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「外伝」第七十一話 「八月六日」

昭和21年5月17日 復員完結。
各主要都市の被害地図の中に宇都宮の地図を発見。
宇都宮の両親はおそらく実家のある広島(県北部の田舎)に
疎開しているだろうと早飲み込み。
上陸港名古屋の復員局で手続きを済ませ、大荷物を背負ってやっこらさ広島駅へ。
駅を降りるや・・目の前に現れた原爆の惨状
駅あたりから海が見えたのです
瓦礫の山、ぶら下がった電車、電柱の架線。
「これだな!!」と初めて原爆被害の現実を目の当たりにしてゾッとしました。
 
私の親戚にも原爆被害者が数人おります。
そのうちの一件は、息子さん(海軍兵学校卒の少佐)が戦死、奥さんと娘さんが丁度広島へ
用足しに行っていて原爆で亡くなりました。
もう一件は、現存されていますが、原爆投下時に広島方面に行っており被爆しました。
原爆被爆手帳を持っており、現時80歳くらいかと思います。
女学生の頃だったのですが、軽症だったのでしょう。
現在は、原爆被害証明には3人の証人が必要とのことです。

 原爆が投下された日から9日後の8月15日 
全将兵が、よく聞き取れない無線電波で終戦の玉音放送を聞く。
よく意味が判らず翌16日初めて細部を理解。さあそれからが大変でした。
無念の気持ちを押さえながら部下に対し軽率な行動を慎むよう説得です。
自分でさえ自決したいような気持ちでしたから深刻でした。
ましてこれまで負けたという実感を知らない私には信じ難い屈辱だったのです。

今、戦後60年といいますが、

私には区切りはありません。

戦中戦後の苦しみを知らない為政者が大部分を占める今日。
いかにも知ったかぶりをしている政治家も、こういう機会に何回でも遊就館、
知覧などの記念館を見て欲しいと思うのです。
いまは自分の選挙のことで頭は一杯でしょうね。       

終戦60周年にあたり、おおいに原爆の恐ろしさを伝えたいものです。
アメリカでは、「あの当時原爆を使わなければ日本は降伏しなかったからだ」
と正当化しようとしているようですが、とんでもない屁理屈です。
目下報道されている原爆被害者のむごたらしい姿を見れば、
原爆を持つこと自体ためらうのが通常の人間の神経ではないでしょうか。

私も、過去を振り返り、今あることを噛み締めています。
 

 <著者からのメールをご紹介致しました。
後世に伝えるためには、色々な話を聞かなくてはなりません。
この国を守るために命を懸けて戦った方々、そして銃後を守り原爆や
空襲の犠牲になった方々の思いを伝えなくてはなりません。
皆さんの周りにも当時を知っているご親戚や知人が沢山いると思います。
どうか戦争体験者の方々の言葉に耳を傾けてください。
そして、後世に語り継いで欲しいと思います。
                     by Switch-Blade>


                               
by Switch-Blade | 2005-08-06 14:48 | 第七十一話~第八十話

対戦車手段不十分な場合の防御戦闘

by Switch-Blade
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