、
話したらいけないようにしていた戦後の時勢はもう終わった。


後世に伝える事。決して難しい事ではない。

      戦陣の断章管理人 Switch-Blade
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# by Switch-Blade | 2006-08-09 13:48 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

原爆の日

-----------------------黙祷---------------------------------------

たった60キログラム程度のウラン235がもたらした想像を絶する被害は、
61年経った今現在でも何十万人という多くの人々を苦しめております。
日本は世界で唯一この新兵器の実験場として二度も投下されました。
それ以後、世界で開発されたこうした核分裂反応、熱核反応を利用する大型兵器は、
どの国も行使されてはおりません。私達の国、日本だけです。
爆心地から2キロはほぼ壊滅状態。3キロ以上離れていても火傷を負い、
現在に至る後遺症の原因となっています。
人の影が、壁に、フィルムのように焼き付けられるほどの強力さを持つ・・・

海軍省調査課中山中佐が開戦前のアメリカで入手した、革新的新兵器の情報。
「生きとし生けるものを焼き尽くす」新型兵器。帰国後報告しても、
誰にも相手にはされなかったそうだ。※1
開戦前からこの信じられない情報を入手していたのである。

さて、ここから下は昨年の「八月六日」からの同文を記します。
---------------------------------------------------------------------------------
昭和21年5月17日 復員完結。
各主要都市の被害地図の中に宇都宮の地図を発見。
宇都宮の両親はおそらく実家のある広島(県北部の田舎)に
疎開しているだろうと早飲み込み。
上陸港名古屋の復員局で手続きを済ませ、大荷物を背負ってやっこらさ広島駅へ。
駅を降りるや・・目の前に現れた原爆の惨状。
駅あたりから海が見えたのです。
瓦礫の山、ぶら下がった電車、電柱の架線。
「これだな!!」と初めて原爆被害の現実を目の当たりにしてゾッとしました。
 
私の親戚にも原爆被害者が数人おります。
そのうちの一件は、息子さん(海軍兵学校卒の少佐)が戦死、奥さんと娘さんが丁度広島へ
用足しに行っていて原爆で亡くなりました。
もう一件は、現存されていますが、原爆投下時に広島方面に行っており被爆しました。
原爆被爆手帳を持っており、現時80歳くらいかと思います。
女学生の頃だったのですが、軽症だったのでしょう。
現在は、原爆被害証明には3人の証人が必要とのことです。

 原爆が投下された日から9日後の8月15日 
全将兵が、よく聞き取れない無線電波で終戦の玉音放送を聞く。
よく意味が判らず翌16日初めて細部を理解。さあそれからが大変でした。
無念の気持ちを押さえながら部下に対し軽率な行動を慎むよう説得です。
自分でさえ自決したいような気持ちでしたから深刻でした。
ましてこれまで負けたという実感を知らない私には信じ難い屈辱だったのです。

今、戦後60年といいますが、

私には区切りはありません。

戦中戦後の苦しみを知らない為政者が大部分を占める今日。
いかにも知ったかぶりをしている政治家も、こういう機会に何回でも遊就館、
知覧などの記念館を見て欲しいと思うのです。
いまは自分の選挙のことで頭は一杯でしょうね。       

終戦60周年にあたり、おおいに原爆の恐ろしさを伝えたいものです。
アメリカでは、「あの当時原爆を使わなければ日本は降伏しなかったからだ」
と正当化しようとしているようですが、とんでもない屁理屈です。
目下報道されている原爆被害者のむごたらしい姿を見れば、
原爆を持つこと自体ためらうのが通常の人間の神経ではないでしょうか。

私も、過去を振り返り、今あることを噛み締めています。
 

 <著者からのメールをご紹介致しました。
後世に伝えるためには、色々な話を聞かなくてはなりません。
この国を守るために命を懸けて戦った方々、そして銃後を守り原爆や
空襲の犠牲になった方々の思いを伝えなくてはなりません。
皆さんの周りにも当時を知っているご親戚や知人が沢山いると思います。
どうか戦争体験者の方々の言葉に耳を傾けてください。
そして、後世に語り継いで欲しいと思います。
                     by Switch-Blade>
-----------------------------------------------------------------------------
サイパン島、南洋諸島方面、フィリピン周辺~レイテ沖、予科練出特攻隊員。
陸海軍軍人軍属・・・調べ上げてみたらきりがないほど出てくる私の親戚の歴史。
たった60~数年しか経っていない頃の事を正確に伝えるという事は

決して難しくないはずだ。

                        by Switch-Blade
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新・戦陣の断章~SAMURAI SPIRITS



※1 阿川弘之氏著 井上成美 から一部引用抜粋
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# by Switch-Blade | 2006-08-06 08:15 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

18日沖縄方面根拠地隊司令官 大田 實 少将 は夕訣別電を第10軍司令官宛に打電。
この日153高地が陥落した。

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既二通信力ナク 第32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ルニ暇ナカリキ 然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ 家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚 砲爆撃下 ‥‥風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹飯婦ハモトヨリ 砲弾運ビ、挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮 、敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ 身寄無キ重傷者ヲ助ケテ‥‥真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳(は)セラレタルモノトハ思ワレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫 勤労奉仕、物資節約ヲ強要セラレテ 御奉公ノ‥‥ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ‥‥コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島実情形‥‥一木一草焦土ト化セン 糧食6月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄縣民斯ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも県には通信力なく
第32軍司令部 又 通信の余力なしと認められるに付 緊急御通知申上ぐ
沖縄島に敵攻略を開始以来陸海軍方面防衛戦闘に専念し
県民に関してはほとんど顧みる暇なかりき。
然れども本職の知る範囲においては県民は青壮年の全部を防衛招集に捧げ、
残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、
わずかに身を以て軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難し、
砲爆撃下風雨に曝せれつつ乏しき生活に甘んじありたり。
しかも、若き婦人は率先軍に身を捧げ看護婦、
炊事婦はもとより砲弾運び挺身斬込み隊すら申し出るものあり。
所詮敵来たりなば、老人子供は殺さるべく婦女子は後方に運び去られて
毒牙に供せらるべしと親子生別れ娘を軍衛門に捨てる親あり。
看護婦に至りては軍移動に際し衛生兵すでに出発し、
身寄りなき重傷者を助けて真面目にして一時の感情に駆せられたるものと思われず。
更に軍に於いて作戦の大転換あるや自給自足、
夜中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ輸送力皆無のもの
黙々として雨中を移動するあり。
之を要するに陸海軍沖縄に進駐以来始終一貫勤労奉仕物質節約を強要せられて御奉公のXXXを胸に抱きつつ遂にXXXことなくして本戦闘の末期と沖縄島は実情形XXX一木一草焦土と化せん。
糧食6月一杯を支ふるのみなりと謂う。

沖縄県民かく戦へり、県民に対し後世特別の御高配を賜わらんことを。
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# by Switch-Blade | 2006-06-23 19:05 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

古本市

 いやあ随分と更新もせずにほったらかしてしまいましたが、
先日ちょっと嬉しい事があったので久々の更新です(^^)
新宿西口地下にて古本市をやっていたので覗いてみる事にしました。
時間的に余裕がなかったのですが、全店くまなく探してみると・・・
戦史叢書「本土防空作戦」を見つけました!!!
その他にも色々とあったのですが、
いずれも市販されているものでしたので戦史叢書だけを購入しました。
戦史叢書は絶版で古本屋さんにも中々置いてない為、
時間を割いてでも「覗いてみるものだなぁ」と思いました。

前回は帝國海軍の潜水艦に関する資料本を見つけはしたのですが
これは購入しなかった事を未だに後悔してます。(こちらも絶版)

もしもあなたが絶版物の古い書籍や資料を見つけた場合、
これを逃したら二度とお目にかかれることはないと思います。
多少懐が寒くても購入する事をお勧めします(^^)
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# by Switch-Blade | 2006-06-22 15:12 | なんてことはないお話 | Trackback | Comments(0)

1423時
左舷側に35度傾斜。総員退艦命令。
ほぼ横転した状態で前部砲塔等の誘爆により沈没。
火柱爆煙は上空六千mまで立ち上がり、鹿児島から目視。
九州坊ノ岬沖90海里、北緯30度22分 東経128度4分 
乗組員二千四百九十八名戦死 。


                          黙祷
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# by Switch-Blade | 2006-04-07 19:24 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

いよいよ開花!

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 いやあ~今年も桜の季節がやってまいりました。
いち早く咲き始めた場所の情報を聞きつけ早速行ってきましたよ。
惚れ惚れするほど美しい桜に暫し見とれてしまいました。


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# by Switch-Blade | 2006-03-26 17:20 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

黙祷

   
都民、国民にとって忘れてはならない日です。

         黙祷



              
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# by Switch-Blade | 2006-03-10 21:46 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(2)

古本屋にて

 先日資料を探して古本屋さんのサイトを検索していると、
部隊壊滅!!西部ニューブリテン島という本を発見し、
早速注文をしてみることにした。
数日後、本が到着し読み始めてみると、
著者は捜索第51連隊本部通信班無線分隊長をしておられた方で
ウインボイ島防備強化のためツルブに転進し、その転進初動期ロロバウ島において
壮絶な戦闘を経験してこられた方でした。
読み進むうちになにやら見慣れた名前が・・・
なんと戦陣の断章著者T氏の名前が出ているではないか!
早速、戦陣の断章著者T氏に連絡してみると、

「Fさんとは・・・・。驚きました。
その昔、家内ともども彼の実家の長野に招待されて
安曇の山葵田などを案内してもらいました。
彼は、大正8年生まれ。宇都宮騎兵第第18連隊(野戦では捜索第51連隊)に
入営した方です。長い軍隊生活を経験しています。
「戦陣の断章」を読んでくれてからの戦友です。
捜索第51連隊とはとても縁の深い連隊でした。」とのこと。

これは何かの縁なのだろうかと、ついつい感じ入ってしまった。
この本の中にニューブリテン島の地図があるのだが、
ラバウルからツルブへ向かった事と、「カ号作戦」転進ルートが詳しく記入してあった・・・
記入してある内容と略語は明らかに素人の記入ではなく
当時の転進の模様を秘匿部隊名で書かれており、
数人の上官と部下の名前も書かれていた。
恐らく記入者は、第十七師団所属の野戦病院関係の方じゃないか?と推測してみた。

たまたまネットで購入した本が、
ここまで興奮する材料になるとは思いもよらない事だ。
これも何かの縁なのだろう。


新・戦陣の断章 Samurai Spirits
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# by Switch-Blade | 2006-02-25 15:45 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

謹賀新年

明けましておめでとう御座います。
今年も「84歳の戦陣の断章」「新・戦陣の断章 Samurai Spirits」をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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# by Switch-Blade | 2006-01-01 17:52 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

「84歳の戦陣の断章」スタートから一年が経過した時点で、正規HPの作成を開始した事はお知らせしている通りで御座います。この度まだまだ未完では御座いますが、新サイトを公開致したくこのブログを借りましてご報告致します。

タイトルは「新・戦陣の断章~SAMURAI SPIRITS」

ラバウルでの陸軍作戦詳細やカ号作戦、ラバウル篭城戦そして終戦後トーマにおいての収容生活などの資料を公開し、画像や動画ともに充実してまいる所存で御座いますので、皆様どうぞ宜しくお願い申し上げます。

ご協力頂きました、多くの方々に深く感謝致します。
 
マーカス岬管理人 Switch-blade
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# by Switch-Blade | 2005-12-24 15:04 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)

12月8日 開戦記念日

1941年12月8日午前3時19分現地時間7日午前7時49分、
ハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃、
3年6ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した日です。
「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意の暗号電報、
「ニイタカヤマノボレ1208」が発せられ、ハワイ攻撃が開始。
同時にマレー、シンガポール作戦も展開されました。
ハワイ攻撃をZ作戦、マレー攻撃をE作戦といい、これを同時進行。
どちらかが先行すれば失敗に終わる恐れのある作戦でした。
マレー作戦敵前上陸地点コタバル周辺とハワイ附近では
およそ6時間の時差があり、マレーの夜はハワイの払暁にあたります。

参加全将兵、銃後を守備したすべての国民に深く感謝致します。
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# by Switch-Blade | 2005-12-08 12:56 | 「外伝」ニュース | Trackback | Comments(0)