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2011年 12月 09日
以前書いた「遺骨の値段」
The Price Remains その後の進展は無いらしい。恐らくこのブログを見ている事だとは思うのだが… 結局現代の科学ではそれが何だかを綿密に調査する事は出来ないのだろう。 しかしそれはしかたの無い事で、それ相当な予算を組まなければ確実な調査結果など出てくる事は無い。非常に残念だ。感情論で先走るからこうなる。キチンと明確なビジョンを打立てそれに伴い活動しなければならないのだ。(申し訳ないが断言させて頂く) これ以上、戦闘経験者を苦しませるな。 これ以上、戦争経験者を苦しませるな。 2011年 12月 05日
ご高名で且つ頭脳明晰集団で在らせられる各種云々法人のwebサイトには「当時を語る」と称して様々なインタビューが載せられている。それは貴重な証言であり、この国の歴史でさえ在る。
今まで口を開かなかった先輩の話を教訓に今後この国の在り方を示そうと云う事、もしくは、「忘れない!」ようにご活動している方々に対し自分は、 こうした素晴らしい活動は単純に「素晴らしい」と思う。 しかし、本人の意図する事無く自由に脚色したら意味が無い。 しかも、本人が膨大な資料を揃えてご協力して頂いているのだから部隊編成等適当に書いてはいけないと自分は思う。 例えばだ。 「歩兵○○聯隊」=× 「歩兵第○○聯隊」=○ なのである。 また、第一大隊長、第二大隊長等名称のはしょりぶりときたらこれはもう犯罪に近い。 嗜み程度の自分さえ何度も何度も修正をする事は当り前の事であるのだよ。 たかが一文字位とは云わず、キッチリと後世にお伝え頂けたらと願うばかり。 そんな自分にも様々なコメントやメールが来る。 内容はと云えば、「あの〜そこ間違ってますよ!」 これは嬉しい事だ。自分のミス、知識不足を補ってくれる素晴らしいものだからだ。 だが、こうした事を無視して掲載を続ける法人さんは、一体何を目的に貴重な資料収集やインタビューをしているのだろうか? 不思議である。 2011年 07月 27日
砲撃、もしくは銃撃され海の藻くずとなった祖父。
その瞬間、脳裏をよぎったもの、どんな事を何を考えていたのだろうか? これは俺にとって永遠のテーマだ。 12、13期の若い将兵を後方に逃がす為、30過ぎの祖父はその任務に就いた。 一般に、所謂「○四物」「震洋」や「マルレ」「四式肉薄攻撃艇」「連絡艇」のいずれかでの出動だ。 若い搭乗員を後方へ逃がす為に、搭乗員ではない将兵を防波堤としていたわけだ。 震洋関連のサイトにも掲載されていない名前が沢山ある。 それはどの艇で出たか解らない程ぐちゃぐちゃな出撃内容であったのだろうと推測出来る。 それはいい。 その本土決戦に必要とされた搭乗員の妹さんは後の教員となり偶然にも私の教鞭をとる事となった。 しかし彼女はその事を知らず教室で皆の前で私にこう言い放った。 「○○君のお祖父さんは戦争をしていました。これは人殺しです。」と。 2011年 03月 12日
こちら関係各所無事確認致しました。
2011年 01月 08日
2010年 10月 04日
旧戦陣の断章は私の知人に制作を依頼したものだ。資料等は全て著者の叢書や各部隊の書籍をお借りして更に私個人が入手した蔵書、各機関の多大なる協力の賜物であった。一般に販売されていない、もしくは絶版物を探し出し、そして同地区で戦闘経験の有る方々の正確な資料、米軍公刊戦史等々を参考にしたサイトだった。
しかし、この制作者の都合で意思の疎通が困難になり「新・戦陣の断章」に移行し旧制作者とは縁を斬る事を決心したのである。制作から5〜6年だろうか?旧版にはポップな挿絵なども掲載されているが、その制作者もぐずぐずしていたていたらくであった事はとても残念である。結果私の貧相なwebサイトに追加したのである。 責任感の欠如。否、彼らは責任感と云う言葉の意味を知らない。もしくは感じなくてよい特権の人物だったようだ。そしてあろう事かそうした人物は羽毛の様に軽く「親友」という言葉を吐く。「彼等」が使うこの軽々しい言葉が普段とても温厚な私をいとも簡単に激昂へと導いてくれる。 だが彼らにはせめて自分の足下だけを見ていればよい。そして保身を考えて幸せに生きてもらいたい。 2010年 10月 04日
貧富の差が激しくインフラ整備も都市部のみ。
善悪が極端に分かれているその国の人々に対し、 「日本兵の骨持って来たらお金あげるよ」 だがちょっと待ってほしい。 どうしたら軍人の遺骨だと解るんだ? 誰の遺骨だか解らぬものに対して報奨金? 自分は参加していないが遺骨収集は大変な苦労だと云う事は勿論存じあげる。が、しかしせめて掘り当てた?場所やその痕跡、部隊配置等々確認する事は基本だと思うのだがどうだろう?まぁ配置や進撃経路、自決場所、敗走路など有る程度照らし合わせての事だろうから始末が悪い。(否、そこまで考えているとは思えないが) 騙す方も悪いが、騙される方も悪くないか? もし願いが叶うなら、祖父の遺骨をマニラ湾から引き上げてほしい。 そして自分は先ずその遺骨抱え祖父母の墓へ持って行き、 「やっと帰って来たよ!!!!!!」と今は亡き祖母に語りかける。 だがしかしDNA鑑定は忘れてはならない。 海中深く没した遺骨にどのような結果が出るかと果てしなく胸を押しつぶされる感覚で検査結果を待つ。 しかし胸躍る結果が出た場合だけのみ納骨する。 誰とも知らん遺骨を入れる訳にはいかんからな。 これでいいんじゃないだろうか? 祖母が微笑んでいる。祖父も微笑んでいる。 2010年 03月 24日
ご存知の方も多いと思います。
作家の角田房子さんが2010 年1月1日に永眠されました。 1960年代より執筆活動を開始した角田さんは精力的な取材と綿密な検証に基づく歴史小説を数多く残されました。中でも1984年に出版された「責任 ラバウルの将軍今村均」では「戦陣の断章」著者との交流も深く、当時の資料提供に協力していた事が文面から読み取れます。当時に興味のある方は一読する事をお勧め致します。 常に史実とその背景を深く洞察した書籍にはとても感銘を受けました。 この国はまたとても大切な方を失いました。とても残念でなりません。 心からお悔やみ申し上げます。 2010年 01月 02日
あっという間に新年を迎えてしまいました。
時間の経過がとても早く感じる今日この頃で御座います。 なにはともあれ、 あけましておめでとう御座います。 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げますm(__)m 2009年 04月 07日
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