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現地自活そして

戦争末期、ラバウルの戦場は作物栽培で現地自活の為の
農耕作業をやっていた。これは第八方面軍司令官 
今村均大将の発案によるもので内地からの物資が途絶えた為、
生き延びる為の一策である。各部隊に割り当てられたジャングルを
開墾して陸穂、とうもろこし、サツマイモ(沖縄100号)、カナカほうれん草、
タピオカその他多くの作物を栽培した。
幸い熱帯地方の為3ヶ月くらいで概ね収穫が出来、
ほっておけばどんどん大きくなったという。著者が指揮していたエリアで作業中に、
極楽鳥がトウモロコシ畑に飛来してきた。
その場に居合わせた一同が「アッ!!」と目を見張った。
まるで絵に描いたような鳥だったという。
開墾時に空襲を受ける事も有り、コックピットのパイロットが「ニヤニヤ」しながら
機銃掃射を加えてきた事も!
敵の上陸作戦に備え兵站の備蓄や訓練を重ねてきたのだが

          8月15日-終戦

さあ、これからが大変である
以前紹介したように、豪軍が進駐し各種兵器の投棄作業や警備、
そして将兵に対してのメンタル面での配慮もあったという。
敗戦という事実を目の当たりにして、自決するものが続出したとの事ですから、
これには十分な注意がなされたといいます。
将兵の中には中国戦線からさらに南方へと八年に及ぶ
戦陣生活をすごした方もおります。
一般生活とは隔絶した軍隊だけで暮らしてきた将兵達が、
敗戦後の混乱が想像される日本に戻って果たして抵抗なく
周囲に溶け込めるのだろうか?
そして、是非祖国復興に役立つ社会人となって
もらいたいが、そのためにもまた職を探すにも長く軍隊にいた為
知識面、教養面の弱さが障害となりはしないだろうか?

今村均大将はこのように考え、三年半という長い歳月を
彼らの教育にあてようと決心したそうです。
軍の中には各分野の学識を持つ方が多く存在したそうで、
その中には教職者もいて、教師陣には問題がなかったそうです。
各科それぞれ手分けして教科書作成に取り掛かりました。
その教科書は農業や医学、数学や科学に至り、
しかも分かりやすくまた詳しく書かれておりました。

その一つが、前回掲載した「英語教程」です。
この教程をめくっていると、なるほど
これならブロークン英語は喋れる様になるなぁと感じました。
この教科書を作成した方は恐らく、英語の教師だったのでしょう。
現在でも、言葉を置き換えれば中学校で教わる英会話そのもので、
戦地ですから手持ちの資料など皆無であるはずなのに
よくぞここまでの教科書を作成したものだと感心致しました。
そして理科の植物を担当していたのが
「戦陣の断章」の著者、この「外伝」の主人公である。
著者は教科書の中に多くの挿絵をいれた美しい教科書の
試案を纏めて今村大将を喜ばせたとの事でした。


復員船で日本に向けて出発する著者の背嚢の中に
それら資料が大切に収められていました。
  続く
         

新!戦陣の断章   
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by Switch-Blade | 2004-12-13 21:09 | 第四十一話~第五十話

対戦車手段不十分な場合の防御戦闘

by Switch-Blade
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