「外伝」が戸伏大隊長の話になり、フツと思い出した「笑い話」があります。
まだマーカス岬に出撃する前、ブッシングという所で警備していた時のことです。
大隊副官であった私に昔話だと言って語ってくれました。

 戸伏さんが、九州の都城連隊の連隊旗手をやっていた時の話です。
連隊の軍旗祭(年一回 連隊あげての無礼講のお祭です)があり、
連隊長以下多数の将兵が演芸会の会場で兵隊さんの演芸を笑いながら見物していました。
来賓で特別出演の芸者歌手「市丸」が最後に「東京行進曲(昭和4年)を軍楽隊の演奏で
歌いました。出だしの前奏はまことに軽快。一同軽く調子をとりながら聴いていました。
 いよいよ歌に入りました。
1 昔恋しい銀座の柳----ここまではよかったのですが・・。
  仇な年増(あだなとしま)を誰が知る・・・と

この時突然「楽長やめろツ!!」の声。連隊長です。
 「けしからん!!」と続き、ついに伴奏の軍楽隊も演奏をやめ、
以後シラーツとなって解散になってしまったそうです。
頑固な職業軍人のなせる笑い話でした。
無礼講の軍旗祭ですから、大目に見てやればいいのに、
戸伏旗手も思ったそうです。市丸さんもさぞ気を悪くしたでしょうに。

この歌の続きは♪ジャズで踊って リキュールで更けて
明けりゃ ダンサーの涙雨  というのです。そして2番に続きます。
当時の唄としてはモダンなもだったですね。 戦場でのひと時でした。 

<この文の意味が解りますか?敵性語の入っている歌詞が原因なのです。
当時英語は敵性語として一部でしか使用されませんでしたので、
頑固な職業軍人のなせる笑い話・・・でした。  by Switch-Blade>                  


 


 
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by Switch-Blade | 2005-08-02 16:34 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

 仕事で海外に行くことになり、著者と現地の気候などをメールで
やり取りしていた際の一文を書いてみようと思います。


「士官学校在校中は、先輩の着た古い服でした。帽子もそれなりに色褪せたもの。
墨で書いた註記(名前のこと)も先輩何人かの名が消してありました。
ところが卒業の2日前には、帽子、洋服全部新品。
すっかり新品見習士官になり晴れて卒業。それぞれ原隊に帰って行きました。

2か月余にわたるよれよれ転進で、上から下までボロボロ。髭も伸びほうだい。
乞食同然の格好でトーマに辿り着いた。
数日休養をとった後、全員に新品の帽子、衣服が2着支給された。
説明によると、

       1着は決戦用だという。

つまりラバウルに敵が上陸した時に、この決戦用衣服で最後を迎えるというのだ。
幸い敵さんは上陸せず、決戦用衣服は復員時に持ち帰ることが出来た。

       この服も今は既に無い。

<決戦用と書かれたメールを読んだ瞬間、ゾワッと鳥肌が立ったのを覚えている。
我々が普段使っている「決戦」という言葉とは、まるで比べようのないリアリティーさを
感じてしまった・・・     by Switch-Blade>
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by Switch-Blade | 2005-06-23 18:24 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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戦友会の思い出話の中にマーカス岬の戦闘で
「第一線を突破してきた米戦車は数えたら13台だった」
書いている戦友がいました。よくぞ数えていたものだと感心しますが、
私も大隊本部前までやってきた戦車は10台と数えました

       お互いあの状況下でね・・・

おそらく3台は途中までしか来なかったのだと思います。
「教科書」には5~6台とありますが、私は実際にこの目で数えましたからね。

<2枚の画像は、砲爆撃に晒された椰子の木である。
雨あられと降り注ぐ砲弾、物量に任せ大いに砲弾を消費した後
セオリー通り侵攻してきた。
戦後60年以上過ぎた今でも、ここマーカスに残されているという。
一度で良いからニューブリテン島を訪れてみたい
そう言った自分に著者から頂いた言葉は「マラリアは怖いですよ!」だった!>
by Switch-blade
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by Switch-Blade | 2005-06-15 18:46 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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 カ号転進中に戸伏大隊長と、ラワンの大樹の根っこの間で雨露をしのいでいる時、
大隊長が「フランスの国歌」を原語で歌い、
一緒にいた私に教えてくれたことは「新!戦陣の断章」にも掲載しました。
戸伏さんが亡くなった今、当時を改めて思い出すと、
命令に反して上陸地点を変更したことに悩んだことを思い出し、
自分の心を歌で紛らわしていたのかと考えています。
更に、マーカス岬に到着するや直ちに小森支隊長に対し、
第一線の交代を具申したことを考えても「死」を覚悟していた現れかとも察しられます。

これほどに軍隊の命令遵守(違反)ということは重大なことであったのです。
よく「絶対服従」という言葉がありますが、
戦場でのこういうケースでよく理解出来ると思います。

<カ号作戦中、ジャングルの中での逸話を紹介させて頂きました。>
                          
6/3更新の画像は、なんと「ガジュマル」でした・・・
著者にラワンの画像を送って頂き再度更新致しました。

                    by Switch-Blade
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by Switch-Blade | 2005-06-03 18:16 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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第四十四話からは教科書シリーズとして六十六話で完結致しました。
まとめで書かれている戦後の戸伏大隊長の言葉が、とても印象に残っている。

「やけっぱちになるな、見栄にとらわれるな。忍耐だ」

今や何でも手に入れる事の出来る時代、当たり前のことだが
蛇口をひねれば水、湯も出てくる。腹が減れば買い物に行けばよい。
タバコもお菓子も何でも手に入る。

だが、諦めて自らの命を絶ち、そしていとも簡単に他の命を絶つのが現状である。

個人主義の成れの果て
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by Switch-Blade | 2005-05-27 19:14 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

「外伝」第六十五話 ②

第一大隊本部 副官塚本少尉指揮の予備小隊約三十名は射撃を開始。
各部将校や伝令まで全員の火力が集中した。
擲弾筒分隊長が前進してくる戦車の正面に

どっかと座って背中に背負う背嚢を腹部に当て、
      擲弾筒を水平にして敵戦車めがけて発射。


勿論貫通はしないが、命中の衝撃に驚いた乗員は、戦車の天蓋を開けて脱出。
勢いを得た予備小隊は、第二の戦車に対しても同様の攻撃を加え侵入を阻止。

右第一線中隊正面も混戦のうちに米軍戦車が二台、
陣地後方の湿地帯に突っ込んで進退不能に陥った。
この戦車から乗員が脱出するのを見て、第二中隊が攻撃、戦車炎上。

午後三時頃米軍は各所でサイレンを鳴らし撤退を開始。
激しい弾幕でその撤退を援護していた。
小森少佐の十六日の日誌(既出)
「恐るべき砲撃、続いて敵の攻撃、激しい戦闘、戸伏大隊は善戦したが大きな損害を受けた。大隊本部と両第一線中隊との連絡がとれない。恐らく全滅したのだろう。敵は何ダースかの戦車を伴って執拗に攻撃してきた。大隊砲は敵迫撃砲で破壊され、海上からも砲撃してくる。砲火は夕刻まで激しかった。この分では支隊の任務遂行は困難になるかもしれない」

米軍公刊戦史には、後退の理由を次のように説明している。
「攻撃部隊は、日本軍の全陣地を蹂躙し、陣地設備を破壊して無数の自動火器と山砲一門を粉砕し1600頃予定の目標に達成した。」

十六日の激闘を終えた小森支隊長は、飛行場西側地区への後退を決意。
撤退は十六日夜、米軍の追撃を受ける事無く、計画通り完了。
飛行場西側の新陣地は北翼からの包囲に対して地形的に阻止しえない
弱点があったが、飛行場確保という任務上ここで玉砕するまで
戦う決意を固めていた。


※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」(小冊子)
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by Switch-Blade | 2005-05-25 17:13 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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破壊を目的とする砲撃、爆撃は文字どおり目的物に中れば爆発して破壊します。
小銃の類は突き刺さるか突き抜けます。ところが迫撃砲は、瞬発信管が着いていて、
なにかに触るとそこで破裂するようになっています。
つまりジャングルなどでは上空で破裂し、しかも弾丸が不規則に砕けるため、
その破壊力は甚大です。
ギザギザした破片が、うなりをたてて飛んできて目的物を抉り取ります。
従って、人間にあたれば惨憺たるものです。
大隊砲小隊長の友澤少尉がこれにやられたのです。
大隊本部まで運ばれて来た時は、まさに血だるまで顔もぐしゃぐしゃの状態でした。

戦車は、戦闘中は貼覗孔(テンシコウ)という巾5ミリくらいの穴から
外を見ながら行動します。貼覗孔の内側には巾3センチぐらいの風防が貼ってあり
眼の被害を防ぎます。従って戦車が天蓋を閉めたら誘導してくれる兵がいなければ
思うように行動出来ません。狭い穴から「こん随歩兵」の誘導で動くのです。
開けた所なら楽でしょうが、ジャングルの中での戦車の行動は
容易ではなかったでしょう。
そこを見抜いて先ず、こん随歩兵をやっつけたのです。
彼らは戦車を頼りにしていましたから我が方の突然の発砲に驚きふためきして
戦車を置いて後退し始めました。
めくら同様になった戦車が右往左往し始めたのを見抜いて飛び乗り、
手りゅう弾をぶち込んだのです。(前述)
戦車は鉄の固まりですが、ジャングル戦では案外厄介ものだったでしょう。

私の友人で陸士出の戦車長がいました。
彼は運悪敵の弾丸が真正面から覘視孔に命中して戦死しました。
(中国戦での犠牲者でした)
戦車隊の犠牲者には眼をやられての戦死が多いと聞きます。

マーカス岬は当時は、相当深い椰子林で下草には潅木が生い茂っていました。
たまたま双方から斥候が派遣されたことがあり椰子林の中で鉢合わせを
したこともありました。(これは酒井中隊長からの後日談です)

ヘリコプターを当時はオートジャイロといっていました。当時日本では見たこともありません。
マーカス岬の戦場では米軍は偵察用に使っていたのです。(戦陣の断章にも記載)
ジャングルの上空でブルブル音をたてて止まっており、急転回して帰って行くのは
飛行機では考えられないことです。そのあとにドカドカと砲撃してくるのですから、
偵察用に使っていたのです。ヘリは、ジャングルでもなければ、
あんな使い方は出来ないでしょう。舐められたものです。

  
  


 
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by Switch-Blade | 2005-05-25 16:28 | 第六十一話~第七十話 | Trackback(1) | Comments(0)

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{マーカス岬の戦闘での一齣}
地上からと空からと徹底的に叩かれ・・暫くして一期後輩の友澤大隊砲小隊長が血だらけに
なって担架で運ばれてきた。(既報)
第一線将兵の生き残りが三々五々大隊本部のあたりにもやってきた。皆気ばんでいる。
大隊長は次の敵の行動を察知して興奮していた。自慢の髭を撫でている暇などない。
鉛筆をなめなめ自ら次の命令を「通信紙」上に走らせていた。(本来は副官の仕事だが)
正副副官も大隊長の顔色を伺いながら次の行動に対処していた。
空には敵のヘリコプター(当時はオートジャイロと言っていた。まだ実物は見たこともない。)が
ブルブルと飛んでいる。ジャングルが深いため姿は見えない。
敵の陣地あたりがざわざわしている。

大隊長からは先ず

「第一線将兵を纏めさせろ!!蔵岡副官!!」

「はい!!」

直ちに蔵岡中尉副官は、伝令を集めて各中隊長にその旨を伝えた。
敵陣地からのざわつきが次第に大きく聞こえてくる。私も胸騒ぎが高くなってきた。
血だらけの負傷兵が次々と野戦病院(形だけではあるが)に運び込まれてくる。
戸伏大隊長の声が次第に荒々しくなり、ぼやぼやしていると大声で怒鳴り散らされる。
しかし・・さすがである。一同てきぱきと自分の分野をこなしているのだ。

ヘリの爆音が消えた。

わが陣地の位置を察知されたか。

と 思うや敵陣の方からカタカタと戦車らしい音。

「畜生!!いよいよ来やがったなー」と大隊長の声。

綺麗に吹っ飛んでしまったジャングルの彼方に戦車の姿が見えた。行動は緩慢ではあるが・・。

「塚本少尉!!」

「ハイ!!」

「予備隊を率いて行け!!」

「ハイ!!」 もう無我夢中である。

戦闘には猶予はない。大忙しで当番兵も使って、本部周辺にいる予備隊の下士官、
兵を集め度胸を決めて出立した。

 
「目下外伝で「マーカス岬の戦闘」が連載中ですが、外伝中に出てくる人物ほかの逸話を・・・
予備小隊(私が小隊長役)の分隊長「野々村春水軍曹」は、バタ-ン攻略戦で活躍し、
個人感状を貰い二階級特進した人とあります。
つまり当時は上等兵だったのです。彼は勇敢な高知県出身者でした。
戦車に飛び乗った兵は中平登志夫上等兵(のち伍長)と言いやはり高知県出身でした。
彼はすばっしこい男で椰子の樹にもするする登る特技があったため
斥候に適しており各所で役にったものです。椰子には獰猛な蟻がいるので
現地人も嫌がります。
高知人はよく「土佐ツポ」と言われ、坂本龍馬に見られるように「どしょっぽね」のある人物が
多いと聞きますが、当時この二人を見ていて「さもあらん」と思ったものです。
二人とも在郷の時は漁師だったそうです。今では両氏とも故人になりました。
そして「明神 一軍曹」。彼は中平登志夫の分隊長でした。
中平氏ともども、ペアで勇敢な行動をとっており戦闘中は私の右腕でした。
私の連隊には広島、四国、九州の出身者が大部分でしたが、
高知3人の武勇は特に光っていましたね。
「功績調査」というものを作成しますが、功績「殊勲甲」の中には高知県出身者が
何人かいました。私もこの三人のお蔭で大いに助かりました。 
明神氏は既に90歳ぐらいになるでしょうが、毎年たどたどしい文字ですが年賀状をくれます。
歳上でも軍隊では部下でしたが、戦友会でもそんな素振りは見せませんでした。
素晴らしい人物です。 
今でも高知弁を聴くと彼らを思い出します。」

<最後の2行に「例によって気狂いじみた砲撃によってこれを援護した」とある。
我々からは想像もつかない砲撃なのだろう by Switch-Blade>
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by Switch-Blade | 2005-05-20 15:10 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

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大隊砲小隊長「友沢少尉」(幹候8期)のこと
 マーカス岬の戦闘で、戦車が突入してくる直前の砲爆撃で、
運悪く砲もろとも吹き飛んでしまった。彼は、からだ中破片でえぐられ、
大隊本部まで搬送されてきた。

 「誰だ!!」大隊長以下本部将兵は固唾を飲んだ。

血だらけの顔はぐしゃぐしゃで誰とも判らない。

軍医が痛がる顔をそっと拭いてやると友沢少尉ではないか。
負傷した顔面をはじめ、からだ中の苦痛で大隊長に報告どころではなかった。
血だらけの衣服をそっと脱がせて軍医が手当てをしたが、
唯一虎の子の大隊砲は戦果なしに潰えた。

あれだけの重傷を受けた友沢君も野戦病院で懸命の治療を受けて治癒し、
約20年前の「慰霊の旅」には私らと元気に行動した。
顔下半分は歯が抜けておりゆがんでいたが・・。 そして大分前にこの世を去っていった。

2中隊の兵だった深沢君。彼はブッシングに駐留している時、
伝令用務で遠方に出かけていた時にマーカス岬に出動の命令を聞いた。
しかし第一大隊本部は彼の帰還を待っておられず、止むを得ず彼を残して夜半に出動した。
(その後彼は他中隊に転属した。)
彼はその後ツルブの激戦で体じゅうに重傷を負った。
 しかし、「カ号作戦」に基づく転進。
負傷して血だらけの体で地面を這いずりながらラバウルまで

600キロの転進をやってのけたのである。

 途中で力尽き息絶えた者、手りゅう弾で自決した者、河で溺死した者etc.数しれず。

遺骨累々。

 その中にあって、あの体でどうやって這いずりながらラバウルまで帰還出来たのか。

その精神力と生命力は「神のみぞ知る」ということだろう。
戦友会でこの話に及んでも至極淡々たるもので、説明にはならない。
経験した本人も

「さあー」

といった様子。

今だから話せるといった単純な経験ではなかったからだと思う。
 
彼も上記の友沢君同様、われわれと「慰霊の旅」に元気に同行した。
私と同年輩だったと思う。 現在も生きている筈。

 人間の生命力は人さまざま。
 こういう輩もいたなーーと今度は自分を振り返ってみるこの頃である。


<先日著者から頂いたメールの内容を掲載させて頂きました。
私の解説よりも生々しく感じてしまうのは当たり前ですね。重さが違います。
お話を聞いていると、「もし自分だったら、勇敢に行動できるのだろうか?」と、
いつも考えてしまいます。            Switch-Blade>

※参考文献 引用
・戦史叢書 南太平洋陸軍作戦1~5
・「戦陣の断章」及同著「マーカス岬の戦闘」 
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by Switch-Blade | 2005-05-18 02:52 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)

ニューブリテン島慰霊の旅
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この道の奥に戸伏大隊が布陣していた。

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今も残っている、撃破され放棄されたM-3軽戦車の残骸。
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by Switch-Blade | 2005-05-15 16:59 | 第六十一話~第七十話 | Trackback | Comments(0)