バンカラ

 彼はかなりのバンカラでありました。
警察も憲兵も気にしない程のバンカラだったのです。
警察官など笑って見過ごしたバンカラ!!
まぁバンカラなんて言葉だれも知れねえだろうねぁ!
若き日のバンカラが久留米予備士官学校にとは!
そしてマーカス岬の戦闘を戦い抜き無事ラバウルに集結し無事復員。

 


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by Switch-Blade | 2016-12-19 23:47 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(4)

「外伝」五十五話で既に記している通りではありますが、
少々補足として書き込みをさせて頂きます。

西部〜東部に至ニューブリテン島での総司令部、要するに「今村閣下率いる第八方面軍総司令部」では、
戦闘中将兵の玉砕及び自決を厳しく禁じており(これは証言、公刊叢書並びに様々な資料に基づく)
今村閣下の命令で「玉砕禁止」(玉砕待て)が発令されたことは事情通の方々はご存知かと思います。
終戦後所謂敗戦後以前にこの命令は第八方面軍総司令部として全部隊に発せられたものであります。
様々な憶測を利用し利益を得ている方々は、先ずこうした発令された総司令部の資料を吟味し、
且つそれに基づく情報を日本国民として精査しこれを認識頂きたく存じます。

故に、如何にどのような著名人として在らせられる方々の「各証言」等は、
その総てが事実では無いとと云う事をここに記します。
これは総司令部から打電された命令に基づき、米海兵隊、オーストラリア軍も認識している事項であります。


本日はここまでで失礼致します。


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by Switch-Blade | 2015-10-21 21:28 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(3)

  昭和十五年八月一日、兵備大改正により同九月一日宇都宮において新設。
師団長は初代、上野勘一郎中将、二代は李王垠中将、三代目中野英光中将(十六年十一月より)。通称名「基」と命名された。
 第五十一師団は昭和十六年七月動員、関東軍の隷下に入り満洲東部正面に向かい内地を出発したが、途中八月九日「関特演」の打ち切り決定に伴いその前進目標を錦州に変更され同地に駐屯。九月十八日、第二十三軍の戦闘序列に入り広東へ移動。第十八師団と交代して広東東方部から珠江東岸の守備に任じていた。昭和十六年十二月、師団の一部は香港攻略戦に参加。十七年七月「従化滃源作戦」に参加し同年十月南太平洋への進出が決定すると守備を第百四師団と交代してジャングル地帯の山地戦及び上陸作戦訓練に専念する。

そして「捜索第五十一聯隊」は、第五十一師団隷下の捜索聯隊として昭和十五年七月宇都宮騎兵第十八聯隊において編成された。(同時に騎兵第十八聯隊も捜索第十四聯隊に改編されることになる。連隊長は杉本素雄大佐)初代聯隊長は宮脇中佐。のちに佐藤次郎大佐となる。
 編成は聯隊本部と五個中隊。聯隊本部には五個分隊よりなる通信班、指揮班、行李班、対空班があり、第一中隊は乗馬中隊、第二、第三は車両で行動する歩兵中隊、第四中隊は軽装甲車中隊、第五中隊は車両中隊であった。
昭和十六年七月二十五日、動員下令、編制完結。八月三日、部隊通称名「基二八〇五部隊」と称した。


つづく
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by Switch-Blade | 2015-04-09 14:50 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

さぁ!再開しよう!

 あれからかれこれ何年経った事だろう?
その書籍との出会いは新宿の古本市だった。機材の選定にフラフラと歩いていたとき開催されていたのだった。
普段そうした催し物は必ずチェックしていたのだが、当時その数日は何かとてんてこ舞いで見逃していたのだ。
よし!と仕事を忘れ隅々まで物色する意気込みで会場に入った。
とにかく当時のニューブリテン関連資料と祖父のマニラでの作戦資料を探さねばと想いつつも仕事用で使える書籍にも目がいってしまう。
とても一日で探しきれる広さではないのだが、家近なのがせめてもの幸運だった。
 
 運良く一冊の書籍を発見しページをめくるとこのサイト関係の書籍でしかも師の名前が記されている!
書き込みがされていたがそんな事は関係ねえとカゴに入れる。
知らず知らずのうちにカゴが膨れ上がっていたので目星を付けた書籍は奥に隠してその日は仕事に戻る事となった。
 しばし落ち着いた頃一本電話をする。
「じつはこのような本を見つけしてご存知ですか?」と尋ねると、「勿論です。兄弟聯隊ですよ。筆者も勿論存じています。」との回答。「彼は足をやられましたが奇跡的な復員後に義足を付けたのです。戦後何度かお会いしましたよ。歩くたびにガシャンガシャンと義足が鳴りましてね。それは凄い迫力でしたよ。随分と逢っていませんから電話してみます」とのことでその日は受話器を置いた。
後日尋ねてみると残念な事に既に鬼籍に入られたとのことだった。残念である。

そこで氏の書籍に書かれていた事なのだが、「小森、佐藤支隊の動静についての記述が少なく…」とあったので、これから数回に分けて記して行こうと思う。


「受信音にしかと心を秘そめつつ鉛筆動かす無心の境地」 十八年作
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by Switch-Blade | 2015-03-22 15:13 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

 当ブログ、なんだかんだで早10年の月日が流れました。
途中度重なる海外出張やなんだかんだで更新出来ない時期が結構ありました。
で、このブログに限って云えばリンク切れが結構ある事に気付きましたので「時間を掛けて」順次修正致します。
しかしまぁこの10数年は各サーバ会社が軒を連ねては消えて行くといった次第でしたので往生しました。
ようやく安定した感有りの今日この頃で御座います。

新年の挨拶には遅すぎですが本年も宜しくお願い申し上げます。
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by switch-blade | 2014-02-16 17:28 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(3)

謹賀新年

 遅ればせながら「戦陣の断章」を代表して新年のご挨拶を発信致します。関係者の皆々様、偶然の通りすがりの方々今年も何卒宜しく申し上げます。
ちなみに現在「新・戦陣の断章」は色々とリニュアル中ですのでお見苦しいところがあるとは思いますが何卒ご了承下さい!!

 それでは本年が皆様にとって善き年でありますように!!
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by switch-blade | 2013-01-02 17:14 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

遅ればせながら、

 新年あけましておめでとう御座いますm(__)m
(年明け何日経ってんだ!!!)

本年も戦陣の断章をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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by Switch-Blade | 2011-01-08 16:59 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

戦陣の断章

 旧戦陣の断章は私の知人に制作を依頼したものだ。資料等は全て著者の叢書や各部隊の書籍をお借りして更に私個人が入手した蔵書、各機関の多大なる協力の賜物であった。一般に販売されていない、もしくは絶版物を探し出し、そして同地区で戦闘経験の有る方々の正確な資料、米軍公刊戦史等々を参考にしたサイトだった。

しかし、この制作者の都合で意思の疎通が困難になり「新・戦陣の断章」に移行し旧制作者とは縁を斬る事を決心したのである。制作から5〜6年だろうか?旧版にはポップな挿絵なども掲載されているが、その制作者もぐずぐずしていたていたらくであった事はとても残念である。結果私の貧相なwebサイトに追加したのである。

責任感の欠如。否、彼らは責任感と云う言葉の意味を知らない。もしくは感じなくてよい特権の人物だったようだ。そしてあろう事かそうした人物は羽毛の様に軽く「親友」という言葉を吐く。「彼等」が使うこの軽々しい言葉が普段とても温厚な私をいとも簡単に激昂へと導いてくれる。


だが彼らにはせめて自分の足下だけを見ていればよい。そして保身を考えて幸せに生きてもらいたい。
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by Switch-Blade | 2010-10-04 22:53 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

あっという間に

 あっという間に新年を迎えてしまいました。
時間の経過がとても早く感じる今日この頃で御座います。

なにはともあれ、
あけましておめでとう御座います。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げますm(__)m
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by Switch-Blade | 2010-01-02 13:09 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)

自習時間

 最近更新を控えておりました。もっとここで紹介したいのですが執筆にあたり出し惜しみしております(笑)一般にブログ日記に記すには勿体無い感ありと感じ、新・戦陣の断章の整備と執筆に専念したいところです。
先日同方面ツルブで戦死されたご遺族のかたの依頼で執筆活動をされている方から電話がありました。「全て順調に進んでいる」と朗報。
部隊編成図や聯隊史など微力ながらご助力できた事が何よりも嬉しかったです。

 さて本日は戦陣の断章の著者から丁度この時期の出来事を送って頂きましたので記しておきましょう。当時のこの時期の事を反省録に詳細に記されているそうです。

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久留米第一陸軍予備士官学校に在校中、毎晩の自習時間にその日にあったことについて
「反省録」に実施事項と自己反省を記載した。(抜粋です。)

6月14日(日)雨


<週番士官殿の注意事項>
「敬礼の厳正」 一般に声小さし。敬礼後、指示あるまで次の動作に移るべからず。 

<反省>
本日の夜、自習室において雑誌(酒保で買ったもの)を読める候補生あり。
いやしくも自習室は、われわれ候補生の修養の場なり。
かくのごときは断じて許すべからざる行為なり。
すべからく将校生徒の衿持を忘るなかれ。
いよいよ梅雨の候となれり。健康に最も注意を要す。

6月15日(月)晴

<行事>、
午前 高良台第二地区において・・・「時間に余裕なき場合の擲弾筒分隊の陣地占領及び防御」午後 中隊長殿の学科 「作戦要務令」講義  於第2中講堂
夜間 「対戦車肉薄攻撃に関する映画」上映  於講堂

<中隊長殿の注意事項>
1 中隊全員 精神の緊張を欠く。
1 淡白率直なれ。

<週番士官殿の注意事項>
紛失物多きにつき、各人一層自己の所有物を責任をもって保管せよ。

<反省>
自習室において雑誌を読めるO候補生は、遂に重謹慎の罰を受けたり。入校以来1か月余、
第二中隊しかも第二区隊よりかかる者を出したることは中隊の恥なり。全員よろしく前者の轍を踏まぬよう諸規定の履行をなすべきなり。
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著者曰く、「今改めて振り返れば随分堅苦しいことを書いたものだと、今読んでみると微笑んでしまう。当時はカタカナ書きでした。」との事だ。

by Switch-Blade
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by Switch-Blade | 2007-06-15 08:48 | 戦陣の断章 | Trackback | Comments(0)