2005年 05月 18日
「外伝」第六十二話 「M-3の攻撃」
大隊砲小隊長「友沢少尉」(幹候8期)のこと
マーカス岬の戦闘で、戦車が突入してくる直前の砲爆撃で、
運悪く砲もろとも吹き飛んでしまった。彼は、からだ中破片でえぐられ、
大隊本部まで搬送されてきた。
「誰だ!!」大隊長以下本部将兵は固唾を飲んだ。
血だらけの顔はぐしゃぐしゃで誰とも判らない。
軍医が痛がる顔をそっと拭いてやると友沢少尉ではないか。
負傷した顔面をはじめ、からだ中の苦痛で大隊長に報告どころではなかった。
血だらけの衣服をそっと脱がせて軍医が手当てをしたが、
唯一虎の子の大隊砲は戦果なしに潰えた。
あれだけの重傷を受けた友沢君も野戦病院で懸命の治療を受けて治癒し、
約20年前の「慰霊の旅」には私らと元気に行動した。
顔下半分は歯が抜けておりゆがんでいたが・・。 そして大分前にこの世を去っていった。
2中隊の兵だった深沢君。彼はブッシングに駐留している時、
伝令用務で遠方に出かけていた時にマーカス岬に出動の命令を聞いた。
しかし第一大隊本部は彼の帰還を待っておられず、止むを得ず彼を残して夜半に出動した。
(その後彼は他中隊に転属した。)
彼はその後ツルブの激戦で体じゅうに重傷を負った。
しかし、「カ号作戦」に基づく転進。
負傷して血だらけの体で地面を這いずりながらラバウルまで
600キロの転進をやってのけたのである。
途中で力尽き息絶えた者、手りゅう弾で自決した者、河で溺死した者etc.数しれず。
遺骨累々。
その中にあって、あの体でどうやって這いずりながらラバウルまで帰還出来たのか。
その精神力と生命力は「神のみぞ知る」ということだろう。
戦友会でこの話に及んでも至極淡々たるもので、説明にはならない。
経験した本人も
「さあー」
といった様子。
今だから話せるといった単純な経験ではなかったからだと思う。
彼も上記の友沢君同様、われわれと「慰霊の旅」に元気に同行した。
私と同年輩だったと思う。 現在も生きている筈。
人間の生命力は人さまざま。
こういう輩もいたなーーと今度は自分を振り返ってみるこの頃である。
<先日著者から頂いたメールの内容を掲載させて頂きました。
私の解説よりも生々しく感じてしまうのは当たり前ですね。重さが違います。
お話を聞いていると、「もし自分だったら、勇敢に行動できるのだろうか?」と、
いつも考えてしまいます。 Switch-Blade>
※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」
by Switch-Blade
| 2005-05-18 02:52
| 第六十一話~第七十話