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今回は、先日ご紹介した英語教程の中身をUP致しました。
一読するとお分かりになると思いますが、
まるで海外旅行用の一言英語だなぁと感じました。
勿論現在では「君は現役ですか?いいえ予備役で招集されました。」
なんて会話あまり聞かないと思いますが、当時の情況が良く伝わってきます。
よくぞ現在まで保存してくれたものだと脱帽する毎日である。
著者から送られてきた資料の中から一つ、

「終戦後のラバウルで、私は『かがみ』という雑誌の編集をしました」と
元文化出版局局長をなされていらした今井田勲氏は
このように語っていた。
「皆が意気消沈しているので何かの励みになるものをと
今村大将にお願いし、それを創刊号に載せました」
そして、
「かがみ」はザラ紙に綺麗な騰写版刷り60ページ、週刊誌大の雑誌である。
将兵の創作による時代小説、恋愛小説、短歌、俳句、世界情勢、英語講座、
復員後の職業案内、各団の消息などに、カット、イラストを多数加え
将兵の待望する娯楽、教養、情報を網羅している。
口絵には桜の木の下に立つ和服姿の美人画が使われているが、
これほど将兵の望郷の念を誘ったのか、
今日でも胸の熱くなるほどの内容である。」と、このように書かれていた。

そして最後に、著者の戦友古守氏著南雲詩から作者不明の
「英霊の声」をご紹介しよう。(南雲詩p369引用)

「英霊の声」
億兆の先霊ひとしく照覧し給う 静かに聞く在天英霊の声
大業を成就するは又何れの日ぞ 誓って英霊に謝し聖恩に応えん
道は遠く復興任また重し 千辛万苦絶え難きをしのび
精進日に新たに文化を敷き
徳を持って怨みに報い慈光を施さん


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by switch-blade | 2004-12-23 21:46 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

12月8日は何の日?

 昭和16年12月8日はなんの日? 知らない人が多くなったでしょうね。
私は未だ学生の身分でしたが、この日が徴兵検査というまさに
記念すべき日でした。めでたく合格し帰りには「ローズハウス」という
音楽喫茶に立ち寄りベートーベンの

「運命」を聴いていました。

街中軍歌と万歳の嵐です。
12月末に3か月の繰り上げ卒業(われわれが第一回目です)。
鶴見にある会社に1月半ばまで勤め入営のため退社。
2月1日歩兵第141連隊(留守部隊ー本隊はフィリッピンのバターン半島攻略中)に入営。
以後約5年間の軍隊生活に入ったのでした。
この頃の青年男子は20歳で徴兵検査(義務です)、
甲種合格すれば「男子の誉れ}でした。
入営日の数日前には町旗とともに親子で記念撮影、
出征当日は町内一同に挨拶後「万歳」三唱で見送られました。
まさに男子の本懐であったのです。
今では想像すら出来ない当時の出征風景でした。

<戦陣の断章の著者からお送り頂いたメールを
ご紹介致しました。
ハワイ作戦はご存知の方も多いかと思いますが、
同時にマレー、シンガポール作戦も展開されました。
ハワイ攻撃をZ作戦、マレー攻撃をE作戦といい、
これを同時進行しどちらか一方が先行すれば奇襲は
失敗に終わる恐れのある作戦でした。(実際は誤差有り)
マレー作戦の敵前上陸地点のコタバル周辺と
ハワイ附近ではおよそ6時間の時差があり
マレーの夜はハワイの払暁にあたります。>

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by Switch-Blade | 2004-12-09 20:04 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(1)

 終戦後、復員船を待つ間の約9ヵ月の間、碁や将棋をやったりして
退屈を凌いだが、

        なんといっても、映画と芝居であった。

貫名(ヌキナ)部隊=野戦重砲連隊が映写機を持っており野外にスクリーンを張って
             映画を上映してくれた。 
南の風、山祭り梵天唄、ジャングルの恋、結婚の宿題、唄祭浩吉節、木石、生きている孫六、ハンガリアン舞曲、大江戸百揆など23の映画が上映されて拍手を浴びた。

また、海軍の若手で「鵬劇団」を編成し、本物そっくりの舞台を造り、
バラエティ「唄う雲助」、「歌模様」、「五条の夢」、時代劇「恋慕吹雪」、トーマ民謡「豊年踊」などなどを見せてくれた。
衣装やかつら等ほんものそっくりで、女に餓えていたわれわれは

    笑ったり涙を流したりして夜の更けるのも忘れたものです。

わが連隊でも「トーマ劇団」を編成し、南十字星楽団による
「唄と踊りと軽音楽」と称し、オペレッタ歌う八百屋お七、一人芝居月形半平太、
瞼の母その他20ぐらいの出し物でわれわれを慰めてくれた。

いずれも玄人はだしで、よくも舞台や衣装をほんものと同じように
造ったものだと感心したものです。

 軍隊には色々の職業の人がいますが、こんなところに現われたのです。

映画,演劇などの題は全部拙著「戦陣の断章」に載せてあります。
戦友達が、よく覚えていたものだと感心していましたが、
わたしが戦地にいる時に全部メモしておいたのです。

       今は皆懐かしい思い出です。

殺伐とした戦場、しかも豪州軍の監視下にあった時ですから
               これらが復員を待つ間の慰めになったのです。


前著は、多くの戦友に配布しましたが、忘れていたことが思い出せたと喜んでくれました。


<終戦後の将兵の気持ちは恐らく我々現代人には、想像を絶するものだと自分は考えます。
この事を思うと自分は、悔しさと刹那さの念に襲われます。
死んでいった戦友の無念を晴らすまでは戦うぞ!このように思う方々、
自決する方々、その無念が多くの書物や資料を読んでいると深く感じられます。
自分の家系からも多くの戦死者を出しました。
特攻で死に斬れずに病死した叔父、満州で砲兵だった叔父、
サイパンで玉砕した多くの親戚、フィリピンで撃沈された祖父の思いを風化させることなく
平和な世界を築く礎を我々現代人が構築しなければなりません。

さて、下記の画像は一体なんだと思いますか?これは、著者がラバウルから持ち帰った物で、今現在日本で数冊しかないものです。もしかしたら一冊も無いかもしれません。
次回詳しくご紹介したいと思います。
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by Switch-Blade | 2004-12-03 16:32 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

昭和17年12月27日に駆逐艦や巡洋艦に守られたわれわれ輸送船団6隻が、
宇品港を発ち、豊後水道を通り、一路南へと進んだ。暫くの間は周囲に小島が続く。
服装からして南方の戦場に行くことは間違いない。 

何日かして回りに島が全く見えなくなる。

敵潜水艦や飛行機の目を避ける為、じぐざく航路をとる。 左に方向転換をする。
するとどうでしょう。今まで右にいた艦が、ずっと後ろになる。今度は右に転換をすると、
こんどは右の艦がずっと前になる。
つまり、回りに比較するものが無いことによる錯覚である。
分かるかな?分からなければ楊枝などでやってみるとこの理屈がわかると思う。

     1月14日にラバウル港に着いた。

           19日かかった。

          何回か魚雷の航跡にあったが、無事だった。
 

そして、戦後昭和21年5月2日、復員である
今度は、アメリカさんから借りたリバティーV0006号。まさか早い。 名古屋港に着いたのが5月16日で、
15日間かかった。行く時とそれ程の違いが無いのに驚いた。
 
 行きも帰りも「硫黄島」が見えるところを通った。

帰りに見た「硫黄島」は禿げた姿であった。戦後の記録で、

        激しい攻防戦だったことを知り、

          納得した

     お互い血肉を分けた血みどろの戦だったのだ。
 
輸送船の長く暑い生活も忘れがたい。ましてや行く時は、船首で対潜、対空見張りの任務もあり

生きた心地が無かったのは言うまでも無い。船に弱かった者には、一層辛かったことと思う。
 
   
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by switch-blade | 2004-12-02 21:56 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

 軍隊では「寝るも起きるもみなラッパ」という唄があり
またその唄の通り、すべてラッパで行動する事はご存知と思います。
なんといっても起床ラッパが一番イヤでした。屯営でも士官学校でも同じ。
ラッパは始めに必ず連隊号、学校号を吹いてから起床ラッパに入ります。
ラッパ手は、営庭の中央で四方に向かって吹くのです。
 連隊号は最初だけですが、パンパカパーンと吹き出すと、
眠い目をこすりながらガバッ!!と起き
素早く点呼の準備に入ります。
 この間僅か数分。誠に我ながらたいしたものだと思っています。
総てがこの調子で、もたもたしていては軍隊では落伍です。
戦場での行動が総ての基礎になっているからです。
軍隊のラッパのカセットがありますが、「戦陣の断章」にも書いた
将官に対してのラッパが一番好きです。
少将は一回、中将は二回、そして大将は三回吹奏することになっています。
今村大将が、ここは戦場だから吹かなくてよいといって
馬を進めた話は今でも語り草になっていますよ。




<戦陣の断章の著者から送って頂いた多くの
貴重な資料の中から、この一つのエピソードを紹介させて頂いた。
恐らく身支度に五分位だろうか?
もしかしたらそれより短いかもしれない。
自分の実生活とは雲泥の差である。
しかしながら最近頻に生活が整ってきているような今日この頃ではあるが・・・
この今村将軍のエピソード、三十六話でご紹介した
古守氏著「南雲詩」の中でも書かれているので引用させて頂きます。
※1今村大将に対しラッパ手が吹奏を始めようとすると、大将は即座に
ラッパはいらない、ラッパはいらないと兵士をいたわる様に手を振って
中止させられた。この光景は大将の人柄もさることながら
それ以上に決戦を控え極度に緊張したラバウルではもはや
形式的なこと、儀礼的なことをいっているときではなく
将兵も兵も無く、ただ人と人との、魂と魂とのふれあいだけがある事を思わしめた

このように書かれている。

これは聞いた話なのだが、ラッパ手とは元々ラッパが吹ける人物が
ラッパ手になるとは限らないという事だ。
ただでさえ難しいラッパを、ラッパ経験の無い兵士に任命する事が多くあったという。
これはかなりのプレッシャーだ!   by Switch-blade >

※1 古守豊甫氏著「南雲詩」から引用

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by switch-blade | 2004-11-29 02:37 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

 力尽きて倒れる者は、概ね100メートルに一人であったといわれ
転進完全終了まで実に六ヶ月を要した。
これを、「カ号作戦」と称する。
第十七師団曰く、
「ラバウル上空に友軍機なく、港湾にまた艦船なし。
我が軍の転進は敗退に非ず。ニューブリテン島最後の救援にあり」

歩兵第141連隊(連隊長片山大佐)に所属し、この戦闘に参加、
ツルブ、ラバウル間3百里を転進した、梅岡学州氏によれば、
ツルブに敵が上陸以来、激戦一ヶ月の後、
連隊長以下部隊全員、武人の本懐を遂げるべく
1月23日、連日の豪雨はやもうともせぬ中を、
玉砕を期していよいよ最後の総攻撃に移らんとし、
まさに焼かれんとする軍旗に対して決別の敬礼を行った。

連隊長以下なみいる将兵の目から熱い涙が溢れ、一通一通の無電に接した。
これぞ意外にも
       
     ラバウル決戦に備えよ

     第八方面軍司令部よりの命令であった

 戦陣の断章著者の戦友 元陸軍軍医古守氏の著書
南雲詩から引用

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by switch-blade | 2004-11-26 03:19 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

 士官学校在校中、南久留米の駅から演習に出かける。
台風襲来で朝から強風雨である。我々は貨車に乗らされた。
貨物扱いか?貨車がグラグラ揺れる、倒れやしないかと心配だ。
様子をみて発車した。なんとも不安な演習行であった。
士官学校での行事予定は、雨風など問題にしない。
高良台という赤土の演習場がある。
(今は自衛隊幹部候補生学校が利用)

生憎私が雨の日に小隊長の役に当たっていた。
雨の中赤土で泥んこになって指揮に当った。
大声で号令を張り上げる。部下候補生も私の指揮によって匍匐前進をやる。
演習を終了すると全員泥んこである。学校に帰れば当然洗濯。
夜の点呼までには洗濯を終えなければならない。
へとへとに疲れているがこれも訓練のうち。
戦場では否応もないのであるから・・・実戦に備えての訓練というものである。
卒業間際、区隊長との個人面談で前期の演習話に及び

「よくやった。戦場でもな・・・」とねぎらわれた。
不覚にも思わずボロボロと落涙した。

      青春時代の感激の一幕でした。                


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by Switch-Blade | 2004-11-17 22:42 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

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 「戦陣の断章」著者が参加していた演習の写真である。
自分の気に入っている写真の一つです。重たい装備を背負い山道を行軍するのである。
当時の青年達は、所違えど皆このような経験をしていたのですね。
体力などは現代の一部を除いた同年代より、明らかに勝っていると思います。
我慢強さなども現代は負けているでしょう。
壮絶な時代を経験し、壮絶なる復興を成し遂げたこの国の行く末を
心配する方々は多く存在します。

ここ数年で若い人たちの中にも熱心に自分の国の事を考える方々増えてきました。
各地の護国神社に参拝し資料などを熱心に見ている姿をよく見かけるようになりました。
何も知らずにただ否定し風化させてしまうということは、
この国に生まれてこの国に育ったとしても、
自分はこの国の人間であるとは言いがたいのではないでしょうか?

過去に過ちを犯したとただ非難することは誰にでも出来ること!
マスコミや諸外国から言われていることは本当の事なのか?
何故戦争は始まったのか?
情報を与えられているだけではなく、自ら探るのもいいのではないでしょうか。

因みに自分は平和主義者であります。 
 by Switch-Blade

「戦陣の断章」著者からのメールを頂きましたのでご紹介いたします。
この写真に写っている方は著者のご友人との事です。

「右のボケている人物の左の候補生が担いでいるのは擲弾筒です。
その後ろも同様です。
筒先が下でそれを握っています。私の斑の戦友です。
紅白に分かれて山岳戦をやった時の写真です。
予士校での多くの写真は何時誰が撮ったのか分かりません。
卒業の時分配されて初めて知った次第です。 」

   
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by Switch-Blade | 2004-10-27 00:14 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(2)

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<著者の弟さんの写真である。 三重空にて撮影。
 海軍飛行予備学生第13期の海軍中尉です。
 短剣が当時の憧れだったとの事、一式陸攻に搭乗し、沖縄沖に出撃寸前に
 機が故障し待機中に終戦を迎える。

 「出撃するときは白いマフラーを少し長くして飛ぶ」
 やはり最後まで格好良くありたいという大和魂なのでしょう

 
悲しくなるほど「粋」な話である。
現代ならおそらく
 「ど~せ死ぬんだからもうどうでもいいや!」と言う人が多いのではないだろうか?>

                                  by Switch-Blade

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by switch-blade | 2004-10-19 20:46 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(0)

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 基本的にこのような整列の仕方は極めて当たり前の光景であると
当時を知る方々に教えて頂きました。
要するに、でれでれしていないのである
恥ずかしながら自分の学生時代、このような整列をした記憶は皆無であり、
今を思えば後悔している出来事の一つである。
                             by Switch-Blade

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by Switch-Blade | 2004-10-19 02:25 | 第三十一話~第四十話 | Trackback | Comments(3)