2018年 10月 20日
10月21日
第1回学徒兵入隊を前にした昭和18年10月21日は、明治神宮競技場の主催で出陣学徒壮行会が開かれました。
第2回目以降の壮行会はなかったとされるが。
「この学徒出陣によって陸海軍に入隊することになった多くの学生は、高学歴者であるという理由から、陸軍の幹部候補生・特別操縦見習士官・特别甲種幹部候補生や、海軍の予備学生・予備生徒として、不足していた野戦指揮官クラスの下級将校や下士官の充足にあてられた。」
これは誰でも知っていることであるが、この事さえ捻じ曲げたのが日本の放送媒体だった。
某局は当時の映像を独占できるが故に著作権が消滅した独占映像をどえらい捏造番組の制作に没頭した。
そう。あの映像は合成だと教育されていた。あ〜私の時代はそうだった(笑)
信じる人も多かったのではないか?
神宮を行進する学徒兵と会場にひしめく日の丸を振り、
十死零生の学生を応援?すまん言葉足らずだが彼らに声援を贈った方々の「場面」が別々に撮影されそれを繋ぎ合わせたものだと放送されたである。
現在では隠された報道と教育だがデータ解析の結果「嘘」の結果が出た。
生き残りの将兵、その場に居合わせた銃後の方々が証明してくれたのだ。
大人しく黙って聞いていればドンドンミスリードされてしまうって事だな。と思う案件だ。
そんな嘘を電波で流し、教育現場で躾けるとはこれまさに愚の骨頂なのではないだろうか。
近年、こうした強引な手段を用いなくなったようだが、
騙されちゃいかんよ。信じちゃダメだよ。
己の感性を大切に磨かなくちゃね。
2018年 03月 30日
東京夏友会
出来るだけ表に出る事を拒んでいた氏の小冊子です。
偕行社から発行された元第六十五旅団参謀、戸伏氏があの小森中佐の動静を推測した薄い冊子。
しかし内容は濃口です。小森政光中佐(38期)の資料を無礼でなければ公開したいと思います。
戦後の回想というよりもあの当時を生きた氏がMIA,KIA等々をピンポイントで予測したものです。
読んでいると、「あ〜作戦ってそうだよね」切ないけど何せラバウルに集結するものなのですから。
小森支隊長と戸伏大隊長のマーカス岬周辺における協力体制は既に記しています。
多分三話位に纏めて戸伏大隊長が予測した小森支隊長の動静予測の正確さを数回に渡り記述しようと思います。
戸伏大隊長の戦場に於ける洞察は流石と云わざる負えないものがあります。
大隊長が予測した当時の観測はほぼ的中しているのが証明になりますね。
都城時代のお話など、今後三話に分けて記していく予定です。
兵站軽視、万歳突撃、玉砕などでどれだけの将兵を消耗したか。
多分この三話でそういう無念に散りざる負えなかった先輩がたの「戦争の脅威」を知る切っ掛けになればと思います。
ご興味のある方は閲覧下さいませ。
では、近いうちに。
2016年 12月 19日
バンカラ
警察も憲兵も気にしない程のバンカラだったのです。
警察官など笑って見過ごしたバンカラ!!
まぁバンカラなんて言葉だれも知れねえだろうねぁ!
若き日のバンカラが久留米予備士官学校にとは!
そしてマーカス岬の戦闘を戦い抜き無事ラバウルに集結し無事復員。
2016年 12月 19日
パプアニューギニア
で、ニューギニア方面に出向いている人にメールしてみたら、
2年前に帰国していたとの事で詳細は掴めず。
ニューアイランド島付近との事だが、ニューブリテン島はそれなりの被害は有ったはずか?
ポートモレスビーは何ともなかったそうだ。
ニューギニア、パプアニューギニアと云っても、もの凄く広大なので結構迷う。
2016年 12月 17日
パプアニューギニア
ニューギニアのNGOに連絡してみるとしよう。