2004年 09月 21日
「外伝」 第二十一話
その内1名はツルブの戦闘で戦死、1名はマーカス岬の戦闘で斥候に行ったきり行方不明、
1名は病没でした。
最初の男は、将校室で上官だった中尉の拳銃を借りて、
弾丸の入っていないことを確認したうえで引き金を引いたら、
なんと暴発し中尉にあたって 即死させてしまったのです。
それからというものは、当然ながらそのことで頭はいっぱい。
遂にツルブの戦闘で華々しい戦死をとげました。
次の男は、マーカス岬の戦闘のとき兵2名を連れて斥候にでましたが、
おそらく途中で敵と遭遇してやられたのでしょう。
とうとう帰ってきませんでした。
3番目の男は、まだ駐留している時になにか悪い物を食べてのでしょう。
赤痢症状の病気にかかり、我々同期生で野戦病院に見舞いに行きましたが、
もう鼻や口から蛆が出入りしており「宮本頑張れよ」と励ましたが虫の。
その後亡くなりました。
戦死と行方不明と病死。人さまざまの運命の分かれ道でした。
屯営で一緒に訓練をし、同じ部隊で苦労した者同士ですが、
私のように生きて帰れた者もおり、誠に複雑な思いです。
士官学校同期生の事について書かれたメールである。
この文の最後に「私のように生きて帰れた者もおり、誠に複雑な思いです。」
このように書かれている。まさに胸が締め付けられる文章である。
この一行、たったこの一行を読んだ自分も複雑な気持ちになってしまったものである。
この一行には本当に多くの出来事、思い出、一言では語れない気持ちが、
詰まっているように感じられた。
苦戦を強いられた各戦線で、幾度となく「もはやこれまで」と腹を決めたであろうか?
「進むも亡国、退くも亡国」このような状況の中で一体何を心の支えとしたのだろうか?
自分の親兄弟が空襲亡くなられたり戦死したと連絡を受ける事も数多くあったであろう。
一体どんな気持ちになるか、是非一度考えてみてはどうだろうか。
「靖国で会おう」「先に九段で待っているよ」と約束して皆戦ったのだ。
外国の戦没者を参拝するのも勿論結構だが、この国の戦没者の参拝が先である。
by switch-blade
| 2004-09-21 14:28
| 第二十一話~第三十話