2015年 10月 21日
「外伝」第五十五話 「全滅を避けた判断」追記
少々補足として書き込みをさせて頂きます。
西部〜東部に至ニューブリテン島での総司令部、要するに「今村閣下率いる第八方面軍総司令部」では、
戦闘中将兵の玉砕及び自決を厳しく禁じており(これは証言、公刊叢書並びに様々な資料に基づく)
今村閣下の命令で「玉砕禁止」(玉砕待て)が発令されたことは事情通の方々はご存知かと思います。
終戦後所謂敗戦後以前にこの命令は第八方面軍総司令部として全部隊に発せられたものであります。
様々な憶測を利用し利益を得ている方々は、先ずこうした発令された総司令部の資料を吟味し、
且つそれに基づく情報を日本国民として精査しこれを認識頂きたく存じます。
故に、如何にどのような著名人として在らせられる方々の「各証言」等は、
その総てが事実では無いとと云う事をここに記します。
これは総司令部から打電された命令に基づき、米海兵隊、オーストラリア軍も認識している事項であります。
本日はここまでで失礼致します。
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by Switch-Blade
| 2015-10-21 21:28
| 戦陣の断章
2015年 06月 04日
更新の遅れについてのお詫び。
大変申し訳ないのですが、現在記事を投稿する時間を作れず少々困っている状態です。
恐らく状況解決まで1週間程掛かりそうですので「またまた」ではありますが暫しお待ち下さい(__)
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by Switch-Blade
| 2015-06-04 13:12
| なんてことはないお話
2015年 05月 06日
ニューブリテン島は地震が多い!
以前から花吹山の火山灰に悩まされていた旧陸海軍も想像を絶する地震だった事でしょう。
数年前の事ですが、それを肴にやれ噴煙見ながら釣りだ!温泉だ!などと云う不埒な番組もありましたなぁ。
何も知らずキャッキャはしゃいで万歳クリフを海側からガイドに「写真撮ってぇ〜」と同等です。
ちなみにご存知ですか?現地の船頭は高確率でそのような撮影を拒否するんですよ。
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by Switch-Blade
| 2015-05-06 13:12
| 南太平洋関連情報の場
2015年 04月 09日
第五十一師団と捜索第五十一聯隊
師団長は初代、上野勘一郎中将、二代は李王垠中将、三代目中野英光中将(十六年十一月より)。通称名「基」と命名された。
第五十一師団は昭和十六年七月動員、関東軍の隷下に入り満洲東部正面に向かい内地を出発したが、途中八月九日「関特演」の打ち切り決定に伴いその前進目標を錦州に変更され同地に駐屯。九月十八日、第二十三軍の戦闘序列に入り広東へ移動。第十八師団と交代して広東東方部から珠江東岸の守備に任じていた。昭和十六年十二月、師団の一部は香港攻略戦に参加。十七年七月「従化滃源作戦」に参加し同年十月南太平洋への進出が決定すると守備を第百四師団と交代してジャングル地帯の山地戦及び上陸作戦訓練に専念する。
そして「捜索第五十一聯隊」は、第五十一師団隷下の捜索聯隊として昭和十五年七月宇都宮騎兵第十八聯隊において編成された。(同時に騎兵第十八聯隊も捜索第十四聯隊に改編されることになる。連隊長は杉本素雄大佐)初代聯隊長は宮脇中佐。のちに佐藤次郎大佐となる。
編成は聯隊本部と五個中隊。聯隊本部には五個分隊よりなる通信班、指揮班、行李班、対空班があり、第一中隊は乗馬中隊、第二、第三は車両で行動する歩兵中隊、第四中隊は軽装甲車中隊、第五中隊は車両中隊であった。
昭和十六年七月二十五日、動員下令、編制完結。八月三日、部隊通称名「基二八〇五部隊」と称した。
つづく
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by Switch-Blade
| 2015-04-09 14:50
| 戦陣の断章
2015年 03月 22日
さぁ!再開しよう!
その書籍との出会いは新宿の古本市だった。機材の選定にフラフラと歩いていたとき開催されていたのだった。
普段そうした催し物は必ずチェックしていたのだが、当時その数日は何かとてんてこ舞いで見逃していたのだ。
よし!と仕事を忘れ隅々まで物色する意気込みで会場に入った。
とにかく当時のニューブリテン関連資料と祖父のマニラでの作戦資料を探さねばと想いつつも仕事用で使える書籍にも目がいってしまう。
とても一日で探しきれる広さではないのだが、家近なのがせめてもの幸運だった。
運良く一冊の書籍を発見しページをめくるとこのサイト関係の書籍でしかも師の名前が記されている!
書き込みがされていたがそんな事は関係ねえとカゴに入れる。
知らず知らずのうちにカゴが膨れ上がっていたので目星を付けた書籍は奥に隠してその日は仕事に戻る事となった。
しばし落ち着いた頃一本電話をする。
「じつはこのような本を見つけしてご存知ですか?」と尋ねると、「勿論です。兄弟聯隊ですよ。筆者も勿論存じています。」との回答。「彼は足をやられましたが奇跡的な復員後に義足を付けたのです。戦後何度かお会いしましたよ。歩くたびにガシャンガシャンと義足が鳴りましてね。それは凄い迫力でしたよ。随分と逢っていませんから電話してみます」とのことでその日は受話器を置いた。
後日尋ねてみると残念な事に既に鬼籍に入られたとのことだった。残念である。
そこで氏の書籍に書かれていた事なのだが、「小森、佐藤支隊の動静についての記述が少なく…」とあったので、これから数回に分けて記して行こうと思う。
「受信音にしかと心を秘そめつつ鉛筆動かす無心の境地」 十八年作
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by Switch-Blade
| 2015-03-22 15:13
| 戦陣の断章