原爆記念日がまたやってきましたね。
毎年ながらこれをうらむ言葉が
マスコミから全く出てこないのに腹立たしさを感じます。
 
相変わらず靖国参拝問題がテレビや新聞で話題になっていますが、
どうして政府は毅然と日本の立場を内外に声明できないのでしょう。
広島の秋葉市長の平和宣言は立派でした。
私は、毎年今頃になると言い知れぬ気持ちに襲われます。
自衛隊のプロペラ機の音が昔を呼び起こさせます。
パンパンパンという機銃掃射の錯覚です。

 昭和20年8月13日からは米軍機の爆音がぱたツと聞こえなくなりました。
14,15日も同様で、おかしいなと思ったら終戦詔勅です。
一同大ショックでした。これからが大変。 
自決実行の防止におおわらわでした。
それでも高級将校を始め多くの将兵が自決しました。 
気持ちは分かります。

私達もここで思い留まって今村大将の「復興参加」のための
訓育を受け、部下に指導を行ったのです。
隠忍自重の甲斐あって、翌21年の5月中旬に無事復員を完結しました。
細部は私の著書にも書いてあります。

毎年今頃になるとあのころが偲ばれて心は遥かなる南太平洋に思いを馳せています。
懐かしい戦友も、戦死者は勿論、最近まで澤山病没し淋しくなりました。
なるべく多くの思い出を貴君に伝えようと思っています。
叢書はどのあたりまで進みました?
では・・・。        H・T


原爆の日に頂いたメールである。
負けたから「犬死」と、言う人物が多く存在するが、
負けたから全てであると言い放つのは愚の骨頂である。
復興の為に復員後職にありつけるように教育をする事が如何に大変か!
本土が空襲によって焼野原と化した事は誰もが知っている。
それでも、
もう一度日本を立て直すのだ!

これは現在の日本人が何処かに忘れてきた事のような気がしてならない。

「我々は泣きながら戦っていましたよ」※1
次々と戦友が落とされて行く光景を目にしながら戦う。
この事が一体どれだけ想像を絶する事なのか?
どの戦場でも同じ事が言えるであろう。

再び繰り返さない為に全否定するのは如何なものか?



※1 柳田邦男著「零戦燃ゆ」から引用
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by switch-blade | 2004-09-20 16:27 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)


 さて、初年兵=二等兵として福山市の西部63部隊に入隊。
母親と連れ立って営門まで・・。そこで母とはこの世のお別れか。 
営兵内で私物を脱ぎ捨てて二等兵に。服はだぶだぶ帽子はゆるゆる。
軍隊では服や帽子に体を合わせるのだとか。
私物は家族に持ち帰ってもらった。いよいよ帝国軍人である。
営舎が決まり、班が決まる。小銃、帯剣ほか一式与えられ自分の寝台の上に
きちんと整理をする。
寝具の折りたたみ方を教わり、便所の位置やら班の出入りのときの挨拶なども教わる。
初日の初年兵は、お客様である。古年兵も親切だ。しかし二日目ともなると状況は一変す。


二日目からはお客様ではなくなる。
もたもたしていれば容赦なくビンタがとんでくる。 
帝国軍人になったのだから・・・・。
というわけで一兵卒のスタートとなるが、要領のいいもの、動作の早いものはいいが、
その反対のものは当然ビンタの対象となる。
これは総て戦場に於ける動作を訓練していることであり、
古年兵が悪用すると私的制裁となる。
私達は、当初から幹部候補として入隊したこともあり、この辺は心得ており、
助教、助手の古年兵も真剣に教導してくれた。
現在、年配者が昔の軍隊生活を面白く見てもらうため、
悪い面のみ誇張して出版しているのは、私には胸が悪くなる思いがします。
戦場の生活は内地では想像出来ません。
苦労を良い面に変えられるのはいわゆる日ごろ鍛えた軍人精神にあったのです

当時の大和魂がそれでした。

軍人精神は生半可なことでは出来るものではなかったのです。
今では想像出来ないことでしょう。
軍旗(連隊旗)は天皇陛下そのものでした。
死んでも旗手は手から離すことは出来なかったのです。
ですから転進のときの連隊旗手は大変でした。それだけ旗手は名誉なポストだったのです。


 著者の入隊時のエピソードである。
「ガツーン」と拳骨が飛んでくる光景が想像出来る。
ここで笑い話を一つ。
以前勤務していた会社での出来事である・・・
ミスの多いある若い新人に対して、注意をした時の事だ。(優しくね)
中略~
新人「これから私に注意をしないで下さい!私は褒められなければ駄目なんです。
   だから失敗しても褒めて見守ってください」

信じられないこの言葉に自分は、
ホワイトアウト

 していた・・・余りにも時代が変わってしまった・・・・
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by Switch-Blade | 2004-09-18 16:50 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)

 
これこそ南方戦線の最も重要な問題点でした。

 ラバウル、ココポ周辺には当初莫大な兵器、弾薬、食糧等を蓄積してあったようですが、
日毎の爆撃によって吹き飛ばされ、われわれのように西部地区に駐留していた部隊には
限度があり、輸送が不如意になるほど不足してきました。
 戦闘が始まった当時も十分ではなかったのですが、日が経つにつれ欠乏していきました。
「カ号作戦」の発動で、ラバウルへの行動が始まる頃には、食糧は底をつき
頼みの舟艇も来てくれず、結局現地で調達ということになったのです
 バナナの芯、椰子の実のコプラ(内側の油皮)と水、果ては現地人が栽培している
タロイモをかっぱらい、河の水を水筒につめ、名もない草の葉や実を食べ食べにて
餓えをなんとか凌いだのです。前述のとおりラバウルまで600キロ余
(これはあとで分かったことですが)
約2か月余りかかってラバウルに終結したのです。
まさに地獄そのものでした。途中で落伍したもの数知れず、ジャングルの中で、
河のほとりで息絶えたものそれはそれは筆絶に尽くせません。
この平和な世の中で説明しても想像できないでしょう。

戦後聞いた話によると、満州の方では食べきれない程の食糧があったと聞きます。
ガダルカナルの戦場と同じで、人肉を食べたという話もまんざらではないことです。
飢餓などという言葉でも現せません。餓鬼畜生といってよいでしょう。
しかしわれわれ将校には軍旗を捧持している者、機密書類を持っている者(私もそうでした)、それぞれ任務を帯びていますから下士官、兵と同じ行動はとれませんでした
              辛かったです。
敵に悟られないように日夜行軍するのですから大変です。
夜濡れた衣服を敵に見つからないように火で乾かし、
朝出発するとものの50メートルも行かないうちに、
また河渡りでビショビショという繰り返しでした。
ラバウル近くに達した頃は、服はボロボロ足は裸足という姿で
とても帝国軍人の面影はありませんでした。
 
我々は、トーマというところに着き、そこで最後の一戦を迎えるべく、訓練に励みます。その頃は一張羅の衣服を与えられ、帝国軍人らしくなった次第です。
それからは前述の通り敵の上陸に備えて猛訓練に入ったのです。


現地調達も餓死との戦いで南方戦場は似たり寄ったりだったのれはないでしょうか。



 【「食料自給率=国力」である。自給率の高い国ほど身勝手である。
この国の豊かさは本物ではないと思う方は一体どれだけおられるのだろうか?】
                                  by Switch-Blade
 
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by Switch-Blade | 2004-09-18 15:25 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)

 終戦記念日にあたり、またまた思うことがあります。
それは、アメリカの無差別非合法爆撃のことです。
 戦争はあくまで両国軍隊と軍人同士の殺戮であり
一般民衆や赤十字のマークのついた輸送船などに攻撃は出来ない事になっている。
 先程の大東亜戦争(太平洋戦争)の実態はどうでしょう。
日本本土の主要都市は殆ど焼き尽くされ、南方戦線からの帰還赤十字船が
殆んど爆撃で撃沈されました。あまつさえ原爆の実験までやったアメリカは
明らかに軍事国際法違反ですね。
 当時の参加敵国も知らん顔。国際軍事裁判でもうやむや。
日本の泣き寝入りで今日まで来てしまいました。今やアメリカ様様。
そもそもこの戦争は日本にとってやむを得ずに起こしたものであったことも忘れて・・・。
メデイアもこれらに触れようともしません。
(近隣国をべた褒めする媒体も多いが、どの道これらも同類でしょう。 by Switch-Blade)
 それとも日本が悪い事をしたのだからしょうがないとでも思っているのでしょうか?
戦艦の保有率5-5-3に反対して席を蹴った松岡全権大使の頃からの
事情を知らないと分からない筈ですね。
この小さな日本が多くの大国を相手に戦争に踏み切ることは
並大抵の判断では出来ない事です。

「窮鼠猫を噛む」
というところだったのでしょう。
毎年この時期になると腹が立ってくるのです。

 
「声を潜めていた人達が実際に多く存在するのである。
実際に命を賭けて戦ってきた方々の声は大変に貴重である。
もっともっと深く知らなければならないものだ。
その中には誇れる快進撃もあれば、悲惨な敗退戦もある。
疎開、食料不足、そして銃後の苦しみ、挙げたらきりが無い。
自分の祖父、祖母や知り合いの方がいらっしゃれば話を聞いてみてはどうだろうか?
せめて近代軍隊の誕生した明治維新以降の歴史をしっかりと
認識しなければいけないと思う。
現在「僕達、私達をもっと分かって欲しい」と言う人が多く存在する。
ならば、自分の事ばかりではなく大先輩の話に耳を傾けてみる事も
必要なのではないか?このように考えてしまう。勿論自分を含めての事だ。」
                                 by Switch-Blade

「外伝」 第十七話 終戦記念日 完
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by Switch-Blade | 2004-09-16 02:58 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)

 オーストラリアとか日本でも西表島で見られるマングローブが
テレビでよく紹介されています。根が地上に三角形状に張り出し、いかにも固そうです。
下の水は淀んでいるようです。
 私達が、ニューブリテン島の西部ブッシングというところで敵の上陸を
監視かたがた駐留していた時、
マーカス岬に相当部隊の米軍が上陸したとの知らせが入り

早速わが部隊に逆上陸の命が下りました

「戦陣の断章」にも書きましたが、夜陰のこと、大忙しで準備に忙殺され、
不必要なものは焼却し身軽な装備で大発7隻に分乗して出発したのです。
 寒さをこらえ、発動機のエンジンは止めて、棹で静かに進んだのです。
約24キロで夜が明けペイホ岬で一時上陸しました。
 
そこではじめてマングローブの林(?)を見ました。

丁度手先を曲げて広げたような根が張り巡らされ不気味な姿をしていました。
それからまた34キロ、神経を使いながら目的のマーカス岬に到達。
この辺は記録の通りです。
 上陸してからの苦労も書きましたが、そこに待ち受けていたのがマングローブです。
何回この上を渡ったか分かりません。前述のように上が平らな根っこですから
渡り易いのは利点ですが、固いために靴が傷みました..。
 
夜になれば、この根の上で横になった。

これらのことを思い出すと今見るマングローブとは種類が違うことが分かります。
しかしこのマングローブのおかげで何日遅れたか分かりません。(第四話参照)
まさに憎ツくきマングローブであったのです。戦場に着いた時、靴はいかれてしまいました。
私には、ロマンチックとは程遠いものでした。

「外伝」第十六話 「マングローブ」完

   
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by Switch-Blade | 2004-09-15 16:48 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」 第十五話 

 
この「外伝」の中で出てきた、今村均将軍という名前を覚えているだろうか?

 今の日本ではすっかり馴染みの無い言葉の一つではないだろうか?
将軍というと、まさに映画の中の歴史上に登場する人物か、
もしくは、TVニュースなどでよく見かける在日米軍の「~司令官」「~将軍」「~参謀長」が、
誰でも知っている名称だと思います。

 本来、軍高官や政治家は多大な責任を背負い命令を下すものだ
例えば一般社会で、この責任という重みを背負い真剣に仕事をこなす人間が果たしてどれほどいるのであろうか?
あなたの会社にも責任逃れをする上司がいるのではないでしょうか?
そのような人間にはついてはいけないと、誰もが思うことでしょう。
現にそう思っている人も多い事でしょう。
「外伝」第二話で紹介した今村均将軍の事をもう少し書いてみたいと思います。
 ジャワ島の軍政で証明されている通り本国からの命令である「圧政」を断固拒否。
インドネシアの独立の礎を築く事を前提とした政策を押し通した

そして戦後、勿論日本の敗戦に終わったが、今村将軍はここから更に
一軍の将たる責任を見せる。
責任を取って自決するのではなく、自らの行いに自身を持ち、無実を主張するだけではなく
「我が将兵を罰せず我を罰せよ」

                    こう言い放った!
そして、部下の無実を主張し戦ったが結局10年の懲役刑を宣告され、
巣鴨刑務所、通称「巣鴨プリズン」に収監された。しかし部下達がニューブリテン島近郊の
マヌス島で悪条件の中で刑に服している事を知ると、
自ら希望し劣悪なるマヌス島に移送された。
将軍は、かのマッカーサーに再三申し入れをし、わざわざ劣悪な条件下に身をおいた

常に部下と同じ場に身を置き部下の苦しみを自身の苦しみとして受け止めたのである。
刑期を満了し帰宅後、世田谷の自宅に作った約三畳の「謹慎室」にこもり、
部下達の就職の世話などに尽力しながら執筆活動をしていた。
武人としての資質を完璧にまで持ちその人間性もまったく非の打ち所が無い今村将軍は、正に日本が世界に誇れる「大和民族の精神」の持ち主である。
このような人物が現代の我が国にとって一番必要なのではないだろうか?
戦陣訓を作ったのは今村将軍である、島村藤村に手伝って貰ったが為に
完成された日本語となっているが、この戦陣訓のなかで「生きて虜囚の辱めを受けず」の
文に対して「これは本意ではでは無い」と後悔していたという。
 昭和二年までの七年間フランス大使として日本に駐在したクローデル氏は
敗戦後の日本を次のように予言している。
「日本は神の国であったとき、

極めて光栄ある日々を知ることを知ることと得た。自分は信じている。

犠牲者によって流された血潮は、決して空しいもので終わることなく、

日本国民に神の光をもたらすに違いないことを。

これは、今や墓場に近い八十歳の老爺が、諸君に告げる予言なのだ。

日の本の友よ勇気を持て!!勇気を持て!!日はまさに昇らんとしている!

                          日本万歳!」

b0020455_345374.jpg
※現在は韮崎にて大切に保存されている謹慎室

脱線しました・・・
言わんとしていることが少しでも伝わればいいなと思います。
要するに、命を賭けて部下を守らなければ、
上司ではない!!

switch-bladeは、これがいいたかったのかもしれません。

最後まで部下を思った今村大将に対して、自分はまたしても
自分にこれだけの勇気があるのだろうか?と、自問自答している。

 今村将軍の謹慎室は山梨県に移送されている。
自分はこの夏謹慎室をこの目で見てきた。そしてこの今村将軍の何かを感じたと
勝手に思っている。
敗戦国日本だからといって捏造歴史ばかりでは嫌になる。
一度しかない人生、自分は楽しくて面白おかしく生きる事に興味がなくなってきた。
大切にしたい何かを守っていくことにした。
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by Switch-Blade | 2004-09-15 03:03 | 第十一話~第二十話 | Trackback(1) | Comments(0)

「外伝」 第十四話

 
 旧軍に、陸軍では士官候補生と幹部候補生
海軍では海兵出身者と海軍予備学生の制度がありましたね。
前者は所謂職業軍人の卵であり、後者は予備役将校になる学生あがりの卵です。
海軍のことはよく知りませんが、陸軍では士官候補生出身の将校が
どんどん偉くなっていくのは当然です。
幹候出身は謂わば消耗品みたいなもので、戦争が拡大して将校が足りなくなったための
急増品みたいなものです。
 しかし、いざ激戦というとき、勇気百倍、実力を発揮したのは大部分が幹候出身者でした。
というのは、お分かりでしょう。職業軍人には出世欲があります。
格好よく立ち回っていれば出世につながるというものです。
幹候出身者は、せいぜい大尉どまりです。しかしそんなことは眼中にありませんね。
どこの戦場でも先頭に立って勇猛果敢に突進します。

小、中隊長クラスですから・・戦死者も当然多くなりました。
海軍航空隊の体当たりの士官は概ね予備学生出身者でしょう。ご存知のとおりです。
 こんなぐあいですから幹候、予備学をいくら造成してもどんどん消耗していったわけです。
しかし今、彼らをいくら褒め称えても帰ってはきません。
せめてこんな情けない日本を見ないで「神様」になった方が
よかったと自分を納得させるほかありません。



せめてこんな情けない日本を見ないで「神様」になった方が
よかったと自分を納得させるほかありません。
と、最後に書かれているが、
自分はこの最後の二行についてぐうの音も出なかった事をよく憶えている。(^^;)

                            by Switch-Blade
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by Switch-Blade | 2004-09-13 23:39 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)

自衛隊イラク派遣のTV画像を見ていると軍隊当時のことが想起されます。
 
霧島山麓に野営に行った時、実弾射撃の訓練をやりました。
広い山麓で重機関銃で実弾をぶっ放すのですから気持ちがいいですよ。
標的目がけて撃つのです。地煙が上がって着弾の位置が分りました。
 翌日、軍装で高千穂の峰に登山しました。女体山に旧噴火口があり、
火口に石を並べて「久一士」と書いてありました。
「久留米第一陸軍予備士官学校」の略です。先輩がやったものでしょう。
男体山の頂上に祠(ほこら)があり、中に錆びた鉾が刺さっていました。
これが所謂「天の逆鉾」です。ここで着剣して「捧げ銃」をしました。
「天孫降臨の地」と言われている所ですね。
 現在「天孫降臨の地」と言われているところは各地にあって争いが絶えないようです。
今霧島山の「逆鉾」はどうなっているか分りません。懐かしい思い出です。


 「外伝」第十三話「霧島山」完
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by Switch-Blade | 2004-09-13 20:59 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」 第十二話

 テレビで 戦争関連のドラマやニュースが結構ありますね。
観ていて思わず笑ってしまうことが時々あります。
 というのは・・・。
 「召集令状がきて・・」とか「軍隊にひっぱられて」という表現です。
いかにも行きたくない所にいやいや行かされるという印象を与えてしまうことです。
左がかった局に多いのでしょうが、戦後生まれで軍隊に関する知識の少ない人達が
作るからでしょう。
 貴君はご存知のように、当時は国民皆兵で、男子20歳になれば
否応なしに徴兵検査を受けなければなりませんね。
海軍を志願した者もいました
 特別の病気や不具者でなければ軍隊に入営し、数ヶ月の訓練を受けて一人前の
兵隊さんになってから戦場に行くのです。これが「現役の兵隊さん」です。
「召集」というのは、平時は2年軍隊生活をやって満期になると家に帰り、
戦争で多くの兵隊を必要とする時に「召集」という形でまた軍隊生活に戻るのをいいます。
中には二回三回と召集された人もいました。支那事変に参加して金鵄勲章を
持っている人もいます。
つわものですね
私らは2年で満期などありませんでした。引き続き臨時召集という形でそのままです。
前に戻りますが、召集令状が来る人は大体一度軍隊生活をやった人が大部分でした。
「召集令状でひっぱられる」などというのはおかしな表現で、
その時代の男だったら概ね喜んだ筈です。
いやなのを無理やりひっぱっていく印象を与えて嫌ですね。
現役と召集の区別が判らないのですね。それと軍隊に嫌悪感をもっているマスコミなどは、召集令状で無理やりに・・・と言ったほうが気が済むのでしょうね。


 これは実に面白いメールだったと記憶している。激しく同意したものだ。
例えば「玄関に赤紙が張られていた!いよいよ私にも赤紙がきたか・・・」
このような書物や報道を以前は(子供の頃とかね)よく見聞きしたものだが・・・ 
                                 by Switch-Blade
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by Switch-Blade | 2004-09-12 18:18 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」 第十一話

自分の質問に快く答えてくださいました。
 -さて、お尋ねの件。-
1 オウムやニシキヘビの味?
  腹ペコの時にはなんでもおいしいのはあたりまえですが、
正直いってどちらもおいしかったです。
 オウムはやはり鳥ですから「かしわ」に似ていました。
ちょっと固いか?羽は綺麗なので原住民にやりました。
開墾をしていれば蛇は出てきます。
皆小さいものばかりですが、蛋白源ですから必ず捕まえて食べました。
もっとも一匹ぐらいでは分けようもありませんがね・・・。
しかし大蛇ともなれば肉が多いですから、分け前は多いですね(笑)
蛇には肋骨がおおいので肉をはがすのが大変でした。

2 地下要塞洞窟について
  内地でも洞窟が掘られたことは、周知のことですが、ラバウル地域の洞窟は、
今村閣下の方針により長期決戦に備え、全軍地下に潜りました。
方面軍発表の数字は、私の著書にも書いた通りですが、各部隊毎に濠を掘り、
武器、弾薬、食料など総て濠の中に入れました。
ただ、当然ながら湿気による被害もありました。
 俗に言う「ラバウル地下要塞」が出来上がり、「米軍よいつでも上陸して来いよ」
という態勢が出来上 がったのです。万が一米軍が上陸して来たら、
おそらく大打撃を受けたろうと思います。
今だからこんなことが言えるのでしょうがね。
 
しかし、公刊戦史によれば、米海兵隊もラバウルには上陸しなくてよかったと書いてありました。
    
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by Switch-Blade | 2004-09-11 04:01 | 第十一話~第二十話 | Trackback | Comments(0)