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第四十四話からは教科書シリーズとして六十六話で完結致しました。
まとめで書かれている戦後の戸伏大隊長の言葉が、とても印象に残っている。

「やけっぱちになるな、見栄にとらわれるな。忍耐だ」

今や何でも手に入れる事の出来る時代、当たり前のことだが
蛇口をひねれば水、湯も出てくる。腹が減れば買い物に行けばよい。
タバコもお菓子も何でも手に入る。

だが、諦めて自らの命を絶ち、そしていとも簡単に他の命を絶つのが現状である。

個人主義の成れの果て
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by Switch-Blade | 2005-05-27 19:14 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」第六十五話 ②

第一大隊本部 副官塚本少尉指揮の予備小隊約三十名は射撃を開始。
各部将校や伝令まで全員の火力が集中した。
擲弾筒分隊長が前進してくる戦車の正面に

どっかと座って背中に背負う背嚢を腹部に当て、
      擲弾筒を水平にして敵戦車めがけて発射。


勿論貫通はしないが、命中の衝撃に驚いた乗員は、戦車の天蓋を開けて脱出。
勢いを得た予備小隊は、第二の戦車に対しても同様の攻撃を加え侵入を阻止。

右第一線中隊正面も混戦のうちに米軍戦車が二台、
陣地後方の湿地帯に突っ込んで進退不能に陥った。
この戦車から乗員が脱出するのを見て、第二中隊が攻撃、戦車炎上。

午後三時頃米軍は各所でサイレンを鳴らし撤退を開始。
激しい弾幕でその撤退を援護していた。
小森少佐の十六日の日誌(既出)
「恐るべき砲撃、続いて敵の攻撃、激しい戦闘、戸伏大隊は善戦したが大きな損害を受けた。大隊本部と両第一線中隊との連絡がとれない。恐らく全滅したのだろう。敵は何ダースかの戦車を伴って執拗に攻撃してきた。大隊砲は敵迫撃砲で破壊され、海上からも砲撃してくる。砲火は夕刻まで激しかった。この分では支隊の任務遂行は困難になるかもしれない」

米軍公刊戦史には、後退の理由を次のように説明している。
「攻撃部隊は、日本軍の全陣地を蹂躙し、陣地設備を破壊して無数の自動火器と山砲一門を粉砕し1600頃予定の目標に達成した。」

十六日の激闘を終えた小森支隊長は、飛行場西側地区への後退を決意。
撤退は十六日夜、米軍の追撃を受ける事無く、計画通り完了。
飛行場西側の新陣地は北翼からの包囲に対して地形的に阻止しえない
弱点があったが、飛行場確保という任務上ここで玉砕するまで
戦う決意を固めていた。


※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」(小冊子)
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by Switch-Blade | 2005-05-25 17:13 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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破壊を目的とする砲撃、爆撃は文字どおり目的物に中れば爆発して破壊します。
小銃の類は突き刺さるか突き抜けます。ところが迫撃砲は、瞬発信管が着いていて、
なにかに触るとそこで破裂するようになっています。
つまりジャングルなどでは上空で破裂し、しかも弾丸が不規則に砕けるため、
その破壊力は甚大です。
ギザギザした破片が、うなりをたてて飛んできて目的物を抉り取ります。
従って、人間にあたれば惨憺たるものです。
大隊砲小隊長の友澤少尉がこれにやられたのです。
大隊本部まで運ばれて来た時は、まさに血だるまで顔もぐしゃぐしゃの状態でした。

戦車は、戦闘中は貼覗孔(テンシコウ)という巾5ミリくらいの穴から
外を見ながら行動します。貼覗孔の内側には巾3センチぐらいの風防が貼ってあり
眼の被害を防ぎます。従って戦車が天蓋を閉めたら誘導してくれる兵がいなければ
思うように行動出来ません。狭い穴から「こん随歩兵」の誘導で動くのです。
開けた所なら楽でしょうが、ジャングルの中での戦車の行動は
容易ではなかったでしょう。
そこを見抜いて先ず、こん随歩兵をやっつけたのです。
彼らは戦車を頼りにしていましたから我が方の突然の発砲に驚きふためきして
戦車を置いて後退し始めました。
めくら同様になった戦車が右往左往し始めたのを見抜いて飛び乗り、
手りゅう弾をぶち込んだのです。(前述)
戦車は鉄の固まりですが、ジャングル戦では案外厄介ものだったでしょう。

私の友人で陸士出の戦車長がいました。
彼は運悪敵の弾丸が真正面から覘視孔に命中して戦死しました。
(中国戦での犠牲者でした)
戦車隊の犠牲者には眼をやられての戦死が多いと聞きます。

マーカス岬は当時は、相当深い椰子林で下草には潅木が生い茂っていました。
たまたま双方から斥候が派遣されたことがあり椰子林の中で鉢合わせを
したこともありました。(これは酒井中隊長からの後日談です)

ヘリコプターを当時はオートジャイロといっていました。当時日本では見たこともありません。
マーカス岬の戦場では米軍は偵察用に使っていたのです。(戦陣の断章にも記載)
ジャングルの上空でブルブル音をたてて止まっており、急転回して帰って行くのは
飛行機では考えられないことです。そのあとにドカドカと砲撃してくるのですから、
偵察用に使っていたのです。ヘリは、ジャングルでもなければ、
あんな使い方は出来ないでしょう。舐められたものです。

  
  


 
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by Switch-Blade | 2005-05-25 16:28 | 第六十一話~第七十話 | Trackback(1) | Comments(0)

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{マーカス岬の戦闘での一齣}
地上からと空からと徹底的に叩かれ・・暫くして一期後輩の友澤大隊砲小隊長が血だらけに
なって担架で運ばれてきた。(既報)
第一線将兵の生き残りが三々五々大隊本部のあたりにもやってきた。皆気ばんでいる。
大隊長は次の敵の行動を察知して興奮していた。自慢の髭を撫でている暇などない。
鉛筆をなめなめ自ら次の命令を「通信紙」上に走らせていた。(本来は副官の仕事だが)
正副副官も大隊長の顔色を伺いながら次の行動に対処していた。
空には敵のヘリコプター(当時はオートジャイロと言っていた。まだ実物は見たこともない。)が
ブルブルと飛んでいる。ジャングルが深いため姿は見えない。
敵の陣地あたりがざわざわしている。

大隊長からは先ず

「第一線将兵を纏めさせろ!!蔵岡副官!!」

「はい!!」

直ちに蔵岡中尉副官は、伝令を集めて各中隊長にその旨を伝えた。
敵陣地からのざわつきが次第に大きく聞こえてくる。私も胸騒ぎが高くなってきた。
血だらけの負傷兵が次々と野戦病院(形だけではあるが)に運び込まれてくる。
戸伏大隊長の声が次第に荒々しくなり、ぼやぼやしていると大声で怒鳴り散らされる。
しかし・・さすがである。一同てきぱきと自分の分野をこなしているのだ。

ヘリの爆音が消えた。

わが陣地の位置を察知されたか。

と 思うや敵陣の方からカタカタと戦車らしい音。

「畜生!!いよいよ来やがったなー」と大隊長の声。

綺麗に吹っ飛んでしまったジャングルの彼方に戦車の姿が見えた。行動は緩慢ではあるが・・。

「塚本少尉!!」

「ハイ!!」

「予備隊を率いて行け!!」

「ハイ!!」 もう無我夢中である。

戦闘には猶予はない。大忙しで当番兵も使って、本部周辺にいる予備隊の下士官、
兵を集め度胸を決めて出立した。

 
「目下外伝で「マーカス岬の戦闘」が連載中ですが、外伝中に出てくる人物ほかの逸話を・・・
予備小隊(私が小隊長役)の分隊長「野々村春水軍曹」は、バタ-ン攻略戦で活躍し、
個人感状を貰い二階級特進した人とあります。
つまり当時は上等兵だったのです。彼は勇敢な高知県出身者でした。
戦車に飛び乗った兵は中平登志夫上等兵(のち伍長)と言いやはり高知県出身でした。
彼はすばっしこい男で椰子の樹にもするする登る特技があったため
斥候に適しており各所で役にったものです。椰子には獰猛な蟻がいるので
現地人も嫌がります。
高知人はよく「土佐ツポ」と言われ、坂本龍馬に見られるように「どしょっぽね」のある人物が
多いと聞きますが、当時この二人を見ていて「さもあらん」と思ったものです。
二人とも在郷の時は漁師だったそうです。今では両氏とも故人になりました。
そして「明神 一軍曹」。彼は中平登志夫の分隊長でした。
中平氏ともども、ペアで勇敢な行動をとっており戦闘中は私の右腕でした。
私の連隊には広島、四国、九州の出身者が大部分でしたが、
高知3人の武勇は特に光っていましたね。
「功績調査」というものを作成しますが、功績「殊勲甲」の中には高知県出身者が
何人かいました。私もこの三人のお蔭で大いに助かりました。 
明神氏は既に90歳ぐらいになるでしょうが、毎年たどたどしい文字ですが年賀状をくれます。
歳上でも軍隊では部下でしたが、戦友会でもそんな素振りは見せませんでした。
素晴らしい人物です。 
今でも高知弁を聴くと彼らを思い出します。」

<最後の2行に「例によって気狂いじみた砲撃によってこれを援護した」とある。
我々からは想像もつかない砲撃なのだろう by Switch-Blade>
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by Switch-Blade | 2005-05-20 15:10 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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大隊砲小隊長「友沢少尉」(幹候8期)のこと
 マーカス岬の戦闘で、戦車が突入してくる直前の砲爆撃で、
運悪く砲もろとも吹き飛んでしまった。彼は、からだ中破片でえぐられ、
大隊本部まで搬送されてきた。

 「誰だ!!」大隊長以下本部将兵は固唾を飲んだ。

血だらけの顔はぐしゃぐしゃで誰とも判らない。

軍医が痛がる顔をそっと拭いてやると友沢少尉ではないか。
負傷した顔面をはじめ、からだ中の苦痛で大隊長に報告どころではなかった。
血だらけの衣服をそっと脱がせて軍医が手当てをしたが、
唯一虎の子の大隊砲は戦果なしに潰えた。

あれだけの重傷を受けた友沢君も野戦病院で懸命の治療を受けて治癒し、
約20年前の「慰霊の旅」には私らと元気に行動した。
顔下半分は歯が抜けておりゆがんでいたが・・。 そして大分前にこの世を去っていった。

2中隊の兵だった深沢君。彼はブッシングに駐留している時、
伝令用務で遠方に出かけていた時にマーカス岬に出動の命令を聞いた。
しかし第一大隊本部は彼の帰還を待っておられず、止むを得ず彼を残して夜半に出動した。
(その後彼は他中隊に転属した。)
彼はその後ツルブの激戦で体じゅうに重傷を負った。
 しかし、「カ号作戦」に基づく転進。
負傷して血だらけの体で地面を這いずりながらラバウルまで

600キロの転進をやってのけたのである。

 途中で力尽き息絶えた者、手りゅう弾で自決した者、河で溺死した者etc.数しれず。

遺骨累々。

 その中にあって、あの体でどうやって這いずりながらラバウルまで帰還出来たのか。

その精神力と生命力は「神のみぞ知る」ということだろう。
戦友会でこの話に及んでも至極淡々たるもので、説明にはならない。
経験した本人も

「さあー」

といった様子。

今だから話せるといった単純な経験ではなかったからだと思う。
 
彼も上記の友沢君同様、われわれと「慰霊の旅」に元気に同行した。
私と同年輩だったと思う。 現在も生きている筈。

 人間の生命力は人さまざま。
 こういう輩もいたなーーと今度は自分を振り返ってみるこの頃である。


<先日著者から頂いたメールの内容を掲載させて頂きました。
私の解説よりも生々しく感じてしまうのは当たり前ですね。重さが違います。
お話を聞いていると、「もし自分だったら、勇敢に行動できるのだろうか?」と、
いつも考えてしまいます。            Switch-Blade>

※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」 
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by Switch-Blade | 2005-05-18 02:52 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

ニューブリテン島慰霊の旅
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この道の奥に戸伏大隊が布陣していた。

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今も残っている、撃破され放棄されたM-3軽戦車の残骸。
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by Switch-Blade | 2005-05-15 16:59 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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 主抵抗陣地の直前に陣地を占領し、たえず陣地内に侵入して攪乱行動をする日本軍は、
米軍にとってわずらわしい存在であった。そこで一月初頭、米軍は既述のように
三回出撃して攻撃してみたが効果は皆無。戦車と航空支援を増加して
強力な攻勢を実施する事を考えた。
フィンシハーフェンから海兵師団の軽戦車(M3系)一個中隊がマーカスに到着。
この戦車は南太平洋地区で頻繁に使用されていた。
三日間の歩戦協同訓練ののち一月十六日午前六時を期して
攻撃が開始されることになった。
五十九話に両軍の配備要図が期されているので参考にして頂きたい。
当然、大隊は戦車の出現を予想していた。十三日ごろから戦車らしい機関音が、
岬の先端から聞こえていたのである。大隊は捕獲した対人地雷約三十を
戦車の主攻を予想する左第一線中隊正面に埋めた。
地雷の数が少ないので右第一線中隊の正面は、捕獲した有刺鉄線を一条張った。

 一月十六日は、日本の内地を思わせるような好天気であったが、
早朝からB-25を主体にB-24、P-38など約五十機による爆撃が始まった。
地軸を揺るがす炸裂音、壕内に吹き込む爆風、閃光で、狭い陣地は覆われた。
およそ二十分ほどの爆撃であった。すでに外伝では既述ではあるが、
戸伏大隊の将兵には二時間にも三時間にも思われる長い時間に感じられた。
爆撃が終わると戦闘機による掃射が始まった。それと呼応するように
砲兵と迫撃砲による集中射撃が開始された。


※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」
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by Switch-Blade | 2005-05-15 16:26 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」第五十九話補足

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対峙した両軍の配備
戸伏大隊は次のような配備にあった。
右第一線 第二中隊(一小欠)、機関銃一小隊。
左第一線 機関銃中隊(一小欠)、第三中隊の一小隊。
予備 第二中隊の一小隊、大隊砲小隊。
第三中隊の主力は、後方のベンガル、支隊本部地区に配置されていた。


<著者追記>
岬の中央に細い道路があり、わが方から見て道路左側の海には断崖絶壁となり、
右側は海まで湿地帯です。日米両軍とも湿地を避けて布陣しました。
メツセリア飛行場予定地はこの地図ではずっと右方向です。
右第一線は酒井隊
左第一線は道路を挟んで加地隊
佐々隊は予備隊としてずっと後方の海岸寄り、戸伏大隊本部は道路右側で
酒井隊のずっと後方に布陣しました。
酒井隊から大隊本部までは道路を境に右下がりのゆるやかな傾斜です。
一面椰子と雑草のジャングルに覆われていました。

この要図でも判るように、敵第一線戦車群との距離は1~1,5キロですから
敵陣の動きや戦車の音などもある程度聞こえました。
特に夜は遅くまでカタカタコトコトと遅くまでよくやっていました。
両軍とも長期間にらめっこの持久戦です。

昭和19年1月16日 敵もしびれをきらした(?)のか、いよいよ朝から空からと
地上からと一斉に砲爆撃を開始。既報のとおり彼我の激烈な戦闘が開始されたのです。

小さな岬ではありましたが、ニューブリテン島への敵上陸は、
ここが初めてでしたから上層部も重要視していたわけです。
それだけに、われわれもその意を汲んで緊張しました。  


<著者から当時の詳細を送って頂きましたので掲載致します。
対峙した両軍の配備と照らし合わせてみてください。>
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by Switch-Blade | 2005-05-01 16:17 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)

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戸伏大隊の来援により士気旺盛、敵の砲撃によりマーカス半島は青野化された。

当日の小森支隊の損害は以下の通りである。
戦死 六十四名(うち将校三名)
戦傷 五十七名(うち将校一名)
不明 十四名
合計 百三十五名

この間、連日米軍の猛爆にさらされていた小森支隊は、一月十一日以降さらに海上の
連合軍の動きが活発化したため、海岸方面の配備にも苦心しなければならなかった。

一月十一日
いつものように激しい爆撃の後、敵が出撃してきたが撃退
敵の舟艇が海岸を偵察した。敵の上陸に備えて佐々部隊(歩兵百四十聯隊第三中隊)
を、この正面に配置し、ベンガル湾地区の陣地を強化。
一月二十日
更に敵の上陸に対して準備したが、状況の変化は無かった。
昨夜、師団司令部からの通信で、福島部隊の転用を要求してきた。
今朝部署の一部を変更。
中原少尉が1200に帰来し、海上輸送は昨夜異常なく完了した旨を報告、
救われたような気がした。これで暫くの間は糧秣の心配は無くなった。
帰りの便で患者二十名を後送。メッセイアは敵舟艇の砲撃を受けた。
配備変更を一時見合わせる。
一月十三日
メッセイアが砲撃された点から見て、後方増援の必要を感ずるが、
師団司令部は福島部隊をイボギに送れと要求。どうしてよいか解らぬ。
(小森日誌より)

師団司令部の福島部隊抽出の狙いは、小森支隊の後方警戒と糧秣輸送に充てるためであった。少しでも支隊の負担を軽くしようという師団側の狙いも、日々連合軍の強圧に直面している小森支隊にとっては苦痛だったのである。

※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦4
・「戦陣の断章」及び同著「マーカス岬の戦闘」
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by Switch-Blade | 2005-05-01 15:25 | 第五十一話~第六十話 | Trackback | Comments(0)