(C)「戦陣の断章」外伝
2018-10-20T22:48:29+09:00
Switch-Blade
対戦車手段不十分な場合の防御戦闘
Excite Blog
10月21日
http://bladearts.exblog.jp/28748001/
2018-10-20T22:48:00+09:00
2018-10-20T22:48:29+09:00
2018-10-20T22:48:29+09:00
Switch-Blade
なんてことはないお話
基本的に勉学、技術力の高い高専、大学生の動員である。
第1回学徒兵入隊を前にした昭和18年10月21日は、明治神宮競技場の主催で出陣学徒壮行会が開かれました。政治的に色々とある式典、壮行会ですね。動員数約7万。第2回目以降の壮行会はなかったとされるが。
「この学徒出陣によって陸海軍に入隊することになった多くの学生は、高学歴者であるという理由から、陸軍の幹部候補生・特別操縦見習士官・特别甲種幹部候補生や、海軍の予備学生・予備生徒として、不足していた野戦指揮官クラスの下級将校や下士官の充足にあてられた。」
これは誰でも知っていることであるが、この事さえ捻じ曲げたのが日本の放送媒体だった。某局は当時の映像を独占できるが故に著作権が消滅した独占映像をどえらい捏造番組の制作に没頭した。
そう。あの映像は合成だと教育されていた。あ〜私の時代はそうだった(笑)信じる人も多かったのではないか?
神宮を行進する学徒兵と会場にひしめく日の丸を振り、十死零生の学生を応援?すまん言葉足らずだが彼らに声援を贈った方々の「場面」が別々に撮影されそれを繋ぎ合わせたものだと放送されたである。
現在では隠された報道と教育だがデータ解析の結果「嘘」の結果が出た。生き残りの将兵、その場に居合わせた銃後の方々が証明してくれたのだ。大人しく黙って聞いていればドンドンミスリードされてしまうって事だな。と思う案件だ。そんな嘘を電波で流し、教育現場で躾けるとはこれまさに愚の骨頂なのではないだろうか。近年、こうした強引な手段を用いなくなったようだが、
騙されちゃいかんよ。信じちゃダメだよ。
己の感性を大切に磨かなくちゃね。
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東京夏友会
http://bladearts.exblog.jp/28220788/
2018-03-30T23:44:00+09:00
2018-04-29T22:09:50+09:00
2018-03-30T23:44:44+09:00
Switch-Blade
戦陣の断章
出来るだけ表に出る事を拒んでいた氏の小冊子です。
偕行社から発行された元第六十五旅団参謀、戸伏氏があの小森中佐の動静を推測した薄い冊子。
しかし内容は濃口です。小森政光中佐(38期)の資料を無礼でなければ公開したいと思います。
戦後の回想というよりもあの当時を生きた氏がMIA,KIA等々をピンポイントで予測したものです。
読んでいると、「あ〜作戦ってそうだよね」切ないけど何せラバウルに集結するものなのですから。
小森支隊長と戸伏大隊長のマーカス岬周辺における協力体制は既に記しています。
多分三話位に纏めて戸伏大隊長が予測した小森支隊長の動静予測の正確さを数回に渡り記述しようと思います。
戸伏大隊長の戦場に於ける洞察は流石と云わざる負えないものがあります。
大隊長が予測した当時の観測はほぼ的中しているのが証明になりますね。
都城時代のお話など、今後三話に分けて記していく予定です。
兵站軽視、万歳突撃、玉砕などでどれだけの将兵を消耗したか。
多分この三話でそういう無念に散りざる負えなかった先輩がたの「戦争の脅威」を知る切っ掛けになればと思います。
ご興味のある方は閲覧下さいませ。
では、近いうちに。
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バンカラ
http://bladearts.exblog.jp/26488300/
2016-12-19T23:47:00+09:00
2016-12-20T11:09:18+09:00
2016-12-19T23:47:42+09:00
Switch-Blade
戦陣の断章
警察も憲兵も気にしない程のバンカラだったのです。
警察官など笑って見過ごしたバンカラ!!
まぁバンカラなんて言葉だれも知れねえだろうねぁ!
若き日のバンカラが久留米予備士官学校にとは!
そしてマーカス岬の戦闘を戦い抜き無事ラバウルに集結し無事復員。
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パプアニューギニア
http://bladearts.exblog.jp/26488164/
2016-12-19T22:56:00+09:00
2016-12-19T22:56:44+09:00
2016-12-19T22:56:44+09:00
Switch-Blade
「外伝」ニュース
で、ニューギニア方面に出向いている人にメールしてみたら、
2年前に帰国していたとの事で詳細は掴めず。
ニューアイランド島付近との事だが、ニューブリテン島はそれなりの被害は有ったはずか?
ポートモレスビーは何ともなかったそうだ。
ニューギニア、パプアニューギニアと云っても、もの凄く広大なので結構迷う。
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パプアニューギニア
http://bladearts.exblog.jp/26483029/
2016-12-17T23:35:00+09:00
2016-12-17T23:35:19+09:00
2016-12-17T23:35:19+09:00
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「外伝」ニュース
ニューギニアのNGOに連絡してみるとしよう。
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「外伝」第五十五話 「全滅を避けた判断」追記
http://bladearts.exblog.jp/25015574/
2015-10-21T21:28:00+09:00
2015-10-22T15:19:51+09:00
2015-10-21T21:27:43+09:00
Switch-Blade
戦陣の断章
少々補足として書き込みをさせて頂きます。
西部〜東部に至ニューブリテン島での総司令部、要するに「今村閣下率いる第八方面軍総司令部」では、
戦闘中将兵の玉砕及び自決を厳しく禁じており(これは証言、公刊叢書並びに様々な資料に基づく)
今村閣下の命令で「玉砕禁止」(玉砕待て)が発令されたことは事情通の方々はご存知かと思います。
終戦後所謂敗戦後以前にこの命令は第八方面軍総司令部として全部隊に発せられたものであります。
様々な憶測を利用し利益を得ている方々は、先ずこうした発令された総司令部の資料を吟味し、
且つそれに基づく情報を日本国民として精査しこれを認識頂きたく存じます。
故に、如何にどのような著名人として在らせられる方々の「各証言」等は、
その総てが事実では無いとと云う事をここに記します。
これは総司令部から打電された命令に基づき、米海兵隊、オーストラリア軍も認識している事項であります。
本日はここまでで失礼致します。
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更新の遅れについてのお詫び。
http://bladearts.exblog.jp/24551214/
2015-06-04T13:12:44+09:00
2015-06-04T13:12:45+09:00
2015-06-04T13:12:45+09:00
Switch-Blade
なんてことはないお話
大変申し訳ないのですが、現在記事を投稿する時間を作れず少々困っている状態です。
恐らく状況解決まで1週間程掛かりそうですので「またまた」ではありますが暫しお待ち下さい(__)]]>
ニューブリテン島は地震が多い!
http://bladearts.exblog.jp/24445854/
2015-05-06T13:12:50+09:00
2015-05-06T13:12:40+09:00
2015-05-06T13:12:40+09:00
Switch-Blade
南太平洋関連情報の場
以前から花吹山の火山灰に悩まされていた旧陸海軍も想像を絶する地震だった事でしょう。
数年前の事ですが、それを肴にやれ噴煙見ながら釣りだ!温泉だ!などと云う不埒な番組もありましたなぁ。
何も知らずキャッキャはしゃいで万歳クリフを海側からガイドに「写真撮ってぇ〜」と同等です。
ちなみにご存知ですか?現地の船頭は高確率でそのような撮影を拒否するんですよ。
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第五十一師団と捜索第五十一聯隊
http://bladearts.exblog.jp/24341421/
2015-04-09T14:50:00+09:00
2015-04-13T12:43:05+09:00
2015-04-09T14:50:47+09:00
Switch-Blade
戦陣の断章
師団長は初代、上野勘一郎中将、二代は李王垠中将、三代目中野英光中将(十六年十一月より)。通称名「基」と命名された。
第五十一師団は昭和十六年七月動員、関東軍の隷下に入り満洲東部正面に向かい内地を出発したが、途中八月九日「関特演」の打ち切り決定に伴いその前進目標を錦州に変更され同地に駐屯。九月十八日、第二十三軍の戦闘序列に入り広東へ移動。第十八師団と交代して広東東方部から珠江東岸の守備に任じていた。昭和十六年十二月、師団の一部は香港攻略戦に参加。十七年七月「従化滃源作戦」に参加し同年十月南太平洋への進出が決定すると守備を第百四師団と交代してジャングル地帯の山地戦及び上陸作戦訓練に専念する。
そして「捜索第五十一聯隊」は、第五十一師団隷下の捜索聯隊として昭和十五年七月宇都宮騎兵第十八聯隊において編成された。(同時に騎兵第十八聯隊も捜索第十四聯隊に改編されることになる。連隊長は杉本素雄大佐)初代聯隊長は宮脇中佐。のちに佐藤次郎大佐となる。
編成は聯隊本部と五個中隊。聯隊本部には五個分隊よりなる通信班、指揮班、行李班、対空班があり、第一中隊は乗馬中隊、第二、第三は車両で行動する歩兵中隊、第四中隊は軽装甲車中隊、第五中隊は車両中隊であった。
昭和十六年七月二十五日、動員下令、編制完結。八月三日、部隊通称名「基二八〇五部隊」と称した。
つづく]]>
さぁ!再開しよう!
http://bladearts.exblog.jp/24272297/
2015-03-22T15:13:36+09:00
2015-03-22T15:13:33+09:00
2015-03-22T15:13:33+09:00
Switch-Blade
戦陣の断章
その書籍との出会いは新宿の古本市だった。機材の選定にフラフラと歩いていたとき開催されていたのだった。
普段そうした催し物は必ずチェックしていたのだが、当時その数日は何かとてんてこ舞いで見逃していたのだ。
よし!と仕事を忘れ隅々まで物色する意気込みで会場に入った。
とにかく当時のニューブリテン関連資料と祖父のマニラでの作戦資料を探さねばと想いつつも仕事用で使える書籍にも目がいってしまう。
とても一日で探しきれる広さではないのだが、家近なのがせめてもの幸運だった。
運良く一冊の書籍を発見しページをめくるとこのサイト関係の書籍でしかも師の名前が記されている!
書き込みがされていたがそんな事は関係ねえとカゴに入れる。
知らず知らずのうちにカゴが膨れ上がっていたので目星を付けた書籍は奥に隠してその日は仕事に戻る事となった。
しばし落ち着いた頃一本電話をする。
「じつはこのような本を見つけしてご存知ですか?」と尋ねると、「勿論です。兄弟聯隊ですよ。筆者も勿論存じています。」との回答。「彼は足をやられましたが奇跡的な復員後に義足を付けたのです。戦後何度かお会いしましたよ。歩くたびにガシャンガシャンと義足が鳴りましてね。それは凄い迫力でしたよ。随分と逢っていませんから電話してみます」とのことでその日は受話器を置いた。
後日尋ねてみると残念な事に既に鬼籍に入られたとのことだった。残念である。
そこで氏の書籍に書かれていた事なのだが、「小森、佐藤支隊の動静についての記述が少なく…」とあったので、これから数回に分けて記して行こうと思う。
「受信音にしかと心を秘そめつつ鉛筆動かす無心の境地」 十八年作
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訃報
http://bladearts.exblog.jp/22965024/
2014-07-16T14:27:00+09:00
2014-07-16T14:37:27+09:00
2014-07-16T14:27:13+09:00
Switch-Blade
「外伝」ニュース
今月七月十三日、20時30分頃、当HP「新・戦陣の断章~SAMURAI SPIRITS」の
主人公で久留米第一陸軍予備士官学校(七期)塚本博利氏が永眠致しました。
その姿まさに大往生であり眠る様に息を引き取られました。
当ブログから寄せられた様々なコメントに対して心より御礼申し上げます。
最近はHPを通してご自身の母校、現、陸上自衛隊幹部候補生学校から当時の資料について連絡を頂いた事は、氏にとってに大変誇りに思った事と思います。
私たちの尊敬すべき先人がまた一人旅立ってしまいました。
最後まで常に志し高く生きた氏の生き様はまさに「尊敬」以外の言葉では表しきれません。
見習うべき先人の魂に敬意を表し、哀悼の念を込めてここに記します。
黙祷
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WAR!WAR!WAR!!
http://bladearts.exblog.jp/22213517/
2014-03-07T17:50:44+09:00
2014-03-07T17:50:10+09:00
2014-03-07T17:50:10+09:00
Switch-Blade
なんてことはないお話
戦争は地理と条約の絡み合いだから概ね望んではいない事ってのも誰も教えない。
しかし、やられっぱなし状態を変える事は必要だと思う。
近隣の知人と会話しても年齢層で回答が違う。
美味く戦後の日本を味付けした諸国には軽蔑の念が絶えないのだがな。
金がなければATMのJAPANに。
文句を言えば金を払うATMJAPAN。
そんな馬鹿どもに一言(ひとこと)言っとくが、
てめえらで穴拭けねえ素晴らしい国家達にもの申す。
貴台国達は恥も、根性も、誇りなんてのもありはしない政治家に誘導されているだけなのだ。っうことをね。
まぁこんなこと誰でも知っている事なんだよ。日本の普通の世代はな。
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リンク切れに付いてお詫び。
http://bladearts.exblog.jp/22075996/
2014-02-16T17:28:44+09:00
2014-02-16T17:28:50+09:00
2014-02-16T17:28:50+09:00
Switch-Blade
戦陣の断章
途中度重なる海外出張やなんだかんだで更新出来ない時期が結構ありました。
で、このブログに限って云えばリンク切れが結構ある事に気付きましたので「時間を掛けて」順次修正致します。
しかしまぁこの10数年は各サーバ会社が軒を連ねては消えて行くといった次第でしたので往生しました。
ようやく安定した感有りの今日この頃で御座います。
新年の挨拶には遅すぎですが本年も宜しくお願い申し上げます。
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トーマ集団
http://bladearts.exblog.jp/20066715/
2013-02-25T17:28:58+09:00
2013-02-25T17:29:06+09:00
2013-02-25T17:29:06+09:00
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南太平洋関連情報の場
色々と検索してみるとなんとも奇遇なHPを発見してしまった。
連絡用メルアドが無かったのが残念だったが隅々まで閲覧する事にした。
ひっそりとしてスマートなそのサイトは、マーカス岬の戦闘の事や、その戦闘を模範にした訓練の事などが綴られていた。そしてトーマ集団で様々な活動をしていた事が解ってきた。しかも復員船も同じ。
勿論約10万人がそれぞれの集団にわかれて復員までの自活をしていた場所だから
「そんなの偶然でもなんでもねえよ」と思う方も当然いるだろう。
各集団やトーマ集団が現地で様々な娯楽を行っていた事は前述なのだが、それが本当に近い事が解ってくると、なんと云うか「善いインターネッツだな」と思ってしまう。
方面軍直轄であったその方のサイトには前線は激戦中だったから情報の違いは少々あったのだが、とても近くに居た方なのだなと感慨深くなってしまった。
そう。
我々に必要な言葉は何か?
「よくぞご無事で…」
これに尽きるのではないか?
自分はそう認識している。
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不思議な事だ
http://bladearts.exblog.jp/19904979/
2013-01-27T18:08:00+09:00
2013-02-06T12:58:09+09:00
2013-01-27T18:08:48+09:00
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なんてことはないお話
実は何も不思議ではない事なのだ。
話は飛ぶよ。
過去、幕府と云う体制が存在していた頃から、様々な藩は海外の「もの」を珍しがり、受け入れ、それに賛同、もしくは流される人が多くいたと云う事が事実なのだ。その価値の解らない者達をたらし込み不適正価格で武器をどんどん売りつける。様々な不平不満を持つ藩や個人的なグループが様々な思想を吹き込まれては反発を始める。「武器が有れば打倒出来るかもしれない!否!打倒するのだ!」と。結果国内で所謂内戦という最悪な戦へ導き、同国民同士の殺し合いをさせたこと、しかし、上層はほぼ無傷、傷ついた者はその部下と一般市民である。勿論例外も沢山有る。
しかしまあなんだな。自分たちの古い武器売り、用兵を教え、他国を内戦に誘導するとはひどい話だ。
一応追記しておくけど、かなりはしょって書いているので多くの例外もあると云う事を理解し想像してほしい。
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