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「外伝」 第三十四話 「歩け!歩け!走れ!走れ!」_b0020455_2041480.jpg


 「戦陣の断章」著者が参加していた演習の写真である。
自分の気に入っている写真の一つです。重たい装備を背負い山道を行軍するのである。
当時の青年達は、所違えど皆このような経験をしていたのですね。
体力などは現代の一部を除いた同年代より、明らかに勝っていると思います。
我慢強さなども現代は負けているでしょう。
壮絶な時代を経験し、壮絶なる復興を成し遂げたこの国の行く末を
心配する方々は多く存在します。

ここ数年で若い人たちの中にも熱心に自分の国の事を考える方々増えてきました。
各地の護国神社に参拝し資料などを熱心に見ている姿をよく見かけるようになりました。
何も知らずにただ否定し風化させてしまうということは、
この国に生まれてこの国に育ったとしても、
自分はこの国の人間であるとは言いがたいのではないでしょうか?

過去に過ちを犯したとただ非難することは誰にでも出来ること!
マスコミや諸外国から言われていることは本当の事なのか?
何故戦争は始まったのか?
情報を与えられているだけではなく、自ら探るのもいいのではないでしょうか。

因みに自分は平和主義者であります。 
 by Switch-Blade

「戦陣の断章」著者からのメールを頂きましたのでご紹介いたします。
この写真に写っている方は著者のご友人との事です。

「右のボケている人物の左の候補生が担いでいるのは擲弾筒です。
その後ろも同様です。
筒先が下でそれを握っています。私の斑の戦友です。
紅白に分かれて山岳戦をやった時の写真です。
予士校での多くの写真は何時誰が撮ったのか分かりません。
卒業の時分配されて初めて知った次第です。 」

   
新!戦陣の断章   
by Switch-Blade | 2004-10-27 00:14 | 第三十一話~第四十話

「外伝」 第三十三話 「海軍中尉」_b0020455_20422762.jpg


<著者の弟さんの写真である。 三重空にて撮影。
 海軍飛行予備学生第13期の海軍中尉です。
 短剣が当時の憧れだったとの事、一式陸攻に搭乗し、沖縄沖に出撃寸前に
 機が故障し待機中に終戦を迎える。

 「出撃するときは白いマフラーを少し長くして飛ぶ」
 やはり最後まで格好良くありたいという大和魂なのでしょう

 
悲しくなるほど「粋」な話である。
現代ならおそらく
 「ど~せ死ぬんだからもうどうでもいいや!」と言う人が多いのではないだろうか?>

                                  by Switch-Blade

新!戦陣の断章   
by switch-blade | 2004-10-19 20:46 | 第三十一話~第四十話

「外伝」 第三十二話 「中隊」_b0020455_20515315.jpg


 基本的にこのような整列の仕方は極めて当たり前の光景であると
当時を知る方々に教えて頂きました。
要するに、でれでれしていないのである
恥ずかしながら自分の学生時代、このような整列をした記憶は皆無であり、
今を思えば後悔している出来事の一つである。
                             by Switch-Blade

新!戦陣の断章   
by Switch-Blade | 2004-10-19 02:25 | 第三十一話~第四十話

 さて、「戦陣の断章」のつづきです。
昭和21年5月待望の復員。名古屋港には復員局の出張事務所があり、
建物の周辺には各主要都市の戦災状況が地図で表示されていました。
宇都宮市もありました。東半分は全滅、私の家のあたりは、なんとか無事らしいのですが、近くの野砲兵第20連隊あたりに焼夷弾が落とされた印がありました。
太田市爆撃の帰りに落としていったものだったようです。
 これを見た私は「これでは親達は、本籍のある広島の山奥に疎開しているな」と早合点し、大きな荷物を背負って広島へ向けて列車に乗りました。
広島に着くとどうでしょう。原爆の惨状を眼のあたりにして茫然としました。

「畜生!!」

 瓦礫の山。電車の架線は垂れ下がり、海の方まで見えるほどでした。 
駅の近くに親戚があるのを思い出し、まず復員の報告をすべく立ち寄りました。
幸い奇跡的に原爆は免れていました。
 訪れますと、喜んで歓待してくれ、一泊してから本籍の方を訪れました。
前置きが長くなりましたが
その夜、風呂へどうぞとなったのですが、下着を脱いで見るとどうでしょう。
褌の縫い目に沿って「虱」が行列しているではありませんか。
一応始末らしきものをして一泊。翌日その話はしそびれて、
北へ向けてバスに乗りました。どきどきでした。
久しぶりのバスですが約2時間余。シラミのことで頭はいっぱい。
今では叔父さんたちもこの世にいませんが、悪いことをした思いは今でも忘れられません。
戦場から復員したシラミの物語でした。

新!戦陣の断章   
by Switch-Blade | 2004-10-18 17:18 | 第三十一話~第四十話

 終戦後、豪州軍が進駐してきたことは前述のとおりですが、武装解除が大変でした。
重機関銃以下の小兵器は発動艇で海に捨てるのですが、
     毎日往復して約3ヵ月かかりました。
軍刀、眼鏡、拳銃は別々の洞窟に集積され、番兵が監視していました。
私は軍刀の洞窟担当になりましたが、時々怪しい男がやって来て
番兵に賄賂を握らせて中に入り、好きな刀を探して持って行きました。

    笑ってしまいました。

いちいち柄を外して銘を見たらしいが、分からず、
私に何年前の頃のものか聞いてきましたが、
適当に英語で説明すると喜んで持って帰りました。

私が使えた真野閣下の軍刀は、正宗の両刃でした。
珍しいもので、今シドニーの戦争博物館(?)に展示されております。
年に一度福岡の研ぎ屋さんに研いでもらいに送られてきますが、
閣下の遺族が帰えして欲しいと嘆願しても駄目だったそうです。 
他にも名刀が沢山あって、展示してあるそうです。
一度は見たいと思っていましたが、もう叶いません。

 文字もろくに書けないやつらに、ペコペコするのは本当にいやな思いでした。

  敗戦の辛さですね。             

 両刃で反りのある軍刀は、肩につけられません。
閣下が出かける時にはその軍刀を私が持ってあげました。
その頃はまだ銘までは知らずにいましたので、戦後銘を知って驚いた次第です。
もうシドニーにも行けず残念です。

<真野閣下の軍刀は1450年頃に作られたものらしい。
 両刃とは大変に珍しいものだという。by switch-blade>
 
新!戦陣の断章           
by switch-blade | 2004-10-13 15:35 | 第二十一話~第三十話

「食料事情」

 「外伝」に手榴弾の写真と解説をつけていただきました。
手榴弾を実際に投げた経験の持ち主は、そういないと思います。
先ず信管を靴の踵か銃のショウビハン(持つところ)に打ち付けます。すると発火して
シュルシュルと火が出ます。
手に持ったまま「イチ二サンシ」の間合いをとってから投擲します。
これだけでは、なんということはないと思うでしょうが、手に持っている時間を考えてください。
少しでも長く持ち過ぎると自爆に繋がります。
その恐怖心から早く投げすぎると敵に拾われて逆に投げ返されます。
なにしろ接近戦でしか使わないものですからね。
   4秒間の間合いですぞ!
実戦で使われたことはあまり無かったのではないでしょうか。
 
         われわれが体験したこと。
転進中に体力の限界を感じて手榴弾が自決(自爆)に使われました。

一列縦隊が次第に伸び、後ろの方で「ドカン」と音がすれば、皆自決の音でした。悲惨です。

それを押さえることは誰にも出来ません。

皆食うや食わずのフラフラした体力しかなかったからです。
南方の戦場はマラリアと飢えとの戦いといってよかったのです。

戦後、満州とか中国戦線に行った方の話を聞くと、
食べるものはなんでもあったとのこと。
腹が立ちましたね。
「飢餓」なんていう生易しい言葉では言い表わすことは出来ません。
人間の肉まで食べたという話には実感を感じます。

私も復員した当時はやせ細り、これからは「付録の人生」だと思ったぐらいですから。
それにしても83歳まで生きてこられたのには、
人間の考えでは計り知れないものが何かあるのでしょうね。 

<食うや食わずに・・・現代人には理解出来ないことであろう。
現在、食料自給率30%代と言われる我が国ですらその事実を知らない方々が
多くいる事でしょう。必ず最低一食は食べる事が出来る今の時代。
実は自給率30%~40%、輸入に頼らざる負えない日本の食料事情というのを
理解してみては如何ですかな。by switch-blade> 
  

新!戦陣の断章   
by Switch-Blade | 2004-10-11 05:25 | 戦陣の断章

今思う事。

 「外伝」が多くの若い人に読んで貰えれば嬉しいですね。
嫌戦論者の人が見たら「こんな人間がまだいるんだ!!」などと頭にくるんでしょうね。


 日本が多くの大国相手に太平洋戦争に踏み切らざるを得なかった
経緯を知らない輩は、
日本の侵略戦争だと単純に決め付けます。マスコミも現在の偉い人たちも然りです。

もっとも現在の情勢では、私が言うようなことを大ぴらに言ったら大変でしょうね。
日本が悪者になっていれば平和なのでしょう。情けないです。

事実は永久に抹殺されてしまうでしょうね。

日本の勝利を夢見て戦死された「英霊」は浮かばれませんし、
私達も英霊に顔向け出来ない思いです。
靖国問題なども今の若い平和論者には単純な議論の題材でしかないのでしょうから。

実戦を経験して今現存する者にとっては、戦死された方は自分の代理死とも思っています。
申し訳ない気持ちは死ぬまで消えないのです
この平和の日本では戦争は遥か昔の物語にしか考えられないでしょうね。
イラクほかの戦争でもニュースのことだけとしか思えないのでしょうから・・。
日本がやってきた戦争や軍隊生活をいかにも
苦苦しく書いた書物や漫画は見たくありません。
  なんでもっと正しい見方書き方が出来ないものかといつも思っています。

新!戦陣の断章   
by Switch-Blade | 2004-10-08 17:02 | 戦陣の断章

    今日久しぶりに私の友人が訪れて来ました。
「那須戦争博物館」を見てきたといってカタログと撮ってきた写真4枚をくれました。
話には聞いていましたが、栗林白岳という館長(昭和1桁生まれ)の
熱意(?)には驚かされました。

 なんと実物の戦闘機、戦車、いかり、飛行機のエンジン、軍艦の船首その他の展示、
館長をはじめ係りの若者が旧軍の服装をして出迎えたりと館内に入ると
50数年前に戻ったような錯覚を覚えるそうです。
あるはあるは!館内にはあらゆる戦前の軍隊にかかわる物が溢れているそうです。
 遊就館とは違った館だそうです。一見の価値ありそうですね。
 


             
 
<このような場所は、実は日本の各地に存在し、関東地方だけでもかなりの数がある。
  こうした博物館や鎮魂の場を一箇所でも多く見学したいと思っている。>
 
 こちらに詳しく載っているので参考にしていただきたい。

http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/list.html/

新!戦陣の断章
by Switch-Blade | 2004-10-03 21:57 | 第二十一話~第三十話

 昭和21年の第一回総選挙のときの話。
当時は未だ進駐軍がうろうろしている時代です。
私が復員後初めて県の出先機関である「河内地方事務所」に就職して、
間もなく総選挙がありました。
私の事務所は宇都宮市を中心として南北に長い「郡」で、
当時私が最年少(?)であったため一番北の豊岡村の監視役を仰せ付けられました。
日光市の手前で約9里あります。当時は日光街道も砂利道でした。
車もオートバイの免許もありません。ですから当然自転車です。
 
 初めて女性にも投票権が与えられた年でもあり選挙場は大賑わいでした。
私の任務は先ず各選挙場の様子を予め準備された設問用紙にしたっがて
記入することでした。(例えば会場に花が活けてあるとか)
時々進駐軍の兵隊さんがジープで乗り付けて「OK」などといって帰っていきます。
 「畜生めー」と思いましたね。 
投票時間が終わり、集計して投票状況を電話で本庁に報告し、
投票用紙は纏めて包装して自転車につけて夜中に本庁まで帰ります。
真夜中の日光街道を重要書類を持って帰るのですよ。真っ暗です。
時々通る車のライトの光を頼りにサツとペダルを踏み大忙しに走ります。

      砂利道がジャリジャリと静寂を破ります。

 その繰り返しをしながら又9里の道を帰るのです。
一歩間違えば重大事件に成りかねません。

こうして各候補者の投票用紙が届き、先に報告しておいた数字と符合させて
確定数字となったのです。
 
 今のように総てが完璧になっている時代と違い「選挙事務」はおお事だったのです。
今考えると笑い話になりますが、こういった多くの公務員が手分けで
奉仕した結果の当落だったのです。

 今、よく「役人」が「悪」の代表みたいにいわれますが、
下働きの苦労は一般に分かって貰えないのが淋しいですね。
 私がまだ現役の時も、よく県会議員に威張られましたが、腹の中では笑っていましたよ。
県議会の質問に何を質問したらよいかなどと聞きにくる「やから」もいるくらいです。
おツと・・元公務員もこういう秘密は漏らしてはいけないんだっけ・・。
名前は伏しておきましょう。   


 <戦後第一回総選挙の思い出を送ってくださった。
  今とは随分違って投票が終わり輸送は自転車なのだ!
  砂利道を約35キロほどであろうか、しかも真っ暗闇の中を!
  今ではありえない話である!!! by switch-blade>
  
by switch-blade | 2004-10-03 02:42 | 第二十一話~第三十話

「このメールは総合火力演習後、著書から頂いたメールである。」

 自衛隊の諸君は、当然のことですが実戦の経験はありません。
演習はそれなりの効果は果たせたと思います。
貴君のいうとおりいざと言う時にも死を賭して戦ってくれることを信じます。
私の過去を振り返ってみますと、久留米第一陸軍予備士官学校で
将校教育を受けている時、何回も演習をやりました。
 飛行機、戦車との合同演習もやりましたが、
所詮は弾丸の飛んで来ない演習ですから本当の実感は湧きませんね。
 
 実際の戦場に赴任して、改めて敵の飛行機の爆音が聞こえるジャングルで
将校教育を受けた時初めて実戦に近い演習をやった気がしました。

 内地での演習はおおむね大陸戦を想定したものですから
我々新米将校にジャングルでの指揮法や心構えが必要だったのです。
もっとも内地でジャングル戦の訓練をやるところも無いですがね。いい勉強になりました。
その時の教官は、私と同年配の陸士出の少尉でした。のちには大尉になりましたが、
フィリッピンでバターン攻略戦を経験していましたからジャングル戦は経験していました。
 私が第一大隊長の副官をしていた時彼は中隊長で、
           
           ともにマーカス岬の戦場で戦いました。

 その名は酒井大尉。今でも福岡で健在のようです。
今実戦の経験云々といっても平和な日本では通用しませんが、
若い政治屋がイラクに自衛隊を派遣するしないで
議論をやっても空理空論の域を脱しないのは止むをえませんね。
 「演習」みたいなものですな。

  

 

<イラクにしても何処にしても派遣が決まり、
 部隊を送る時の映像は見るに耐えないものがある。
 反対~反対~!ってところが大きく取り上げられ薀蓄を語る人物が出てくる。
 送る側の家族の気持ちなどそっちのけなのである。
 滑稽に見える事が余りにも繰り返されている感あり。
 口に出して言わないけれど、このように思う人は多くいるようだ。
 核武装にしても我が国は世界唯一の被爆国である。
 近隣諸国は躍起になって核開発を進める中、我が国だけが持っていない。 
 持っていなければ平和になるのだろうか?? by Switch-blade>
 
   
by switch-blade | 2004-10-02 13:00 | 第二十一話~第三十話