2017年 08月 02日
三一特根
海軍は三一特根って部隊が激戦を繰り返していた。
陸軍の命令とは異なるため共同歩調はとれなかったのは云うまでもない。
全滅、玉砕、とか甚だ情報に精通していない不正確なサイトもあるのだが、
まぁ若い搭乗員を逃がす為にお役にたったと云うべきか。
全員玉砕とされていた三一特根震洋特別攻撃隊は山に逃れた若い搭乗員からすれば、
全滅に見えただろうし内地に帰還して素晴らしい働きを見せた事だろう。
しかし震洋特別攻撃隊は全滅してはいなかったのが事実。
悲しいかな、自分の祖父は戦死したのだが、数名だが生還したかたがおられた。
祖父はその時すでに35歳。
若い搭乗員を内地に返す作戦だったわけだ!
よくある映画など、なにも若い者だけが神風ではないのである。
2015年 05月 06日
ニューブリテン島は地震が多い!
以前から花吹山の火山灰に悩まされていた旧陸海軍も想像を絶する地震だった事でしょう。
数年前の事ですが、それを肴にやれ噴煙見ながら釣りだ!温泉だ!などと云う不埒な番組もありましたなぁ。
何も知らずキャッキャはしゃいで万歳クリフを海側からガイドに「写真撮ってぇ〜」と同等です。
ちなみにご存知ですか?現地の船頭は高確率でそのような撮影を拒否するんですよ。
2013年 02月 25日
トーマ集団
色々と検索してみるとなんとも奇遇なHPを発見してしまった。
連絡用メルアドが無かったのが残念だったが隅々まで閲覧する事にした。
ひっそりとしてスマートなそのサイトは、マーカス岬の戦闘の事や、その戦闘を模範にした訓練の事などが綴られていた。そしてトーマ集団で様々な活動をしていた事が解ってきた。しかも復員船も同じ。
勿論約10万人がそれぞれの集団にわかれて復員までの自活をしていた場所だから
「そんなの偶然でもなんでもねえよ」と思う方も当然いるだろう。
各集団やトーマ集団が現地で様々な娯楽を行っていた事は前述なのだが、それが本当に近い事が解ってくると、なんと云うか「善いインターネッツだな」と思ってしまう。
方面軍直轄であったその方のサイトには前線は激戦中だったから情報の違いは少々あったのだが、とても近くに居た方なのだなと感慨深くなってしまった。
そう。
我々に必要な言葉は何か?
「よくぞご無事で…」
これに尽きるのではないか?
自分はそう認識している。
2010年 10月 04日
「遺骨の値段」 The price remains
善悪が極端に分かれているその国の人々に対し、
「日本兵の骨持って来たらお金あげるよ」
だがちょっと待ってほしい。
どうしたら軍人の遺骨だと解るんだ?
誰の遺骨だか解らぬものに対して報奨金?
自分は参加していないが遺骨収集は大変な苦労だと云う事は勿論存じあげる。が、しかしせめて掘り当てた?場所やその痕跡、部隊配置等々確認する事は基本だと思うのだがどうだろう?まぁ配置や進撃経路、自決場所、敗走路など有る程度照らし合わせての事だろうから始末が悪い。(否、そこまで考えているとは思えないが)
騙す方も悪いが、騙される方も悪くないか?
もし願いが叶うなら、祖父の遺骨をマニラ湾から引き上げてほしい。
そして自分は先ずその遺骨抱え祖父母の墓へ持って行き、
「やっと帰って来たよ!!!!!!」と今は亡き祖母に語りかける。
だがしかしDNA鑑定は忘れてはならない。
海中深く没した遺骨にどのような結果が出るかと果てしなく胸を押しつぶされる感覚で検査結果を待つ。
しかし胸躍る結果が出た場合だけのみ納骨する。
誰とも知らん遺骨を入れる訳にはいかんからな。
これでいいんじゃないだろうか?
祖母が微笑んでいる。祖父も微笑んでいる。
2008年 07月 23日
暫く様子見してました(__)
しかしながら着眼点がずれていたり、結局何が言いたいのか解らないものが多いのかな。
とはいえ自分は制作会社やスポンサーじゃないから番組を創る事は出来ないからしょうがないね。
色々な意見、体験、経験があり、それぞれ年齢別にその体験談の内容は大きく異なる。
そう、人それぞれって事。そうした事を理解していかないとある意味重大な間違いが生じる危険性がある。
以前は色々な団体から資料提供を求められた時期もありましたが、
なんと言えばいいのか…なんでそのくらい調べられないの?って質問が多すぎでした。
正規の専門家に依頼すると高く付くのは解るけど…図書館へ行けば解る範疇。
結果てんで検討違いの内容を書いている物も多くあった。
そんな重要な項目についてはしっかりと調べ挙げてもらいたいと思う。
しかし個人ともなると話は別。
よほどの事がない限り調べようがないのが現実。地方の図書館では無理だったりする。
このブログがそうした方々に微力ながらお役に立つ事が出来れば嬉しい限り。
それぞれの戦場、それぞれの階級、それぞれの時期、それぞれの年齢。
下記のサイトも是非ご覧下さい。ちょっと古い作りのサイトもありますが是非どうぞ!
南太平洋の郷愁
新 戦陣の断章
2008年 01月 10日
愛知県在住の姪さんへ。
調査したところ、ニューブリテン島の「ダム」ではなく「タム(河)」という所ではないかと思いました。お役に立てればよいのですがm(_ _)m
2008-01-13追記
元々現地人がつけた河の名称、当時の日本軍が付けた又は聞いた名称によっては若干発音などが異なりますので「ダム」と聞こえたり「タム」と聞こえたりするようです。
当時の地図を見ると、西部ニューブリテン島で兵団主力が転進中に渡ったであろう河は「タモ河」(カライアイの西)とのことで、おそらくこの3つの河は同じ河だと思います。
著者からのご教示を記しましたm(_ _)m
2007年 07月 26日
「南太平洋関連情報の場」
掲示板にすると荒れるのでこのコメント欄を使用して各情報交換の場として御使い頂ければ幸いです。勿論ブログですので実名を避け、「それなりに匂わすハンドルネーム」で書かれると返信も多いのではないでしょうか?このカテゴリーについては頻繁にチェックしていきたいと思いますので皆様どうぞ宜しくお願い申し上げます。
追記・・・
まるで関係のないトラバ&コメントは私の判断で削除させて頂きます。